s45一初/朝顔/木蔦【剣鬼】
第1話 8月29日 安土月子の独白[他者視点]
かたんことん。
一定のリズムで刻まれる音が耳に届く。
かたんことん。
その音に合わせるように、わたしの体もゆらりゆらりと揺れている。
かたんことん。
乗客の少ない車内を見渡して、わたしはひとり、ため息をついた。
天井についている古めかしい扇風機が懸命に首を振っている。でもどう考えたって、熱気がこもってしまっている車内がそれで涼しくなるはずがない。あれはただ、なまぬるい空気をかき混ぜているだけに過ぎないのだから。
それなら、わずかに開けられた窓から入り込む風のほうがよっぽど涼しい。
勢いよく風が吹き込むと、わたしの長い髪が風にあおられて、ふわりと泳ぐ。
それを右手で押さえて、わたしは目を細めて外の景色を見た。
緑は相変わらず多かった。山がちな土地であるというのもあるのだろう。窓から入り込む風も、都会のそれとは違ってひんやりしているように感じる。
一面に見える田圃では、風にたなびくように稲穂が揺れていた。ざぁと音を立てて風が通りすぎていく様子が見て取れる。もうしばらくすると刈り入れなのだろうか。
正直なところ、このあたりも随分、変わったんじゃないかと思う。
わたしがこの街を出て十年になる。
あれからわたしはいろんな経験を積んできたし、さまざまなものを目にしてきた。だからというわけじゃないが、この街が変わっていくことに特別な感情を持ってない。
むしろ、物が手に入りやすくなったり、民放が増えたりして、暮らしやすくなっているんじゃないだろうか。
もっとも、そういうのを長老連中は毛嫌いするんだろう。
わたし――
人ならぬもの。人外の化生だ。
水面すらも駆け抜ける脚があり、鉄をも斬り裂く鋭い刃がある。
わたしは、刀に憑かれている。
夜を駆け、ケモノを狩る。
わたしは旧友――というのも嫌な話ではあるが――から呼び出されて、久しぶりにこの街を訪れることにした。
それはわたし――正確にはわたしの家にだ――に課せられている使命を果たすための呼び出しでもある。それはなによりも、たとえわたし自身の命よりも優先されなければならないことだった。存在意義と言い替えてもいい。
もっとも、あれはわたしのそういった事情を承知した上で呼び出しているんだろう。
そういうところは、昔から頭が回る奴だったし、おかげで助かったことも一度や二度ではなかった。もっとも、トラブルに巻き込まれた回数は十や二十じゃきかなかったりする。
考えてみたら、収支はマイナスじゃない……。
見覚えのある景色が増えてきた。どうやら目的の駅は近いらしい。
車輪がレールをこすりつける甲高い音が響き渡ると、徐々に列車はスピードを落としていく。
独特な言い回しで車内放送が流れる。それを背中で聞きながら、わたしは荷物棚から鞄を降ろして、電車を降りる準備を終えた。
鞄はそれほど大きな物じゃない。数日分の着替えとか洗顔用具とか、そんなものしか入っていない。どうせ長い滞在にはならないのだから。
――見極めること。
それこそがわたしの使命。
まるで野球を始めたばかりの小学生のような不器用さで、列車は駅のホームへ滑り込んでいく。
それほど長くないホームが、二両しかない列車をのんびりと迎え入れる。
最後にがたんとひとつ揺れると、列車は動くのをやめた。モーターの唸るような声も止まる。
空気の抜ける音とともに、がたがたと抗議の声を上げながら扉が開く。
それを見届けてから、一歩、足を踏み出す。
途端にむわっとした熱せられた空気がわたしを包み込む。頭上からは差すような日差し。午前中だっていうのに、この暑さには辟易する。
8月も終わりだというのにも関わらず、まだまだ暑い日が続いていた。湿度が比較的低くて、からりとしているのは救いだろうか。
わたしは暑さから逃げるようにして影になっている改札へと小走りで駆け込む。普通は急に暗いところに入れば、一瞬、目の前が真っ暗になる。だが、訓練された目は簡単に光の変化に対応する。
駅員が暇そうに立っていた。
まだ夏休み中ということで高校生の姿こそ見えないが、本来、この駅を利用している人の数はかなり多いはずだ。なにしろ、わたしは十年前まで高校へ通うのにこの駅を使っていたのだから間違いない。
少子化が叫ばれて久しいが、高校がちゃんと続いている以上、そこの生徒が駅を使わないはずがないだろう。
わたしは鞄を持ち直すと、駅員に切符を渡して表通りに出た。
十年ぶりに見た街は……電車から見た時ほど変わっているように思えなかった。
どこか時間の止まったような場所だと思っていたが、こうしてしばらくぶりに改めて見てみると、それを強く実感する。
もちろん、建物は増えたし、車の数も増えた。
でも、わたしが感じるのはそういった変化ではなく、この街に漂っているような気配とでもいえばいいんだろうか。
古来より夜属が治めてきた場所というにおいが、厳然と残っているように感じられる。
正面のビルの一階に見えるのは、美味しいと評判のケーキのチェーン店だ。しっとりとした生クリームでいっぱいのショートケーキは絶品で、午後には売り切れていることも多々あるという話だった。時間があったら、立ち寄ることにしよう。
いつまでも時間を潰しているわけにもいかない。待ち合わせの時間だってあるのだし。
わたしはポーチに突っ込んであった紙切れを取り出した。そこに、これから会う相手と待ち合わせている場所の住所が書いてある。
わたしたちが通っていた高校にほど近い喫茶店だった。あのころはまだなかったから、最近になってできたんだろう。
喫茶店の名前を見て、わたしは思わずにやけてしまった。機会があったらマスターに聞いてみよう。「アイリッシュ・ウィスキーはお好きですか?」って。
わたしは周りの景色と記憶の中にあるそれとを見比べながら歩き始めた。
高校時代にこの通りはよく歩いたものだ。わたしはここから数駅先に行ったお屋敷から、この先にある加賀瀬高校に通っていた。
このあたりでは古くからある家柄の
ちょうど同い年の子供がいるからという実に安易な理由によって、わたしは高校三年間をこの街で暮らすことになった。
ちなみに、これから会う約束をしている旧友というのがその芙貴の家の娘。娘っていう年齢ではないんだが、それをいったらわたしも同じことなので口に出すことはしないでおく。
わたしの場合は幼い頃に母親を亡くしてしまっていたから、そうした人が集うという生活に、どこかあこがれみたいなものを持っていたんじゃないかと思う。だからその話を聞いた時はとても喜んだ。
他の二人はどう思っていたのか知らないが、少なくともわたしは不満なんて持たなかった。
おかげで、高校生活はそこそこに楽しかったし、いい思い出だってある。多分、忘れているだけで悪い思い出はいい思い出以上にあったんだろうが、忘れているんならそれはいい。
よく学校の帰り道に立ち寄った甘味処とか、角のたばこ屋のおばあちゃんとか。そういった場所は、思い出と同じ場所にちゃんと残っていた。
たばこ屋のおばあちゃんに会釈をすると、しわくちゃになった顔が微笑んでくれた。
さすがにわたしのことを憶えていることはないと思うが、そういった人と人のつながりっていうのは気持ちがいいものだ。
しばらく歩くと、目的の店らしきものが見えてきた。大通りから一本入ったところに、こぢんまりとした喫茶店が建っている。このあたりは住宅街ということもあって、随分静かだ。
喫茶店『タラモア・デュー』。
そこが待ち合わせの場所だった。
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