第8話 8月29日 来客1[他者視点]

 玄関から声がかかったので、私は改めて乎子様に頭を下げて部屋を後にした。

 気持ちを落ち着けるように少しゆっくり気味に歩く。お客様に恥ずかしいところを見せるわけにはいかなかった。深呼吸を二度ほどする。


 玄関には二人の女性が立っていらした。


「ようこそいらっしゃいました。お久しぶりでございます」


 膝をついてご挨拶をする。


 近々、安土月子様がおいでになるということを乎子様からうかがっていたので、髪を後ろに束ねた方がそうなのだろうと予測した。

 私の記憶にある、十年ほど前のお姿とは随分と変わっていらっしゃるみたい。だってあの頃はまだ高校生でショートカットだったし。


 もうお一人は、よくこのお屋敷にも足を運んでみえる芙貴の君様だった。

 土蜘蛛族の重鎮中の重鎮なんだけど、なんだか普段の言動があやしすぎて威厳とかそういうのがまったく感じられない方だったりする。


 そういう意味では、額辺家の当主である乎子様とも相通ずるところがあると私は思っているけど、絶対に乎子様は嫌がると思うので口に出して言ってはいない。その話をしたのは紅玉ちゃんにだけ。

 ちなみに、「お久しぶりでございます」は芙貴の君様へのご挨拶。


「初穂。あんたよく来てるの?」


「んー、そうねン。半年に一回ぐらいかしらン」


 もっと頻繁にみえていますよ。私の記憶が確かなら、今年に入って既に八回目です。だから月に一度ぐらいの頻度になりますね。


 その度に私と紅玉ちゃんに迫るのはやめていただきたいなーとは思っているんだけど、さすがにお客様にそういうことは言えない。正直な話、あまり心臓によろしくないお客様だったりする。

 もちろん、そんなことを考えているなんて表情にはこれっぽちも出さないけど。


「乎子はいる? わたしは友切。新しい鬼子の見極めを頼まれて来たんだけど」


「お待ちしておりました。お二人ともお上がりください」


 来客用のスリッパを二つ揃えて並べ、お二人が上がられるのを待つ。

 それから、奥の間へとご案内した。


「こちらでお待ちください。ただいま、主人を呼んで参ります」


「あーちゃん。お茶はアイスコーヒーにしてねン。暑い中歩いてきたからつめたーいのが飲みたいのよン」


 あ、あーちゃん……いつも聞いているけれど、相変わらずインパクトの強い呼び方だなー。


「かしこまりました」


 私は頭を下げて、部屋を辞する。


 まずはさっき駆け込んだ乎子様のお部屋へ。今度は障子の前に座って、声をかける。


「乎子様。芙貴の君様と友切様がいらっしゃいました。お二人は客間へとご案内してございます。それでは、失礼いたします」


 部屋の中の気配が一瞬固まったような気がするけれど、気にせずにお返事を待たずにその場を後にする。


 今度はお台所へ行って、芙貴の君様からご注文のあったアイスコーヒーを三人分用意して、私は客間へと向かった。


 客間の様子をちょっとうかがう。

 ちょうど話題が途切れているようなので、静かにふすまを開けた。頭を下げて、手早くコーヒーをお出しする。


 乎子様がうなずいていらっしゃるので、私はそのまま乎子様の後ろに座った。


 なんとはなしに座っていると、安土様が私のことをじろじろと見ていた。

 なんだろう。コーヒーが不味かったのかしら。

 乎子様と同じ味覚をしていらっしゃらないといいんだけど。乎子様って味音痴だからお料理の作り甲斐がないのよねー。

 ちょっとだけ、居心地が悪い。


「ところで、二人が一緒に訪ねてくるなんて珍しいじゃないですか。高校以来になりますかねえ。いったい、どういう風の吹き回しですか」


 乎子様は不味そうにコーヒーをすすっていらっしゃる。ご自分でいれられたコーヒーの方がお好みらしいけど、どうやったらあんなに不味くなるのか私にはさっぱりわからない。

 絶対、乎子様は味覚が麻痺していると思う。なんて言ったら、紅玉ちゃんにたしなめられたことがあった。それが言い過ぎなら、人とは違う味覚の持ち主って言い換えてもいいけど、どっちにしたって意味は同じでしょ。


