第12話 7月28日 長老たち[三人称視点]
闇がある。
人の世の常の闇ではない。
黒よりも濃く、翳よりも重い。
怪の世の闇である。
ぽっかりと闇に灯がともる。
五寸はあろうかという大きな蝋燭の火が、自分の周囲の闇だけを切りぬいて赤く塗り替えたように、煌々と燃えている。
蝋燭の周りには男が集っていた。
畳敷きの床らしい。
明かりを中心に車座を描いている。
三人は老いていた。
一人は若い。
闇は男たちにねっとりと絡みついている。
男たちは闇にゆるりとあぐらをかいている。
男たちは人の姿を取るが、人ではない。
人の姿は人に混じるための偽りである。
男たちは闇を苦もなく見通す目を持っている。
男たちは鋭い爪や牙を隠している。
夜属と、そのように男たちは呼ばれている。
「忌……よなぁ」
最初の男が、闇のどこからか声を発する。
闇に沈んでも姿が目には映るというのに、どこかが何処とはわからない。
わからぬどこからか、岩が口を開いたらこのような言葉を話すのではないかと思われる、こもる声を響かせている。
「忌じゃとも、忌じゃとも。上手く隠しておろうがよ。なんの隠せることがあろうか、あやつらめ」
第二の声が、やはりどこからか響き渡る。
「死んでおろうか」
「そうじゃろうとも。死んでおろうよ、幾人もな。忌憑きは大勢殺しよるよって」
「おうさ、おうさ。犬塚のいうことなら間違いあるまい。犬の手勢はたいそう鼻がききおるでなぁ」
第三の声に混じった揶揄を、鋭い声が聞きとがめる。
「何を言いよる、河童ごときの分際で。えら付きはせいぜい川底をさろうておるのが似合いじゃわい。
「抜かしおるかよ、犬ころ風情が!」
「まま、ここはお互い、穏便に計られますようお願い致しますよ」
最後の声が間をとりなす。
「さように声を荒げられましては、仕儀に合わせましたる今宵の宴が台無しになりましょう」
声には張りと艶があった。
若い声である。
若いが、少年とは呼べない。
青年、というのも少し過ぎかけた声。
そのような年の頃の声である。
「とまれ、忌に憑かれるものどもが……近頃いささか多すぎますな」
「なぁになぁに。我ら夜属が歴史の前より忌を狩りて幾星霜。古き記録を紐解けば、かようなことは吐いて捨てるほどあろうものよ」
「かもしれず、さにあらずやも」
「ふむ。この
「さてさて。単に人の世の澱と淀みの濃くなっただけのこととも申せましょうが。幾星霜、狩りを続けていながらに、我らは忌にあまりにも無知」
「――よし」
岩が再び口を開く。
「いずれ〈
「あれがよかろう。〈
「七世の〈銀〉ならばよかろうよ、よかろう。年寄りはあかぬ。あれがここいらではいっとう若い」
「なるほど、あれには仔もおります故、適任かと存じます」
「ここは我らの
ふるり、と炎が身をすくませた。
美空は月を浴びている。
雲間から夜気に混じる、やや欠けた冷たい月を浴びている。
美空は白く浮かんでいた。
白染めの単衣に、緋袴。
浮かぶ月船の雫に染まり、ほの白く濡れている。
美空は巫女のなりで嘉上神社の境内に上り、ぬるい風に長い髪を遊ばせていた。
「それで――」
と、刃のような冷ややかさで、促す。
石灯籠の影には男がいる。
痩せた男だが腰は曲がっていない。
くたびれた藍染めの着流しを引きずっている。
一本歯の下駄を履き、山羊のようなあごひげをたらしている。
長い間風に晒されたようにくたびれた服を着た、年からして随分くたびれた男である。
くたびれた男の、右目だけが歪であった。
閉じたままの右の目蓋は、二度と開かぬように糸で乱暴に縫いとめられていた。
梨田は人ではない。
人ならぬもの、人外の化生だ。
人狼と呼ばれるけものである。
「聞いた通りじゃよ」
「〈会〉も近いというのに、長老衆は面倒ごとばかり押し付けてくれること」
「七世〈銀〉」
〈銀〉、と梨田は美空を呼ぶ。
七世〈銀〉――。
それが、美空の継いだ字名である。
「どれもそれもやむなきことよ。ついぞ時代は変わり、夜属も衰えた。力ある若い者は、随分、少のうなってしもうた」
「昔語りの頃とは違うのでしょう」
美空は寂しげに応じる。
「いかにもな」
感情のこもらない声だった。
「人は夜を追い立てた。しかれども澱は濃くなり淀みは溜まる。わしのような老いぼれがいつまでも牙を研いでおかねばならぬご時勢じゃな」
夜雲が速い。
速く、厚く、走っている。
ひと雨来る、そのような匂いが夜風に混じる。
「繰言など、いまさら」
「今となっては天耳の神通を持つものは、わしの知る限り主の仔だけだ。此度の始末、くれぐれもよしなにな」
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