s55裏切り

第1話 9月6日 夏の記憶

 夏の日の夢を見た。

 とても蒸し暑い、夏の日のことだった。


 ひび割れ、飛び散ったガラス。その中には朱に染まった破片もかいま見える。

 それから、遠くから聞こえてくるセミの鳴き声。


 あちこちからじんじんと悲鳴があがり、どうしようもない痛みが熱を伴って身体全体を包み込んでいる。

 運転席の母さんは、まるでハンドルを抱え込むように乗り出し、だらりと手を放り出していた。


 あの時、僕は何を理解していたのだろう。

 ただ痛くて、何もわからなくて、とにかく母さんに助けを求めた。

 でも、僕をいつも守ってくれる母さんは、運転席でぴくりとも動かないで。


 目に映るすべてのことを僕は、とても理不尽で納得ができず――愚かなことだけど――怒りにも似た感情を、持った。


 意識はゆっくりと薄れていこうとしていた。

 今にも途切れそうになる意識を繋ぎ止めようと空を見上げると、そこにはびっしりと蜘蛛の巣が張っていた。

 その白くなったフロントガラス越しに、僕は確かに少女を見た。


 ただ、僕たちを乗せた車の前に佇む、少女を。

 黄昏色の服をまとった少女を。

 オレンジがかった陽光に浮かぶ華奢な少女を。


 鮮やかな色彩を伴って、僕は憶えていた。


 けれど、もうそれはただの記憶に過ぎない。

 時間が経つことで、その記憶に縛られ、悩み、深く沈むことはなくなった。

 最近ではもう滅多に思い出すことさえない遠い記憶に過ぎない。

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