第8話 7月28日 川遊び

「みんな、水着は持ってきたか!」


「おおう!」


 つぐみが委員長の声に即応する。

 どうして山に来てまで水着なのかというと、ここから歩いていけるほどの渓流に川遊びができる所があるからだ。


 それにしても、つぐみは毎朝毎夕部活でふやけるまで泳いでいるのに大喜びだった。本当に泳ぐのが好きなんだな。

 でも、そういえばなんでそんなに泳ぐのが好きなつぐみがここにいるんだろう。



 ――今年は絶対に県大会を突破して、全国まで

   いくつもりだからね! だからあたしは一

   緒に行けないと思うよ――


 ――真面目な話、頑張りすぎて怪我なんかする

   なよ、つぐみ――



 そんなやり取りがあったことを思い出す。

 でも、つぐみが練習を休むような怪我をしてるような様子はない。というか、仮に怪我をしていたのなら僕の耳に入らないはずがない。

 以前、足を捻挫したことがあったけど、発熱までしてたっていうのに練習には行っていた。

 僕が知る限りあいつが朝練を休んだことは、只の一度だってない。夏休み中の今だって水泳部は大会目指して練習の真っ最中のはずだ。


 そのはずなのに――


「……うや」


 つぐみはどうして――


「宗哉。宗哉、どうしたんだい?」


 考え事をしながら歩いている内に到着してしまったらしい。ここが例の「川」水浴場だ。


 川底の岩肌の色までもが見通せる。

 浅いという訳ではない。水の屈曲で浅く見えるけど、腰上ほどの水位があったと記憶している。十分に泳げる深さなのに川底が見えるのは、水が澄んでいるからだ。

 海水浴場の水なんかよりよほど綺麗だと思う。


「みんな遅いね。道にでも迷っているのかな?」


「いや、それはないよ。委員長が一緒だからさ」


 それはいいけど、こいつなんて水着を着ているんだよ。ビキニを通り越してハイレグだぞ、それは。

 それに美肌スクールにでも通ってんじゃないかっていうくらい肌が白い。というか少なくともむだ毛処理くらい完璧にやってないと説明ができない光景だ。この分だと脇の下だって「処理済み」になっているのではなかろうか。


 手足だって絶妙のバランスだし、線が細くはあるけど痩せているっていう印象はない。

 認めたくはないけど、お前はやっぱり万人の認める通りの美人だよ、黛。


「仕方ない、男二人で泳いでいようか。……ってどうしたんだい、宗哉?」


「いや、いい。なんていうか、とんでもない間違いを犯しそうだっただけだから」


「顔が赤いけど熱でもあるのかい?」


「いいから僕を気遣うなら離れててくれないか」


 ちなみに、つぐみの管理監督下で僕らの着替えは厳重に隔離されて行われた。

 つぐみは、真剣にホモの実在を信じているらしいけど、こいつに迫られたら変な気になる男だっているかもしれない。


「どうして着替えは別々なの?」


「誰にも踏み込んではいけない領域があるんです、嘉上先輩」


 なんて委員長に説明されて、美空先輩は、


「世界にはまだ謎が多いのね」


 なんて言って妙に納得していた。

 知らなくていいことが世の中にあるとしたら大体こんな下らないことが当てはまると思うのですよ、美空先輩。


 そういえば、委員長はやたらと美空先輩に話しかけていた。当初の目的通りというところだろうか。


「たとえば、物部地方にはまだ犬神筋とか、犬神統とかいう家が残っているそうなんです」


「何処でそんな知識を得るの?」


「父が学校でこういうのを教えているものですから自然に興味を持つようになって……」


 カレーをさらえた後、民俗学だか民族学だかの談義で二人は盛り上がっていた。


 それにしても委員長は物知りだ。はっきりいって委員長だけいれば天川祭の課題はクリアできるのではないだろうかと思ってしまう。


「でもその地方の犬神って、ハムスターみたいなプチサイズらしいんですよ。そういうのって、なんか可愛いですよね」


「そう、そんなふうに伝わってもいるのね」


 委員長は、普段ならば誰もついていけない話を聞いてくれる人がいて嬉しそうだ。美空先輩も興味深げである。

 というか、こんなに人の話を聞き入る美空先輩を見るのは初めてだった。


「私、憧れているんです……犬神に」


「犬神に? どうして?」


「血筋かもしれません。父はそういう仕事だし、母は……そういう民俗学が好きなのがきっかけで父と知り合ったって言っていましたから。だから、犬神に逢えたらいいなって思うんです」


「もし、逢えたら?」


「願いが叶います。夢が、叶うんです」


 委員長の知識は、しょせんは流布した口吻こうふんだ。正確なものではない。

 それは正しく認識できないからでもあり、同時にあえて歪められて伝えられているものだろう。


 けれど、美空先輩は違う。先輩は事実を知っている。夜属に伝えられた世界の真実を――。


 実のところはどうなのか聞きたくなったけど、それはしてはならない。

 僕と美空先輩の守る秘密の扉は見つけられてはならないし、ましてや開かれることなどあってはいけないのだから。


 多分、美空先輩だって僕と同じ考えだろう。

 だから実の妹である美星ちゃんに対してもそっけない態度を取っているのだろうと思う。


 僕には、わかっている。

 僕たちの正体が知れた時、傷ついたり危険な目にあったりするのは僕らの身近な人たちなのだとわかっている。

 だけど、僕らはあまりに置いて行かれる人たちの気持ちを考えなさすぎなのではないだろうか。

 それとも、これは疑問の姿を借りた望郷なのか。

 二度と戻れぬ僕の、弱さなのだろうか。


「早いのね」


 澄んだ声。美空先輩だ。


 凄い。

 何が凄いって、普通ワンピースの水着がここまで似合う人ってモデルでもない限りそうはいないだろう。ビキニよりも誤魔化しの効かない難しい水着だっていうのに、似合いすぎだ。

