第9話 7月1日 美星と友人
下駄箱で靴に履き替えて外へ出る。
途端に太陽のまぶしさに目を細めた。日差しだけならもう立派に夏だった。
地面にくっきりと落ちる影が、日差しの強さをこれでもかと物語っている。どうやら今年も暑い夏になりそうだ。
校門の所に見慣れた二人が立っている。
一人はこの暑いのに長い髪を頭の横で二つに束ねた女の子で、もう一人はとても小柄で肩の辺りで揃えられた黒髪が印象的だ。
「やあ、奈津美ちゃんに美星ちゃん。二人ともこれから帰りかい?」
長い髪をツイテンテールにしているのが
二人とも僕の一つ下で、加賀高の後輩にあたる。ちなみに二人は同じクラスだったりもする。
「うっす! 先輩もこれからご帰宅でありますか」
ビシっと奈津美ちゃんは最敬礼。いや、そんなにしゃちこばらなくてもいいから。
そういえば、この暑いのに奈津美ちゃんはルーズソックスをはいている。水虫とかにならないんだろうかとちょっと心配だ。
そんな元気な奈津美ちゃんの隣で、美星ちゃんは柔らかく微笑んでいた。
美星ちゃんはこのあたりに住んでいる人だったら誰でも知っている嘉上神社の娘さんだ。おまけに、現役の巫女さんでもある。
きめ細かい白い肌と、濡れ羽色の髪が巫女さんという神秘性をこれでもかと醸し出す美星ちゃんの姿は一見の価値があるだろう。
そういえばなぜだか美星ちゃんは僕のことを「お兄ちゃん」なんて呼んでくれる。ちょっとこそばゆいけれど悪い気はしない。
ちなみにこの二人、アクティブ系とおっとり系で随分と性格が違うんだけど、だからこそ馬が合うんだろう。とても仲が良かった。学校ではいつも一緒にいるところを見かける。
暴走しがちな奈津美ちゃんを困った顔で止めようとする美星ちゃんという構図はお決まりのパターンだった。
「今日はバイトじゃないんですよね?」
奈津美ちゃんは僕がアルバイトをしている喫茶店の常連さんだから、僕の働いている時間まで把握しているらしい。
「うん、テスト前だしね。二人とも、テスト勉強はちゃんとやっているかい?」
奈津美ちゃんは「うっ」と唸ると途端にしょんぼりとした顔になって、慌てて美星ちゃんがそれを励ましている。どうやら、奈津美ちゃんはあまり勉強が得意ではないらしい。
「あ、あの、気晴らしに喫茶店へ行きませんか?」
落ち込む奈津美ちゃんを上手くフォローできなくて困ったような美星ちゃんがそんな提案をする。
「もしかして、タラモア・デューに?」
僕のアルバイト先だ。
「はい」
美星ちゃんはにっこりと笑みを浮かべる。
いや、別にいいんだけどね。ただバイト先にお客として入るのはちょーと気が引けるというかなんというか。
「……あ、そういえば、今日から新しいパフェのメニューが加わる予定だっけ」
あのオーナー兼マスターの作るメニューは独創的だ。特にパフェに対するこだわりは異常と言ってもいいかもしれない。
くわっとばかりに奈津美ちゃんが勢いよく顔をあげると、両サイドの髪がぶわさとばかりに広がって美星ちゃんの顔に当たった。
なんていうか、奈津美ちゃんのその髪はすでに凶器と言ってもいいかもしれない。
「人生には息抜きが必要だと昔のエライ人が言っていたような気がします! だから喫茶店へ行くの賛成っ! 満場一致! そしてあたしがそのパフェを食べる第一号になるのデス!」
すでに奈津美ちゃん自身も何を言っているのかわかっていないような気がする。
「と、いうわけで、さっそく行きましょう! 今すぐ、この辛い現実から逃げ出すためにっ!」
……それが本音なんだね。
提案をした美星ちゃんも困ったような顔をしていたけれど、既に奈津美ちゃんは移動を開始してしまっていた。
「どうしましょうか」
と、美星ちゃんはこくりと首を傾げながら。
「行くしかないんじゃないかな」
現実逃避を選択した奈津美ちゃんの背中はすでに小さくなろうとしていた。
僕のアルバイト先でもある喫茶店『タラモア・デュー』は、加賀瀬高校から近いということもあってこの時間帯は高校生でにぎわっている。
ここはコーヒーが美味しいことでちょっと有名だったりするけれど、それよりもパフェの美味しさの方が広く知れ渡っているらしい。そのせいか、お店のお客さんは女性のが多かったりもする。
ちなみにこのお店のマスターは
伯父さんは小さい頃から僕のことを気にいってくれていて、一身上の都合で父親と別居している僕の生活費の足しになるようにってことで雇ってくれている。
こうしてお客として席に座るのってなんだかこそばゆい。ひどく自分が場違いなような気がして落ち着かなかった。
僕の前にはアイスコーヒーが、美星ちゃんの前にはアイスティーが置かれている。幸いにして自分でいれたものではない。
そして奈津美ちゃんの前に鎮座ましましているのは、この店の名物でもあるパフェだった。改めてこう見ると、そのボリュームに圧倒される。
「大丈夫? そんなに食べてお腹壊さない?」
