第6話 エピローグ つがいの狼[三人称視点]
このあたりはまだ夜が深い。
わたしは窓ガラスに映る自分の顔と、それに溶け込むように向こうに見える山がちな町の様子をぼんやりと眺めている。
窓に映る自分の髪は夜に溶け込むような黒で、肩のあたりで無造作に切られている。あまり手入れはしていない。
遠くに見える山々はまるで
頭上ではのんびりと扇風機が回っている。夏の夜はねっとりとした肌触りがしていやなものだ。
車輪がレールをこすりつける甲高い音が響き渡ると、徐々に列車はスピードを落としていく。
独特な言い回しで社内放送が流れるのを背中で聞きながらわたしは下りる支度をした。
久しぶりに見たこの駅は、相変わらずの姿のままで佇んでいる。
改札を抜けて外へ出る。だが、そこの景色もあまり変わっていなかった。
この町は夜が深い。
だからだろうか――いまだに狼を見たなんていう噂話が流れるほどだ。
わたし――江草和泉が久しぶりにこの町を訪れたのは、仕事のためだ。
わたしは高校の頃に大怪我を負った。生きているのが不思議なぐらいな事故だったらしい。事実、わたしがこうして回復したことに担当医は相当驚いていたのだから。
もっとも、退院した頃にはクラスメイトたちはすでに卒業していたが。
わたしは遅ればせながら高校を卒業すると大学へ進学した。別に深い意味はない。ただ他にすることがなかったから進学してみようと思っただけのことだ。
大学は――思っていた以上につまらなかった。だから夏が来る前に辞めてしまった。そのことに後悔はない。
ただ、漫然と新しい街で生きていくのは大学に通うこと以上につまらなかったから、何かをする必要があった。
叔父が詩人だったせいか、わたしもそういうものに興味があった。書き溜めていたいくつかを賞に応募したら運良く採用されて、以来、ぼつぼつと仕事をこなしている。
町を行く。
見慣れた町並み。
数年前までわたしはこの町で暮らしていたのだから見覚えがあるのは当たり前だ。だが、都会ではわずか数ヶ月で景色ががらりと変わってしまう。
この田舎町だって開発は進んでいるらしい。もっとも、その変化は都会のそれよりずっと緩やかだ。
それになぜか安心する。
帰ってくる場所があるというのは、多分、幸せなことだ。
そういえば、ここでは虫の声も大きく聞こえる。
都会ではたくさんの騒音に紛れてしまってあまり聞こえてこないが、この町ではあちらこちらから問い掛けるような虫たちの声があがっている。
その音に囲まれるようにして町を歩く。
後押しをしてくれるようでもあり、護ってくれているようでもある。
それになぜだかとても安心する。
都会のノイズめいた音よりもずっといい。
空を見上げるとこぼれるような星空だった。
まさに天が降ってくるような空を、都会の人は怖いぐらいだと言う。
愚かなことだ。
スモッグで星々を見ることのできない都会の空のほうがよっぽど怖い。
いつか天が割れて人間に復讐するために、本当に星を降らせるんじゃないかと思う。
「夜にまたたくほしはしろ……か」
ぽつりとつぶやいた言葉は夏の夜空に溶けていってしまった。
不意に聞こえた音に視線を元に戻す。
地方の町というせいで、このあたりは人通りも少ない。都会だったら痴漢とか暴漢を警戒しなければならないが、この町ではそんな物騒な話はそうそう聞かない。
もちろん、まったくないわけじゃない。
実際にわたしが高校生の頃は無差別殺人事件や夜の町を徘徊する謎の黒服の男、黄昏刻に現れる少女にさらわれるなんていう噂話があったのだから。
また音が聞こえた。
夜闇に目を凝らす。
道路わきから少し上がったあたりの草むらから聞こえてきた。自然、見上げる格好になる。
そういえばいつの間にか虫たちの合唱も遠くなっていた。
冬でもないのに、しんとした夜だった。
本当に音が遠い。
雪が積もっているわけでもないのに音がまわりに吸収されてしまっているようだ。
かすかに背丈の高い草が揺れている。そこを睨みつける。
青黒い毛が見えた。
大きい。
そのとなりにもうひとつ。こちらは白……いや、銀色か?
