第3話 9月24日 協力関係2[他者視点]

 まだ明るい空を見上げる。

 高く澄んだ空にはうっすらと雲がかかっていた。そういえば、最近は忙しくてろくに空を見たこともなかった。どうりで、ため息も増えるわけだ。


 はぁと息をつく。

 いけないいけない。またため息をついてた。


 なんだか最近は自分が自分じゃないようなことが多いような気がする。

 自分の身体が自らのコントロールを離れているといえばいいんだろうか。どこかしっくりこない、もどかしい感覚。

 そのくせやたらと運がいいとくれば、今の状況を楽観視できようはずもない。


 それは、やはりつぐみの言う生活環境が変わったことによるストレスなんだろうか?

 それが一ヶ月近くも続いているとしたら、かなりの重症なのかもしれない。

 ガラスを通して世界を見る感じというのは、訳もなく私をいらつかせた。


 ファミレスは駅から少し行ったところにある。学校からだと歩いて10分というところだ。


「お、また会うたな」


 美人で黒衣の大食漢がそこにいた。


「実はな、嬢ちゃんに話があるんやけど、バイトが終わるまで待っとるから時間くれへんかな?」


 そう言ってテーブルの一角を占めた彼女はメニューのすべてを制覇するかのようによく食べた。ケーキ屋で見たあれは幻ではなかったらしい。




 食後のコーヒーをすする彼女の前に座ってすでに5分が経過している。

 なんていうか、すごく場違いな気がする。

 大体、バイトが終わったのにさっさと帰らないで居座っているのってのは落ち着かない。お客さんでいるよりもここで働く時間のが長いわけだし、どうしてもバイト仲間がチラチラとこっちを見る。