「わたしは連絡をもらった鬼子の見極めよ。こっちにしばらく厄介になるつもりだからよろしく」


「わかっていますよ。部屋の用意はしてあります」


 乎子様から言いつけられていたので、安土様のお部屋はちゃんと用意してある。

 芙貴の君様の分は予定外だけど、すぐにでも泊まれる用意はできるから問題はないと思う。っていうか、この方はいつも突然やってきて、一日二日だけ泊まって帰っていかれるんだけど、なんの目的があるんだろう?

 やっぱり、私の可愛い紅玉ちゃんを狙ってるのかなー? だったら困るなー。


「初穂から聞いたんだけど、その鬼子ってばもう忌を狩ったんだって? なかなか有望そうじゃない」


 狭山様はここ最近になって人狼に目覚められたお方で、同じく人狼の嘉上様に連れられて、何度か屋敷にも見えている。

 小柄で、素直そうで、とても気持ちのいい少年だと思う。私や紅玉ちゃんにも丁寧に接してくださる方なので、私的にはかなりポイントが高い。


 姉である私の目から見るに、紅玉ちゃんは密かに狭山様に憧れているっぽい。でも、嘉上様がいつもぴったりと寄り添っていらっしゃるから、あの間に割って入るのはかなり難しそうだ。

 傷付く前に教えてあげた方がいいのかもしれないけど、そういうのもちょっと野暮かなとも思うし。姉としては何かと複雑な気持ちなのだ。


「そうですねえ。〈銀〉が熱心に鍛えているようですよ。あれ自身にもよい経験になっていると思いますが、鍛えられる方としてはどんなものでしょうかねえ」


 乎子様は心底可哀想といいたげな口調だった。

 凛とされた嘉上様は、おそらく厳しく狭山様を鍛えていらっしゃるのだろう。

 それでも狭山様が嘉上様についていっていらっしゃるのは、もしかしたら特定の感情があるからなのかもしれない。


 そう考えると、ますます紅玉ちゃんの気持ちが成就する目はなさそうだ。

 紅玉ちゃんの姉としては狭山様と嘉上様の関係は破局するのを望むべきなのかも知れないけれど、素直で可愛らしい狭山様には幸せになっていただきたいなーとも思う。


 それなら紅玉ちゃんと幸せになってもらった方が私的には嬉しいのか。

 あー、でも、紅玉ちゃんが私から離れていってしまったら寂しくなるし、そうなると嘉上様との仲は上手く行ってもらった方が……うーん、難しいところだ。


「みーちゃんったらそんなにご執心なんだ。それはちょーっと味見してみたいわねン☆」


 芙貴の君様の下心が丸出しだった。これほどあからさまなのもなかなかないんじゃないかな?

 狭山様とは違った意味で、この方も自分に素直なんだとは思うけど、あまりに欲望に忠実というか、直球勝負気味というか。

 紅玉ちゃんにも本当に手を出しかねないから、なんとかしないといけないなーとは思っているんだけど、これがなかなか。


「多少のことには目をつむりますが、やたらとあちこちに手を出さないでくださいよ。特にあたくしの関係者に手を出すのは厳禁です」


 きっと、乎子様も同じ考えでいらっしゃるんだろう。思わず私は、コクコクとうなずいてしまった。


「んー、聞いてあげなくはないけど、こっちも条件を一個出していいかしらン?」


 相変わらず話の展開が強引で、自分勝手で、傍若無人でいらっしゃいます。

 ここまで自分の思い通りに生きていられたら、それはそれで幸せなのかも知れません。


「あのねン。かーちゃんのとこの可愛い娘をちょうだい☆」


「ダメです」


 乎子様は即答だった。

 格好いいです、乎子様。許されるなら、サムアップで「ぐっ!」とか言いたいところですよっ。

 さぁ、この際、紅玉ちゃんからはすっぱりきっぱり手を引いてもらえるように、ズビシとおっしゃってくださいましっ。


「あらン。かーちゃんったら、とーっても冷たいわン。そんなかーちゃんなんて嫌いよ」


「嫌ってくれても結構ですが、手を出してもらっては困ります」


 最高です、乎子様。

 ハラショー!