犬だと思った。
けれど同時に違うと思った。
こんな綺麗な目をした動物は、おそらく違う。
それはきっと、わたしがかつて見かけたものと同じ存在だ。
すでに滅びたもの。
すでにこの地上から消え去ってしまったもの。
――ニホンオオカミ。
青黒い毛の狼が、わたしに気ついたようだった。片方だけしかない目がわずかに細められる。
なぜだろう。
その表情は驚きであり、懐かしげなのだとわたしにはわかった。そう思ったことに間違いはないという奇妙な確信があった。
寄り添っていた銀色の狼が促すようにすると、狼たちはゆっくりとこちらに背を向けた。そのまま深い山の中へと入っていく。
なぜだか、その後姿がかつてのクラスメイトにダブって見えた。
ああ、もう会うこともあるまい。
だから、わたしは――
「さようなら」
自然とそんな言葉が漏れた。
わたしの別れの言葉に応えるように、青黒い毛をしたオオカミの大きな尻尾が一度だけ揺れた。
「わたしは狼を見た」
ぽつりと、誰に語るでもなくつぶやく。
「つがいの狼を見た。町と山の際で、穏やかに時を過ごすつがいだった。
狼は優しげな瞳で町を見つめていた。その瞳はどこかわたしの友人を思い起こさせた。
つがいの狼が去っていったとき、それが永久の別れであることがわかった。
狼はつがいで生きている。もう独りじゃない。
わたしは、狼を見た――――」
s27人狼奇譚――完了
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シナリオ/ 卯月桜
シナリオ補佐/ ひごの朴泉
狭山宗哉[さやま・そうや]
本編の主人公。鬼子として人狼に目覚める。
やや皮肉屋ではあるが、基本的にまっすぐで素直な性格をしている。礼儀正しいところもあり、人受けはよい。
小学生の頃に槻那見町へ引越してきて、以後はここで生活を続けている。その頃にクラスメイトだった三輪つぐみとは幼馴染の関係にあり、仲は良好である。そのため周囲からは付き合っていると思われているが、実のところ友達以上恋人未満の微妙な関係であるらしい。
加賀瀬高校三年女子の間で行われた「抱っこして眠りたい男の子」アンケートで堂々の一位をとった実績がある。
ちなみに、160センチとかなり小柄。
母親とは死別、父親とは現在のところ別居状態で、ひとり暮らしをしている。父親が家庭を顧みずに仕事に没頭していたことが直接の理由だが、他にさまざまな行き違いがあった模様。
美空の手にかかり、人狼として覚醒を果たす。美空以来、十年ぶりの人狼覚醒者であった。以後は美空の仔となり、彼女の先導で夜の世界へと足を踏み入れていく。
嘉上美空[かがみ・みそら]
『人狼奇譚』におけるヒロイン。
滅び行く種族である狗神の血を引いており、嘉上の家では三代ぶりに血が出たとされる。幼い頃に夜属として覚醒し、長い間、長老たちに預けられて夜属としての訓練を積んでいた。夜属としては非常に優秀であるが、忌を狩るということをずっと続けてきているために、一般人とは感覚がかなりずれている。
若くして〈銀〉の名を継いでいるが、右手だけしか変身できない。それでも名を継いだのは、相応の実力があったため。
身長は162センチで、宗哉よりも若干高い。
美空が〈銀〉という二つ名を継いだ夜属であるにもかかわらず右手しか変身できないのは、無意識下のうちに夜属である自分を肯定できていないからであると思われる。
夜属に目覚めたきっかけは、十年前に宗哉と美星と遊んでいたときにあった事件にある。そのときのショックで記憶の混乱があり、宗哉と出会ったときに当時のことは忘れていたが、宗哉との再会により美空はその記憶を取り戻すに至っている。
夜見の儀式[よみのぎしき]
額辺家の近くにある自然窟で行われる儀式のこと。山ノ神へ供物を捧げる儀式と考えられており、そのため供物となった者は必ず命を落とすとされていた。
人狼奇譚~そしてぼくらは蒼い夜のうたをきく~ さくら @sakura_uduki
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