「いやー、満足満足」


 何度目かのおかわりのカップを置いて、そんなことをのたまった。

 私の中の美人像は元の形に戻ることは決してないだろう。

 ……別に、彼女が悪いことをしているわけじゃないんだけど。


「それで、お話ってなんですか? 私はそろそろ帰りたいんですけど」


「まぁまぁ、そんなにカリカリせんでもええやん。嬢ちゃん、カルシウム足りてないんとちゃうか? タヌキは損気ってゆーやん」


「それを言うなら、『短気は損気』です」


 だいたい、そんなこと、会ってまだ間もない人に言われることじゃない。


「怒らんといてな。頼み事があるのは本当なんやから。加賀瀬高校2年2組の小泉真子さん」


 無言でにらみつける。


「そんな、怖い顔せんかてええやんか。ほれ、これはあんたのやろ?」


 差し出された見覚えのある冊子。


「あっ」


 受け取って驚いた。私の生徒手帳だ。


「拾ったから、持ち主に届けておかなあかんかなー思うて、嬢ちゃんのこと探したんやで」


「あ、ありがとう、ございます」


「ええて。ちゃんとお礼参りができるなんて、あんたは素直なええ子やなぁ」


 コロコロと彼女は笑った。


「私、子供じゃないんですけど。それに、お礼参りは神仏にかけた願いがかなったときに、そのお礼のために参拝することですから」


 これ以上、話をすることもないだろうから、私は席を立った。


「生徒手帳はどうもありがとうございました」


 お礼を言って頭をあげたら、彼女の白い手がまっすぐ突き出されていた。


「ちょぉ、待ってもらえへんか? もうちょい、うちの話を聞いてもらいたいんやけど」


 生徒手帳を届けてもらったことを考えて、私は椅子に座りなおすことにした。さすがに、礼儀知らずの人間にはなりたくない。


「お話というのはなんでしょうか?」


 彼女は「う~ん」と悩み始めた。

 その芝居がかった仕草がやけに似合ったりするから美人は得だ。


「実はな、うち、困ってんねん。せやから嬢ちゃんに協力してもらえたらありがたいなーと思っとるんやけど、どないやろ?」


「……もうちょっと、わかりやすく話してくれないとお返事することはできません」


「なんでや? これ以上は蛇足いうやつやろ?」


「全然、でしょう? 足だけじゃなくて、手も付けて欲しいくらいですけど」


 なんか、この人と話しているとすごく疲れる。

 そういえば、明らかに日本人じゃないのに、関西弁がやたらと流暢だ。

 まぁ、金髪碧眼の美人の操る関西弁というだけでインパクトは十分すぎるけど。


「実はな、うちはあれやねん。こう収集家? ちゃうな。あー、各地の話をな、集めてんねん。聞き込み……ちゃうな。聞き取り調査? みたいの」


 なんだか要領を得ないんだけど、なんとなく言わんとしていることは理解できたような気がする。


「つまりはフリーのルポライターみたいなものってことですか?」


「そう、それそれ! なんや、嬢ちゃんのがよくわかっとるやん。餅は胃もたれ……やったっけ?」


「違います。餅は餅屋。もっとも、物事には専門家がいるから素人は専門家に及ばないっていう意味でしたら、ですけど」


 それやそれ、と楽しげに言うと、ほっとしたようにカップを口元に運んだ。


「それで、そのフリーのルポライターさんが私なんかに手伝ってもらいたいことというのはどういったものなんでしょう?」


 思いっきり、皮肉を込めて言ってやった。

 いまどき、そんな胡散臭い肩書きの人の話を素直に聞くような高校生はいない。そもそも、フリーで働いている人がこんなスーツを着ているのは不自然だろう。

 彼女はカップ越しに微笑んでいた。いたずらっぽい瞳がすごく綺麗だった。


「まぁ、うちが集めているのは噂話とか伝説とか、そういったのなんやけどな。

 嬢ちゃんは神隠しとか知っとるかな? 何十年後になってふらりと戻ってくる話とか」


 一度、大きく息を吸ってゆっくりと吐いた。暴走しないように気持ちを落ち着ける。


寒戸さむとばばあ。異界に行った娘たちが一度だけ村人たちの前に変わり果てた姿を見せるという神隠しの類型のひとつね。『遠野物語』の第八話なんかが有名かしら」


 今度は驚いたと言わんばかりに彼女の目が大きく開かれた。


「なんや、詳しいやんか。まいったな。そんなん空で言えるような高校生、ちょっとおらへんで」


「そういう話なら協力します」


「嬢ちゃんも好きそうやな。誰かの影響?」


「……父さんが、民俗学とかやってて。影響といえば、それが影響かもしれません」


 影響どころじゃない。

 それはきっと、私の根源だ。


「ええ人材を捕まえたと思って喜んどくわ。そういうわけでやな、嬢ちゃんが通っとる学校で流れとる噂話とか聞かせてもらえたら助かるんやけどな」


「槻那見町に伝わっている話とかはいいんですか? 資料とかなら用意できますけど」


「あー、そのあたりは事前に調べてあんねん。そういった古い時代のは押さえてあるから、最近の流れとかがわかればと思うてな。ほら、じょしこーせーって特異な情報交換ルートを持っとるやんか」


 たしかに、女の子たちには大人にはわからないような口コミというルートがある。そこに第三者が入ることはかなり難しい。なにせ、排他的なのだ。


「それはいいですけど、お望みの話はないと思いますよ。芸能人とか好きなアーティストとかそういった情報ぐらいしか入ってこないし」


「そのあたりの取捨選択は嬢ちゃんに任せるわ。それこそほれ、餅は胃もたれ?」


「餅は餅屋、です」


「せやったな。で、次に会うのは駅前のファーストフードに午後6時でどうや?」


 頭の中でスケジュールを確認する。


「明日もバイトが入っているので、できれば午後8時にしてもらえませんか? それなら時間が取れますから」


「OK。商談成立やな」


 彼女は右手を差し出した。

 それが握手なのだと思いいたるまでにしばらく時間がかかってしまった。なんていうか、あまりに自然な仕草で頭がまわらなかったからだ。


「よろしゅう」


「こ、こちらこそ……」


 にっこりと笑いかけられた。

 最初にも思ったけど、すごく明るい笑顔だ。見ているこっちまで楽しくなるような。


「嬢ちゃんは、ほんまええ子やな」


「その、嬢ちゃんはやめてもらえませんか? 私には真子という名前があるんですから」


「ええやんか、可愛いいんやから。それに、気がついとる?」


 なんのことだろうと思って首をかしげる。


「さっきから、うちに対する話し方がしっかりしとるで。嬢ちゃんのそーゆー、礼儀正しいとこ、好きやで」


 思わず、顔が赤くなるのがわかった。


「じゃ、うちはこれで失礼するわ。嬢ちゃんも気ぃつけて帰りな」


「は、はい」


 彼女は伝票を持って立ち上がる。


「あ、そうやった。忘れとったわ」


「?」


「うちの名前はフォスター。カナリー・フォスターや。忘れんといてな」


「え、ええ……」


 突然のことで驚いたけど、それだけ言ってフォスターと名乗った女性はファミレスを後にした。




「ただいま」


 当たり前だけど、返事はない。

 誰もいない部屋にたどり着くのがこんなにも寂しいものだなんて今まで考えたこともなかった。

 誰かが待っていてくれるというだけでも気持ちというのはこんなにも違うんだ。たったこれだけのことで家族の大切さを思い知る。


 制服も脱がないでベッドの上に倒れこむ。

 なんだか今日は疲れた。

 いや、今日だけじゃない。ここのところずっと疲れている。気が休まらなくて、落ち着かない。どこか、自分に違和感を覚えてしまう。


「やっぱり、私に一人暮らしなんて無理だったのかな……」


 そんな弱気がもれた。

 ダメだと思っても、自分ひとりしかいないという現実が私を押しつぶそうとする。

 それに抗おうとするだけの気力が今の私にはなかった。


 私の家族は壊れかかっていた。

 表面上はどこにでもあるような幸せな家族に見えて、その実、どうしようもなくなっていたのだ。

 そして―――。

 そして、崩壊のための最後のスイッチを押したのは私だ。


 こんなことになるなんて思ってもいなかった。

 だって、ついこの間まで朝食は家族みんなで笑いながら食べていて、父が忙しくなるまでは休日にキャンプに行ったりして……きっとそれは、他の家族よりも幸せだったはずだ。親は子を導き、子は親を尊敬していた。

 幸せだったはずなのに。


「なんでこんなことになっちゃったんだろう……」


 ぼんやりと天井がにじんだ。


「こんなことなら、言わなかったほうがよかった。私は間違えた。言うべきじゃなかった……」


 やり直したい。今ある結果をなかったことにしてしまいたかった。






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