第14話 9月1日 アドバイス[他者視点]
『――背後に気をつけろ』
三人しかいなかったこの場所に、四つ目の声があった。
わたしはそれが誰の声なのか、どういう意図であるのかを瞬時に理解し、銀狼の力を利して体を入れ替える。
銀狼の背後から、にじみ出るようにして冴木が姿を現した。その表情は驚愕の色に満ちている。
銀狼に蹴りを加えて突き放す。
再び姿を消そうとする冴木。そのまま鎌を振るったのでは空間の向こうへ逃げられる。瞬時にそう判断したわたしは、サトゥルヌスの鎌のもうひとつの力をぶつけた。
声にならない声をあげて、冴木はその場に崩れ落ちる。
駆け寄ろうとする銀狼の側頭部に打撃を食らわして意識を奪った。
ゆっくりと溜めていた息を吐く。今更ながら、痛めた脇腹が疼く。
「九重だろう。どこにいる?」
わたしはぐるりとあたりを見渡しながらそう問い掛けた。さっきの声は、間違いなく九重のものだった。
『恭一に頼んで、ポシェットにマイクを忍ばせておいた。こんなことにつき合わせて悪かったな。これから処理班を向かわせる』
あとは静寂が世界を包んだ。
足元には、息も絶え絶えな冴木と、銀狼が横たわっていた。
かすかに、冴木が身じろぎする。
「な、ぜ……?」
瞳でわたしへ問い掛ける。
『なぜ自分の能力がわかったのか』と聞きたいのだろう。わたしは左の掌へ鎌を収めると、冴木の隣にしゃがみこむ。
「かつて、その能力を持った忌と戦ったことがあった。それだけのことだ」
「友切は忌を相手にしないと聞いていたんだがな」
ゆっくりと口を曲げて、冴木は笑った。
サトゥルヌスの鎌によって生命力を削られた者は必ず死ぬ。だからこそ、この大鎌は『死神の鎌』と呼ばれるのだ。
いずれ、冴木の命の火も消える。
「俺は……俺は円を護ってやりたかった。いや、そうじゃない、か。好き――だったんだろう。兄妹のような関係を越えて……な」
濁り始めた瞳が、隣に倒れた銀狼――冴木の目には少女に見えているのだろう――の姿を映す。
「だが、俺には力がなかった。こんな作り物の、中途半端な力じゃない。本当の、円を護ってやれるだけの力が欲しかった」
「だから、その能力を?」
冴木は静かにうなずく。
「あんたと会った帰り道だった。そいつがこう言ったんだ。
『あなたのその思いが本当なら、叶えるだけの力をあげましょう』
ってな。だから俺は叶えてもらった」
冴木の表情は敗者のそれではない。むしろ、勝利を収めた者のそれに近かった。
不思議な、わたしの目から見るととても不思議な微笑がその口元を飾っていた。
「……なぜ、笑っている?」
「そうだな……」
冴木はその微笑を浮かべたまま顔を上げた。
「それは、俺の目的が……果たされたからだろう」
「目的を……果たした?」
「ああ」
返事をすると、冴木は静かに目を閉じた。
おそらく、冴木に接触したのは忌であり、冴木は忌の仔となったのだろう。
確かに、望みは叶えられた。
冴木の空間を渡る能力は、人狼の持つ神憑った速度や、九十九の踏み込みのそれより上を行く。使い方次第では、彼の望みであった円を護ることもできたのだろう。
だが、その能力がもたらしたのは、決して喜ばしいことばかりではなかったはずだ。忌の仔となった以上、やがては己の意識すら消える運命となる。
それを、冴木も感じ取っていたのだろう。
だから、彼女を護るために、己を滅することを欲したのではないだろうか。ただ、彼女を護るためだけに。
「……何か、言い残すことはある?」
もはや息をすることすらも苦しそうな冴木は、わたしの言葉に再び目を開いた。
苦しげに頭を上げる冴木の口元に、わたしは耳を寄せた。
「……死ぬな、と」
かすかに、ささやくようにそれだけを口にして、冴木はこときれた。
誰に宛てた言葉なのかなど、聞くまでもないことだった。
