第2話 9月24日 協力関係[他者視点]

「それ、美味しそうだね」


 三輪つぐみが懇願するような目をして私のことを見つめていた。

 黙ってお弁当箱を差し出すと、私の親友は嬉しそうに玉子焼きを持っていく。


「んー、美味しい!」


「お粗末さまでした」


 お箸を口にくわえたまま、つぐみは私のことをまだ見ている。


「なに? それ、お行儀悪いわよ」


「あ、うん。ごめん」


 こういうつぐみの素直なところは美点だと思う。


「真子、なんかいいことでもあったの?」


「どうして?」


「んー、なんか嬉しそうかなって思った」


 そんなの表情に出ていたんだろうか。


「なんてことないのよ。ただ、さっきの小テストでたまたま覚えたばかりのところが問題で出てついてるなと思っただけだから」


「えー、なんでそういう大事なことを先に言ってくれないかな。あたしなんて壊滅状態だよ……」


 しおしおとつぐみがしおれる。


 実際のところ、ここ最近の私はついている。

『LAST QUEEN』の欲しいと思っていた新作ケーキがバイト後まで残っていて食べられたり、テストの勘があたったり。こうなるといいなと思っていることがことごとく上手くいく感じ。

 いつかしっぺ返しがあるだろうからあまり浮かれないように自制していたつもりだったけど、本人が考えているほど上手くいっていなかったらしい。


 さっきまで凹んでいたつぐみが考えるような顔で私のことをまっすぐに見つめている。


「何か他にあるの?」


「あのさ、真子、その勘が当たるとかの他になんかあった?」


「……どうして?」


 どうしてつぐみはそんなことがわかるんだろう。


「あたしってがさつだし、他人の気持ちなんてよくわかんないんだけど、なんとなく、真子が無理をしてるんじゃないのかなって思った。間違いだったらごめんね。

 ……なんか、悩んでる?」


 確かに、つぐみには大雑把なところがある。手先が器用というわけではないし、女の子にしては身体も大きいし。

 でも、それは繊細な心を持ち合わせていないというわけじゃない。むしろ、意外に細かいところにまで気が回るタイプだ。

 不器用であることは、まぁ、事実だけど。


 親友の勘の鋭さに、私はちょっとだけ安心し、ちょっとだけ迷惑に思った。

 それから、そんなふうに親友に対して悪感情を持ってしまう自分がかなり嫌になる。

 ほんと、勝手すぎる。

 心の底で気づいてもらいたいと思っていながら、それに触れられそうになったら嫌に思うなんて最低だ。


「どうしたの? またため息ついてるよ」


「うん……ごめん」


「別に謝ることじゃないけどさ。そーゆー真子はちょっと気になるかな。……なんか、心配事?」


 申し訳なさそうな瞳だった。そんなふうにつぐみに気を使わせてしまっている自分がまた嫌になる。


「うん」


「あたしで力になれること?」


「……わからない」


「そっか。じゃあ話してみてよ。話すだけでも気が楽になることだってあるでしょ? 考えているだけだと先に進めないよ。これ、あたしの持論」


 得意そうだった。おせっかいだけど、暖かい気持ちが伝わってくる。それが、つぐみ流の気の使い方だとわかる。


「あ、わかった。一人暮らしが大変だからとか?」


 まるで鬼の首を取ったかのように。


「やっぱりさ、高校生で一人暮らしなんて大変なんだよ。それになんだっけ? えーと、ホームシックとかいうやつじゃないの?」


「そうじゃないと思うけどね」


「んー、わかんないわよー。本人が気がついていないだけど、意外にストレス溜まってるんだって」


 私は二学期に入ってから一人暮らしをしている。

 実のところ、それを実行する前に話したのはつぐみだけだった。

 最初は反対をしたつぐみは、私の意志が固いと知ると、積極的に協力してくれた。理由を聞かなかったのは、つぐみなりの気の使い方だと思う。


 環境が変わったからというつぐみの指摘は、一面で正しいかもしれない。

 たしかに、食事の支度から洗濯や掃除まで、自分ひとりですべてをこなさなければならないのはかなりの重労働だ。おまけに学校生活に加えてバイトまであればどこかに無理が生じるのはあたり前のことだろう。


 一人暮らしを始めてみて気が付いたことがたくさんあった。やってみなければわからないことは考えているよりもずっと多い。

 だから、私は同じく一人暮らしをしているクラスメイトのことを尊敬している。

 この生活リズムの変化に慣れるにはもうしばらくかかりそうだった。


 私個人の生活環境だけじゃなく、日々の生活の半分を過ごす学校も変わってしまった。

 江草さんはまだ入院をしているし、黛君は転校、狭山君も天川祭が終わってからは体調不良ということで学校に顔を見せていない。

 クラスにいくつもの空席があると、なんだか寂しい。いつもそこにあるはずのものがないというのはどうしようもない喪失感を周囲に与えるから。


 実はクラスだけじゃない。

 誰もあえて口に出しはしないけれど、他のクラスにも空席は多くなっている。

 学校だけに留まらず、夏休みの前ぐらいから失踪事件みたいなのが槻那見町で相次いでいた。

 そう、この町一帯は夏が始まる頃からどこか落ち着かない雰囲気だった。それが今になって目に見える形になり現れているのだと思う。


 つぐみは、どう思っているんだろう。

 仲のよかった狭山君は、嘉上美空先輩と付き合っているらしい。その嘉上先輩も学校へ出てきていない。

 私は、つぐみの気持ちを知っていた。できればその思いを成就させてあげたいとも思っていた。


 表面上、つぐみに変わりはない。天川祭の準備だってちゃんとやってくれたし、最近では水泳のタイムが伸び始めていると報告してくれたばかりだ。

 それが強がりなのだとしたら、すごいと思う。私はつぐみにはかなわない。だって、これまでと全然変わらないんだから。


 ずっとずっと秘めていた思いがかなわなくて、悲しいと思わないはずはない。

 それを問い質したいという暗い衝動はある。けれど、親友だからこそ踏み込んじゃいけない場所があるのも事実だ。

 たぶん、お互いの気持ちの整理がつくまではこの話題に触れることはないと思う。


「というわけで、提案があります」


 ぴっとつぐみの指が立った。


「今日はカラオケにでもいってぱーっと騒ごう! それで真子が溜め込んでいるストレスをきれいさっぱり洗い流すってゆーのはどう?」


「……うん、ありがとう。でも、今日もバイトがあるからちょっと無理」


 じーと見つめている瞳が雄弁に語っていた。

 つぐみは、私のことを心配してくれている。


「無理しすぎない程度にアルバイトの数も減らすようにするわ。初めてのことばかりでちょっと張り切りすぎちゃったのかもね」


「そうだよ。真子のなんでも一所懸命なのはいいとこだと思うけど、もうちょっと息抜きをするようにしたほうがいいよ」


「うん、そうね。ありがとう」


 自分からカラオケに誘っておいて部活があることを忘れているところが本当につぐみらしい。

 私は一人で校門を出ると、バイト先へ向かうことにした。今日はファミレスだ。

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