 それにこんなに着やせする人だなんて思わなかった。でももっと凄いのは、それでいてなお「清楚」さが失われていないってことだろう。


「そ、宗哉……くん」


 そんなふうに恥じらうのは反則です。


「…………先輩」


 ごくっと喉が鳴ってしまう。

 その儚げな仕草は、人狼でなくたって心のケモノが騒ぎ出しておかしくない。

 きっと、こんな様子の先輩を見ていたら、裁判官だって僕のことを情状酌量してくれるに違いない。

 この場で後ろから抱き締めて、手折ってしまいたくなる。


「そうやって鼻の下を伸ばすの、先生、あんまり感心できないわ」


「わあっ!」


 慌てて先輩の水着姿から視線をはずした先にそれはあった。


「は、犯罪だ……」


 たわわな胸をこれでもかとばかりに強調した水着はまさしく犯罪だった。

 というか、あくまで引率という立場からしてそのような水着姿を生徒に披露するというのは、聖職者としてどうなんでしょうか?

 いや、もちろん鑑賞させていただくこちらとしては微塵も問題なんてないんですけど。


 微妙に、委員長の視線が痛かったりするけれど、そんな細かなことを気にしていてはいけない。この照りつける夏の太陽がすべて悪いのだから。そう、決して僕が悪いのではなく。

 ……いや、そんなに怖い顔しないでくださいよ、委員長。そのワンピースの水着はよく似合ってますから。


「ま、いいわ。今回の目玉はなんといってもつぐみなんだからね!」


 小さくため息をついたかと思うと、委員長は後ろへと視線をやる。

 そこにはふかふかの白いバスタオルを身体に巻きつけたままのつぐみの姿があった。

 ほどよく焼けたトーストみたいな肌とのコントラストがやけに綺麗だった。


「つぐみ、何やってるのよ。はやくこっちへいらっしゃい」


「だっだって……やっぱりダメだよぅ……」


「この日のために折角一緒に水着選んであげたのに隠れてちゃ意味がないでしょ」


 腰に手を当てた委員長が、呆れたと言わんばかりにため息をつく。


「こういうのって、なんか出て行きにくいよ……」


「大丈夫だって! 自信を持ちなさいよ!」


「うう、でもぉ……」


 泣きべそをかきながらバスタオルで身体を隠そうとしているけど、つぐみの身体を覆うには小さすぎだ。その大きさじゃ隠せるところといったら肩から上くらいで、太股とかお尻とかは隠しようがないだろう。


 手や足の長さとか、顔カタチとか以前に、その生命力ではち切れそうな肌とか、なお有り余って放射される磁力のような精気とかは布きれ一枚程度で到底隠しきれるものじゃない。


「この後に及んでデモもストライキもないでしょ! さーっ、観念しなさーいっ!」


 委員長がつぐみの手を引くのと同時に、バスタオルに手をかけた。


「ひゃあああ!」


「さあ、どう? 狭山君!」


 委員長はつぐみから剥ぎ取ったバスタオルを手に得意げである。


「あ……」


 まるで素っ裸でぽいっと放り出されたような格好のつぐみ。

 もうタオルを取り上げられてしまって仕方ないから両手で懸命に身体を覆っているけど、隠しようもないっていうか、むしろその仕草に可愛らしさはつのるばかりだった。


 つぐみの水着はビキニだった。

 オトナの綾乃ちゃんにしか許されないアイテムだっていうのに、どうしてこんな……

 こんなにも……

 認めたくはないけど、はっきりいって似合いすぎる。いい具合にこんがり焼けた肌なんて、本当に焼きたてのトーストの匂いがしてきそうだ。触れなば落ちん果実の風情とはこのことだろう。

 これでは人狼の僕じゃなくたって本当にかぶりつきたくなる。


「いっ、いや……」


 しゃがみ込んだつぐみがますます、小さくなる。

 まずい。僕の視線がちょっと熱くなりすぎてしまったのだろうか。

 落ち着け。相手はつぐみだぞ。つぐみ相手に何をドキドキしているんだ僕は。そもそも、つぐみの水着姿なんて見慣れているじゃないか。だいたい相手はつぐみだぞ、つぐみ…………。


 ……でも、よく考えてみれば。

 僕は、こいつと……


 ……したんだ。


 ダメだ。このままだと心音がつぐみに聞こえてしまいそうだ。こうなったら――


「たあっ!」


 飛び込んだ。

 水はかなり冷たかったけど、今の僕には丁度いいぐらいだ。


「ダメじゃない、いきなり飛び込んだりして。ちゃんと準備運動をしないといけないんだからね!」


 この際、委員長のツッコミは無視することにさせてもらう。


 僕が飛び込んだのをきっかけに、みんなもそれぞれ川へ入ってきた。

 素知らぬふりでみんなから距離を取るように泳いだのは、無様なぱんつの中の状態を悟られる訳にはいかないからだ。


 黛と視線が合った。ニヤニヤ笑っている。

 ……どうやら僕の状態に気が付いたのはあいつだけだったらしい。

 とほほ。

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