第4話 7月 リポート[三人称視点]

 男はよく冷えた店内を横切り、案内されたソファーに座る。

 貼り付けたような笑顔を見せる店員にセットメニューを注文すると、男は鞄から取り出した本を読み始めた。

 彼を見つめているものがあったとしたら、その一連の流れに一切の無駄がなかったことに気がついただろう。


「ここのところ活発なのが一体いる」


 ほどよく抑えられた流行のポップミュージックにまぎれて、ほとんど聞き取ることはできそうにないほどの声だった。


 声の主は、彼と背中合わせに座っている女性のもの。ぴっちりとした皮のライダースーツに身を包んでいる。


「被害状況は?」


「13件」


「期間は?」


「ここ一ヶ月」


「危険だな」


 これだけ短期間に一体の忌が捕食活動をするのは珍しかった。

 個体差もあるが、多くの場合は一月に一体程度の『食事』をすれば十分であるという統計がとられている。それゆえ、この数は異常だと言えた。


「繁華街を中心に発生しており、被害者にも一定の傾向が見られる」


「こちらでも夏休みに入る前に話は出た。一般人も相当不安がっているようだね」


「承知している」


「それで成果は?」


「……芳しくない」


 女の顔がわずかに歪む。それは己の無力さと現状を変えることのできない悔しさを表している。


「この方面に展開している部隊の大半をぶつけたのにもかかわらず?」


「そうだ」


 この一帯には相当数のエージェントが送り込まれていた。監視任務だけではなく、戦闘任務に特化した部隊もいる。それをして撃退に失敗したという事態はかなり危険な状態であった。


「それは……厄介な相手だね」


 彼ならずとも、ため息のひとつも漏らしたくなる事態である。


「現在は人員の補充をしている。私と入れ替わりにお前にはFシリーズが接触してくるだろう」


「へえ。〈連祷〉も懐刀をよく出す気になったね」


 男は目を落としていた本からわずかに視線をあげた。


「それは関係ないだろう。必要だからもっとも適した人材を派遣する。そこに感情が介在する余地はない。ただそれだけのことだ」


「たしかにそうだった。それで人員が揃うのは?」


「一両日中には。だが、増員は二度目となるし、コボルトの対応に遅れが出ているので、まずはそちらからになるだろう」


「彼らには、ろくな準備もせずによくやったと誉めてあげるべきだろうね」


「それで失われた人員が戻ってくるのならばいくらでもしてやるさ」


 女性は冷たい声で水のお代わりを要求した。


「悪かったよ。それで、シオマネキはしばらく監視にとどめる?」


「そうなる。少なからず打撃は与えてあるから、派手な行動にしばらくでないだろうというのがこちらの読みだ」


 それを聞いて、男はわからない程度のかすかなため息を漏らす。


「おとなしくしてくれていればいいけどね」


「最低限の監視はつけておくさ。それに、いざとなればFシリーズも出る」


「伝説のA級エージェント様ってね。実力は本物だといいね」


「そうだな」


 A級エージェントは単独でUCPPとやり合える数少ない存在だ。

 彼らが加わることで状況は大きく変化することになるだろう。


「ところで、Fシリーズ初の実戦投入となった井吹野の一件と今回の派遣との関連はあるのかい?」


「関係はないだろう。基本的にそれぞれの役割は重複していない」


「おやおや。複数派遣するってことか。この地域はよほど重要度が増しているんだな」


「人外のものは人外のものを呼び寄せるということだ。もっとも、我々とてご多分に漏れずだが」


「なるほど」


「それで、内部の状況は?」


「報告書通りだよ。目立った変化はないな。もっとも、夏休み中にどうなるかまでは僕の両手に余るのは理解してもらいたいね」


「担当は?」


「鬼子とその周辺。今月の末にはダムへ行くことになっているからフォローをよろしく。

 ……そうだ、その鬼子が生まれた経緯が知りたいんだけど、何か情報を持ってる?」


「不明だ。それはUCPPはどこから来て、どこへ行くのかと同義の質問だから答えようがない」


「人は? 〈伽藍〉は? 夜属は?」


「わからんな」


「人間は考える葦じゃないのかい?」


「考えるのは私の仕事ではない。今の私はただのメッセンジャーだからな。そんなものは研究所ラボの連中がやれば十分だ」


「なるほど。

 ところで、シルバーとの一件。やりあうなら事前に連絡が欲しかったな」


「私に言うな。遭遇戦だ。避けられなかったとの報告はお前も受けていよう」


 6月末、美空とアンヘルは戦火を交えている。

 時間の流れにもしは存在しないが、仮にこのときに美空が頭部に損傷を受けていなければ、新たな人狼の誕生はなかっただろう。


「わかっているけどさ、後始末するこっちの身にもなってもらいたいものだね」


 残された血痕、破壊された施設の修復などは誰かがやらなければならない。そしてそれは、潜入をしている彼にとっては骨の折れる仕事であった。


「状況の変化を最低限に押さえ込むのも任務の一環だろう」


「たしかに」


 結局、イレイザー部隊によって夜の痕跡は完璧に隠蔽されていた。彼の任務はいまだ継続中だ。


「それで、シルバーの様子はどうなのだ?」


「どうって、普通のようだけど? これといってトラブルを起こしているわけじゃないし」


「羊の群れに狼がいることに誰も気がついていないということか。平和なことだ」


「上手に羊の皮を被っているんだろうさ。もっとも学校では少し浮き気味ではあるけどね」


「人間はもともと差別意識が強い。自分たちと異なるものを敏感に察知し、より分ける。それが人間の強さでもあり、同時に弱さでもある」


「至言だね」


 口元をわずかに歪めると、男は冷えたアイスティーを口に含む。


「それで、鬼子が生まれたことによる夜属側の変化は?」


「定例の儀式とやらがあるのだろう。もっとも、その具体的な予定までは知らんよ」


「たしかにそれは言えるね。そうすると、彼はこれからどうするんだろう?」


「本人に聞いてみたらどうだ?」


「嫌がらせにしてはあまり上等とは言えないね」


「ふん」


 女は鼻を鳴らすソファーから立ち上がった。

 はらりと肩で髪が揺れる。

 男を後に残し、ライダースーツの女はファミリーレストランを後にした。

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