第12話 8月21日 戦果なき勝利、失地なき敗北[三人称視点]

「……何分保つのです、ルーター」


《十分弱――》


 何を、が省略されたコンダクターの問いに、ルーターはそう答えた。

 この後に及んで、彼女が猶予を求めることなど、他にありはしない。


「十分か――聞こえたか、我が妹よ。私の声が」


『回線正常――』


 姉の問いに、妹が答える。


「アヴェロン・ツーの離脱はそちらからでも確認できるか」


『イエス、コンダクター。九時方向に向け離脱中』


「では、今からお前とサヤマ・ソウヤとは二人きりだ。お前の全てを――持ちうる全てを、見て貰うがいい。心ゆくまで――命尽きるまで彼に刻みつけろ。

 戦闘機動だ、『ブリジット・フォスター』!」


COPY了解――』


 心なしか、彼女らの末妹の声は弾むようだった。


《やったぞ……》


 コンダクターの呟きは、彼女にしてはいささか抽象的だった。


 作戦成功、でもないし、戦果確認でもない。

 事実、そのどちらでもない。彼女の作戦ならば失敗したし、タイプ・ウルフの一人も倒したわけではない。


 ――ソウヤがもし人獣化してしまったならば、

   ミソラはソウヤを殺さなければならない。


 ――もしそうなったならもう、ミソラに生きて

   いく力は、残っていない――。


『ウルフになってはいけない。宗哉くんのままでいて――』


 そうアヴェロン・ツーは日本語で訴えていた。


 あの子――カナリーブリジット・フォスター――がどう傷つけても、アヴェロン・ワンはウルフになろうとはしなかった。

 ここまでの事態を総合すれば、この情報が――そしてこの情報を信じたブリジットが正しかったと思えてくる。そのことが、嬉しい。


 そこまでことが上手く運ぶとは、コンダクターもブリジットも思ってはいない。

 カガミ・ミソラがサヤマ・ソウヤを殺すとは、どう考えても思えなかった。


 ヨルゾク――ナイト・ワンズというほどの意味になる――の掟などよりも遙かに強い絆を、彼らに感じる。

 恐らくルーターも同意見だろう。


 だが、コンダクターはこうも思った。

 勝ったのだ、と。


「やった」という彼女の呟きはつまり、ブリジットが成功し勝ったという意味なのだ。

 ブリジットの願いが、叶った。

 そういう意味だった。


 しかし、神は、辛辣だった。

 そう。〈伽藍〉は犬神と――この土地の神と戦っているのだ。


ナンバーテン最悪だ……アヴェロン・ツー、ラプンツェルに接近中――」


 CIC担当の誰かが呻く。

 報告というようなものではなく、事の最悪さ加減に思わず声に出た、というふうだった。


 ラプンツェルとは、囚われのミワ・ツグミの暗号名だ。

 ミワ・ツグミの写真資料を検索する限り、彼女の髪は囚われた塔乙女の髪にたとえるには短すぎる。


 信じ難い、真に信じ難い話だが、ベリ-ショートに近いショートの彼女は、髪に変わる何らかの手段で、王子に助けを求めることができるようだった。


《ラプンツェルとアヴェロン・ツーを接触させてはなりません》


「移送にあたる兵が危険です、ルーター。アヴェロン・ツーに察知されれば歩兵の速度で追尾を振り切ることは不可能です」


 では、どうする。どう切り抜ける?

 コンダクターの言うことは正しい。正しくないわけがない。

 英雄的勇猛心でラプンツェルを連れ出したとしても、即座に補足されるだろう。


 コンダクターの作戦能力は特化したものだ。

 ブリジットが戦闘端末ならば、前線から送られる戦闘情報をストックし、〈伽藍〉――いや、人類が経験した古今の戦例に照会することができる。

 同時並列で思考し、分析し、最良の判断を下すことが可能な彼女は、いわば作戦端末だった。

 戦闘に関しては彼女に任せてしかるべきなのだ。


 しかし、コンダクターの判断はあくまで、戦闘において最高最大の効果を求めるものだ。それが〈伽藍〉の存在意義を侵すものであってはならない。

 より高度な責任ある判断はルーターが下さねばならない。


《兵の危険はわかります。しかしラプンツェルを放置し危険に晒すこともできません。他のオプションはないのですか? コンダクター》


「ヤー、ルーター。オオカミには、罠が常に最良です。例の小屋の左右後方両翼に機関砲陣地を隠蔽し火力阻止線を張ってアヴェロン・ツーの足を止めます」


 策とはつまりこういうことだ。

 ラプンツェルの捕らえられた塔ならぬ小屋がある。アヴェロン・ツーが向かってくる。


 アンヘルたちはアヴェロン・ツーの前には立ち塞がらない。相手は戦車や戦闘ヘリよりも危険なタイプ・ウルフなのだから、そのような作戦は指示できない。


 アンヘルは小屋の背後に隠れ、毎分千発の水冷式12.7ミリ砲を扇状に連ねて待ちかまえる。そして、アヴェロン・ツーが射線に入ったら、一斉に射撃する。


「よしんば阻止できずとも、タイプ・ウルフの獰猛な性質から、目標は矛先を我らに向けるでしょう。我らが交戦する間に、ラプンツェルを移送するのです」


《わかりました。許可します》


 この時には、最良の作戦に思えた。

 正面に立ち塞がったところで兵の損害が増えるだけのことはルーターにもわかるし、戦闘例を見ても確かにタイプ・ウルフは攻撃に対する反撃を優先する。


 ラプンツェルは安全だし、何丁もの砲から一斉に射撃されれば、どんな生体も粉々になる。

 ルーターには、正しい作戦だと思えた。

 この時には。

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