第16話 9月25日 奥の手[三人称視点]

 今日も夜の町に繰り出す。

 アンヘルは人類社会の守護者である。それゆえ、日常に発生する些細な綻びを修繕しなければならない。たとえば、そう、UCPPによる痕跡の隠蔽などだ。


 大規模な動きは見られていない。それは事態が収束に向かいつつあることを意味している。

 アンヘルは、UCPP――忌の排除・隔離・殲滅を行い、後始末を行う。


 接触者への感染がないか、地域住民への影響を抑え、場合によってはケアする。

 それには膨大な時間と労力を必要とする。

 しかし、それは誰かがやらなければならないことだった。そのためにアンヘルがある。


 近頃は町も落ち着きを取り戻しつつあった。

 UCPPによる影響――捕食――により槻那見町では理由不明の死者・行方不明者が続発していた。

 たしかに、UCPPはひかれあう傾向がある。夜属が忌を狩るために活動をしているので当然といえば当然であった。


 しかし、過去にこれほど症例が重なり合うことはなかった。

 そのためアンヘルではなにがしかの意図が隠されているのではないかと考えている。そうでなければ5体以上の忌が同時期に存在しえようはずがない。


 汚染は比較的広範囲に渡っていた。

 それゆえ、カナリーの護衛であった○○も他のエージェントにつけて行動させていた。

 A級であるカナリーは単独でエージェント10人以上の働きができる。カナリーとて、アンヘルにおいては一つのコマに過ぎない。


 最初に出会った場所――公園にカナリーが立つと、ソレがゆっくりと像を結んだ。


「また会うたな」


「ええ、わたくしがそなたとの会話を望んでいるのですから当然でしょう」


 ソレは自らを『天女てんにょ宿やど』と名乗った。正確には人々にそう呼ばれていたらしく、自らの名は存在しないのだと言う。


 天女の宿――かつて民の願いを叶えた怪の存在は記録に残されている。

 人間の強欲は深い。いつしか天女への要求はエスカレートしていき、自らの幸福ではなく、他者への不幸を望むようになる。

 互いの願いが叶えられた結果は破滅のみ。


 事そこへ至り、夜属が思い腰をあげた。

 当時の竜神が天女を鏡に封印したというのだ。

 民の願いを叶えるだけであった天女は、それを甘んじて受けたのだという。


 封印され、長い月日が経過した。現代に目覚めた天女の宿は世界の情報を欲していた。

 その意味で、カナリーは適任だっただろう。なにしろ、彼女には世界のすべての記録を保管している無限図書館とリンクしているのだから。


 幾たびかの会話を通じて、カナリーは天女に人を害する意思がないことを読み取っている。ただ存在することだけを望むとは本人の弁だった。

 実際、天女のほうからカナリーに対して危害を加えようとしたことはない。


 たしかに、彼女は人類に害を及ぼす存在ではないかもしれない。しかしながら、カナリーは天女をこの世界から排除しなければならなかった。

 天女の存在により人が夜の世界に興味を向けないとは限らないからだ。


 だから、あらゆる手段で排除を試みた。

 しかしそのいずれもが失敗に終わっている。


 理由は有能なる無限図書館の司書、ルーターをしても判然としなかった。即ち、これまでの人類の歴史において排除に成功したことがないということを意味している。


 結論として導き出されたのは、位相の相違による接触が不可能だからではないかとされた。

 たしかに、結像する位置が異なれば、姿を見ることができても接触はできないかもしれない。

 だが、それならばなぜ、小泉真子と天女が共にありえるのかという疑問が残る。


えにしがあるのです」


 そう天女は言う。

 本来、彼女との縁があるものだけの望みを叶えていたらしい。

 ならば、天女と真子の間をつなぐ何かが存在していることになる。


 どのような手段によるものか、確実に天女は真子の身体を自由にしている。

 おそらくは真子の意識が失われているとき――睡眠中などにその身体を使ってこの世界を徘徊していた。


 目的はただひとつ――今の世界を知るために。


 そこに真子の意思が介在しているかは不明だ。

 自らの意思により現状があるのならば、これまでの接触によってカナリーはなんらかの片鱗を見抜いていたはずである。