 カッコイー!!

 マンセー!!!

 ……誉めすぎかな?


「でも今はお屋敷から出ちゃっているんでしょン。だったらあたしがもらっちゃっても問題はないと思うンだけど」


 あらら。紅玉ちゃんのことじゃなかったのね。話の流れからすると雪花様のことかしら?

 うーん……なら、問題ないかも。


 でも、後ろから見ていても乎子様の動きが固まったのがわかった。やっぱり、額辺家の大切な九十九である雪花様を持っていかれては大変ってことなのかしら?

 だからといって、ずっとお屋敷に閉じ込めっぱなしというのは少し可愛そうな気もするんですけど。


「なんのことでしょう。あたくしにはさっぱり、何の話だかわかりませんが」


「だったら。あたしがもらっても問題はないってことよねン☆」


 それを聞いて、さらに乎子様の背中が固まってしまった。

 うーん、どう考えても芙貴の君様の方が一枚も二枚も……それどころか、十枚も二十枚も上手みたいね。


「どうしてそういう流れになるんですか」


「えー、趣味だけど」


 うわー。

 今、すごいことをさらりと言ってのけたなー。

 やっぱり芙貴の君様ってすごい方かも。これだけ自分の欲望に忠実に生きられるのって、ある意味、尊敬に値する。自分が同じ生き方をできるかどうかは別にして。

 安土様の芙貴の君様を見る目も呆れたというような色を見せていた。


「あれは我が家に伝わるものです。何人たりとも手を出すことは許しません。そのおつもりで」


 どうやら、乎子様はようやく石化状態から立ち直ったみたいだった。ぴしっと背筋をただしてそう宣言される。

 なんだか今日の乎子様ってばカッコイイ。いつもこんなだったらいいのになー。


「や☆」


 なのに一秒も経たずに却下ですか。

 せっかくいつもとは違うニュー乎子様なのに、それはちょっと可哀想な気がします。


「それに、かーちゃんはどうやってあの娘を捜すつもりなのかしらン? かーちゃんがOKしてくれたら、あたしの情報網を使って捜してあげてもいいわよン」


 乎子様は困ったように安土様の方を見られた。助け船を期待されてのことなのだろう。


「迷子の九十九捜しなんていうのは、わたしには役不足だよ。それに、見極めがあるのを忘れたわけではないでしょ」


 残念だけど、協力は得られないみたい。

 仕方ない。紅玉ちゃんのこともあるし、ここは私から申し出てみましょう。


「あの、差し出がましいようですけど、私がお捜ししましょうか? 探し物は得意ですし、それに紅玉ちゃんも一緒ですから」


 安土様が急に席を立たれた。私が口を挟んだから気を悪くされたのかしら。

 ちょっとドキドキして視線をそっと上げる。


「どちらへ?」


「鬼子に会いに行くよ。もともとわたしのするべきことは決まっているし、そのためにここに来たんだから。時間があったら宗近を捜してみるよ」


「頼みますよ」


 乎子様の言葉を背に安土様は部屋を後にされる。

 玄関までご案内しようと腰を上げたら、乎子様に声をかけられた。


「藍玉さんは残ってください。あなたには宗近を捜していただかなければなりませんから。彼女は一人で玄関まで行けますよ」


 そう言われてしまっては仕方がない。私は腰を下ろす。


 改めて、乎子様と芙貴の君様とで今後について話し合う。

 さて、どうしましょうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る