第7話 8月15日 夜の訓練

 狼は獲物を狩る。

 狩るためには狩られる側に回ってはいけない。

 美空先輩は、その絶対の真理を僕に諭す――夜毎の修練を通じて。


 光と影の狭間を獣が疾る。獣が跳ぶ。

 僕を追い詰めるのは流れる黒い髪と氷柱つららのような眼差しをした美しい獣。


 破れそうになる肺が悲鳴を上げている。しかし、先輩の白い肌には汗の玉一つ浮いていない。


「ようやく、頭ではなくて身体で動けるようになってきたようね、宗哉くん」


 くすりと、風の中に先輩の笑みが混じる。


「いくわよ――」


 銀色の閃光が視界に爆発した。


 拳。

 肘。

 掌。

 脚――一瞬の呼吸の虚を衝き、反撃に転じた。


「じゃっ!」


 繰り出した直突きが繊手に絡め取られる。古武術風の逆関節――流れに逆らわず、跳んだ。


 空中で前転して脱出する。

 地に掌を突くと同時に、反動を利して跳ね上げるような蹴りを放った。穿弓腿せんきゅうたいと呼ばれる中国拳法の技らしいけど、そんな知識は僕にはない。「狩り」のための本能に導かれた自然の動きだ。


 ガラスの顎を突き上げるはずの爪先は、何もない空を突き抜けた。

 ぞっとする――尾底骨の先まで。


 瞬間、僕の身体は一回転し、背中から大地に激突した。


「かはっ――」


 衝撃に、呼気が肺から絞り出される。


 見開いた視界に、銀色に輝く狼の爪が映った。


 死――目を閉じることも許されなかった。

 ナイフよりも鋭利な輝きは、僕の両目を抉る寸前で静止した。


 銀光は消え、代わって蒼く輝く瞳がじっと僕を見下ろす。


「言ったはずよ――あなたの能力は未来を聴くことができる。それはすなわち、未来を知るということ。それを使うことを常に意識しなければ駄目よ。今のような戦い方では――いずれ死ぬわ」


 先輩の声に失望の色を感じ、僕は落胆する。

 やっと半身を起こすことができた僕を一瞥し、先輩は背を向けた。


 美空先輩の背中――長い黒髪に月光の微粒子が輝いて、それはまるで天女のように美しかった。

 僕にはそれが、とてつもなく遠い存在のように思えた。

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