 しかし、それはない。感じ取れていない。むしろ自らの状態すら理解していないだろう。


 負荷は確実にかかっている。

 無論、本人の生活リズムの乱れなども原因だが、このままの状態が続くことは必ずしも望ましくはないだろう。


「うちの役割はこれまでに話したとおりや」


「ええ、承知しております。しすてむというものを守護しているのですね。世界を守るために。そのためにはわたくしのような存在はあってはならないということも」


 天女は聡明だった。

 カナリーが語ることをすべて吸収し、的確な疑問を投げてさらに理解を深める。

 カナリーの役割とアンヘルにおける彼女の立っている場所を理解したうえで、会話を欲していた。


「理解しているのなら文句はないやろ。うちはあんたを排除する」


「残念ですが、わたくしにはやらなければならなぬことがございます。あなたの希望にお応えするわけにはまいりませぬ」


「交渉、決裂やな」


「誠に残念なことです。あなたはわたくしの考えを理解した上でなお行動に出るのでしょう。なればわたくしも自らの存在を守るため、全力でその火の粉を振り払うことにいたしましょう」


 相対することが決定したカナリーは次の一手を繰り出すことに躊躇いがある。

 これが通じなければ、おそらく超マイクロウェーブの照射すら効果をあげることはできないだろう。それはすなわち、アンヘルの敗退というである。


 銃による攻撃は点である。

 剣による攻撃は線である。

 これらは通用しない。

 ならばどうするのか?


「!」


 瞬時の迷いが勝敗の分かれ目だった。

 首筋に違和感を覚える。天女の周囲を舞っていた布だ。痛み。喪失感。袖口に隠してあるナイフを振りかざす。戒めを振り切る。身体を左前方に飛ばして距離をとる。愕然とした思い。孤独感。


 カナリーは上着のポケットから素早くライターを取り出した。

 スイッチを入れると、瞬時に周囲が赤く染まる。

 ナパームオイルによる簡易的な火炎放射器の空間攻撃が通用しなければ、位相の壁を突破できない限り有効な攻撃手段が存在しないということになる。


「どうやっ!?」


 その紅蓮の炎を切り裂くようにして風が迫る。


「くっ!」


 上体をひねってそれをかわそうとするが、わずかに遅かった。ざっくりと服が切り裂かれる。


 いまだに空間は炎にさらされ続けている。


 一歩足を後ろに引きながら銃を取り出し撃つ。効果は期待できないが、今のカナリーにはそれ以外に繰り出せる攻撃手段が存在しなかった。


 全弾を撃ち尽くし、スライドが下がる。

 マガジンを交換して再び構える頃には炎は収まっていた。

 そこにはなにものも存在しない。熱源センサーにも反応はなかった。


『ルーター!』


 反応はない。カナリーが稼動を始めてから常にそこにあったものは失われていた。


 首筋には通信デバイスがあった。この機能が麻痺した以上、カナリーは他のフォスターとの連絡が絶たれることになる。

 負傷よりもこちらのほうが深刻だった。


 カナリーには目覚めてから常に自分以外の誰かの存在があった。

 それは指揮官タイプのアシュレイコンダクターであり、殲滅タイプのブリジットアルカンヘルであり、統括タイプのハイジルーターである。彼女らは元は同一の存在であり、それぞれの役割を分担していた。


 わき腹の傷とて決して軽いわけではない。

 痛みはある。痛覚を遮断することは可能だが、それでは自己の状態を正確に把握することができなくなる。

 痛みとは人体に必要な情報をもたらすものなのだから、ただカットするというわけにはいかない。


 出血が多い。止血をしてしかるべき処置を受けなければ遠からず機能停止する。

 このままではエージェントとしての使命すら全うすることができないだろう。


 今日に限ってカナリーのフォローは存在しない。それゆえ、これからの事態を単独でクリアする必要があった。

 最優先事項は連絡を取ること。だが、この負傷レベルでは長時間の行動は命取りとなりかねない。


 それでも、カナリーは通信システムを求めて動き始めるしかなかった。

 どのみち彼女に残された選択肢はそれしかなかったのだから。

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