考えてみたら奈津美ちゃんはここの常連さんで、来るたびにこの系統のを注文してくれている。女の子は甘い物が好きっていうけれど、だからといってこのボリュームはどうなんだろう。ちょっと人としてどうかと思う。
「いやもう、ばっちオッケーっすよ!」
ビシとばかりに突き出される親指が微妙に震えているように見えるのは僕の気のせいなのだろうか。
「お夕食の前なのに、そんなに食べて大丈夫なんですか?」
いや、美星ちゃんの危惧はもっともではあるけれども、微妙に的が外れているような気がしないでもない。なんというか、ツッコミどころがちょっと違うんじゃないだろうか。
「甘い物は別腹なのよー」
そう宣言する奈津美ちゃんは、なぜだか泣きそうだった。それほど甘い物が好きなのかも知れない。それなら部外者が口出しすべきじゃないだろう。
「そういえば、美星ちゃんのお姉さんが帰ってくるって話だったけど、どうなのかな?」
美星ちゃんに水を向けてみる。
すると、ぱっと美星ちゃんの顔が輝いたかと思うと、少しだけ視線を彷徨わせて困ったような顔をしてしまった。もしかして聞いたらいけない内容だったのだろうか。
「あ、ごめん。あんまり立ち入って聞かない方がいい話題だったかな」
素直に謝っておく。
「い、いいえ、そのようなことはありません。姉様が戻られてとても嬉しいのです」
そう言うと、たしかに美星ちゃんは嬉しそうな顔をした。
「でも……長い間離れて生活していたせいでしょうか、なんとお声をかければいいのか戸惑ってしまいまして、まだあまりお話ができていないのです」
「……そっか。十年だっけ? それだけ離れて暮らしていたら話も合いにくいだろうねえ」
実感としてはよくわからないけれど、十年といったらこれまで生きてきた時間の半分よりもまだ長い期間になる。いくら血の繋がった姉妹とはいえ、話しにくいのだろう。
「でも、そういうのは時間が解決してくれると思うよ。姉妹なんだから仲良くしないとね」
「はいっ」
美星ちゃんの声が心なしか弾んでいるように思えた。素直な美星ちゃんの反応を見るにつけ、本当にお姉さんのことが好きなんだろうなと思う。
実際、お姉さんが帰ってくると知ってからの美星ちゃんのはしゃぎぶりはとても珍しかった。
普段はあまり自分を主張しない物静かな娘なんだけど、お姉さんの話題になるとキラキラと目を輝かせて話をしてくれる。
そんな美星ちゃんの様子がとても可愛くて、だから僕は美星ちゃんからお姉さんの話を聞くのがとても好きだ。
美星ちゃんの思い浮かべるお姉さん像というのは美人で、頼りになって、運動も勉強もできてというそれこそ本当に理想のお姉さんみたいな感じで微笑ましかった。そんなお姉さんだったら僕だって欲しいぐらいだ。
でも、美星ちゃんがお姉さんに対して本当に望んでいることはごくごく当たり前のことで、それが逆に美星ちゃんの想いをよりいっそう感じさせた。
一緒にご飯を作ってみたいだとか、買い物に行きたいだとか、学校へ登校したいだとか……美星ちゃんの希望は些細なことばかりだ。
美星ちゃんの家はお母さんがいないそうで、小さい頃から美星ちゃんが家事を担当していたらしい。お姉さんは修行のために外へ預けられてしまっていたから仕方がなかったんだろうとは思うけど、少し可哀想だなとも思ったものだ。
そんな美星ちゃんの望みが、ごくありふれたものばかりというのもなんとなく彼女らしくっていいなと思う。
僕の方も、勝手にどんな女性なんだろうと空想をしてみたりもした。美星ちゃんのお姉さんなんだからきっと美人なんだろうなとか。美星ちゃんみたいに小柄な人なんだろうかとか。
それと同時に、二人が仲良く暮らせることができたらいいと心から願った。
できれば、美星ちゃんの小さな願いは叶えてあげて欲しいとも思う。
しばらくはギクシャクしてしまうかも知れないけれど、そういったものはきっと時間が解決をしてくれるだろう。
時間によって生じてしまった溝は、時間によって解決できるものだと思う。
それに、美星ちゃんの素直でまっすぐな気持ちは絶対にお姉さんにも伝わるだろうし。
「うぃーす。ようやく完食っす」
机に突っ伏したまま、奈津美ちゃんがそう宣言した。たしかに、奈津美ちゃんの前に置かれている容器の中身は綺麗さっぱりなくなっている。
あの分量がすべて奈津美ちゃんのお腹の中に収まっているのを思うと……女の子っていうのはつくづく不思議な生き物なのだなーと思う。
「奈津美ちゃん、おめでとうございます」
ぱちぱちと小さな手で拍手をしながら、素直に友人の健闘をたたえる美星ちゃん。それに弱々しいガッツポーズで応える奈津美ちゃん。
なんだかとても微笑ましい。この二人の仲もずっとこうして続いてくれたらいいのになんて、僕はぼんやりと思っていた。
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