s48燕子花――終了
――――――――――――――――――――――
シナリオ/ Nekko
シナリオ補佐/ 卯月桜
大森学[おおもり・まなぶ]
元九重華子の部下だった男で、遺伝子操作が専門の研究者。九重の開発したクローン技術を応用し、人間に人狼の能力を付与する研究を行っていた。一応、実験は成功。三体の人造人狼が造りだされる。
冴木勉[さえき・つとむ]
アンヘルの研究者・大森によって人造人狼のプロトタイプとされた青年。幼い頃に係累がいないという理由だけで人体実験の素体とされた。ぼさぼさの髪型と、垢抜けない格好をなんとかすればそれなりに見栄えのいい青年ではあるが、本人はあまり頓着していない模様。
円[まどか]
アンヘルの研究者・大森によって遺伝子レベルから促成させた人造人間であり、人造人狼でもある。
安土京香[あづち・きょうか]
鏡の
見知った相手であれば、どれだけ離れていようとも己の姿を送り出して会話することが可能。それゆえ、連絡役を担当している。
戦いに出ることはないため、安土家の者には珍しい高齢者の一人でもある。
初穂のお願い[はつほのおねがい]
安土月子がカウント3まで溜めたときのお願いによって救い出された鬼族の中に、御倉健二という名前の男がいた。彼は『人狼挿話』に登場した
サウンド・オブ・サイレンス[さうんど・おぶ・さいれんす]
サイモン&ガーファンクルの出世作であり、マイク・ニコルズ監督の「卒業」の主題歌になった曲でもある。名曲。
軽身[けいしん]
壁や天井などもまるで地面であるかのように走ることのできる能力のこと。友切のように天井を駆けたり、雪花のように水の上を走ることすら可能となる。
宗哉が校舎を駆け上ったのは同じ能力を使ったように思われるかもしれないが、あれは単に人狼のずば抜けた身体能力がさせただけである。
死神の鎌[しにがみのかま]
サトゥルヌスの鎌が持つ本来の力である『生命を刈る』能力を発動した状態を指す。この状態のサトゥルヌスの鎌は物質としての存在ではなく、相手の生命そのものへと直接攻撃できる能力を有する。
九十九の武器は特殊な能力を持つものが少なくないが、その能力の強さに比例して、発動には相応のリスクを伴うことが多い。
悪鬼[あっき]
ケモノに呑まれてしまった鬼のことを言う。
『燕子花』に登場した鬼はインドネシア人で、本名はトランバット・スジルノ・エディー。かつて水野が初めて参加した作戦により捕らえられた鬼であり、長くアンヘルの研究所で実験体とされていた。
肉体能力を駆使して戦う鬼では珍しく、衝撃波を伴った攻撃を得意としていた。口から吐き出された呼気は50口径の弾丸よりも数段威力が高い。また己の肉体の一部を爆発物とする特殊な能力を持っているが、当然、それを使えば己の肉体が徐々になくなっていくことになる。どうやらこの能力はアンヘルの研究所において付与されたものらしい。
ポシェットのマイク[ぽしぇっとのまいく]
仕込んだのは水野。声の主はオリジナルの九重である。
イレイザー部隊[いれいざーぶたい]
アンヘルの特殊実行部隊の一つ。
夜属などとの交戦の結果、破壊された環境や、残された死体などの隠蔽を任務とする。彼らの技術は凄まじく、破壊された家屋、地面に穿たれた穴などを破壊前に復元するだけでなく、折られた木々や、事件に巻き込まれて重傷を負った一般人の身体の修復、記憶の消去までも行う。
彼らの手にかかれば、そこで事件が起こったという痕跡を探り出すことすら不可能となる。
だが、例の黒服で作業するのはいかがなものか。
FOX-HOUND[ふぉっくすはうんど]
アンヘルの実行部隊の一つ。
特に諜報と監視、追跡能力に長ける。
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