第15話 8月21日 愛する者の手で[三人称視点]

 正しい作戦だった。

 しかし、百人の司令官がいれば、百人が正しいと言うであろう作戦は潰えた。

 最悪の事態は想定していた。しかし事態は彼女たちの想定を上回る悪さだった。


「馬鹿な……っ」


 コンダクターの声は悲痛だった。


 ラプンツェルとアヴェロン・ツーとの距離は50メートルあった。しかもその間には灌木も立ち木も朦々たる雑草の垣根も存在した。

 その距離をアヴェロン・ツーは『撃ち抜いた』のだ。それはまさに弾丸だった。


 せっかくの機関銃陣地は機能しなかった。

 音速の相手の姿を銃手が補足できなければ射撃すらできない。


 扉が木っ端微塵になる。


シースファイア射撃中止! シースファイア! ラプンツェルは――ミワ・ツグミは無事なのか!」


 コンダクターの声に焦りの色が見える。


《無事、のようね》


 果たして、ルーターの言葉どおりだった。


 朦々たる粉塵の中から、ほどなく塔乙女――つぐみは姿を現した。

 背に誰かを負っている。

 ボロ屑のようなあれはアヴェロン・ツーに間違いあるまい。


「そうや――――っ!」


 つぐみの叫び声が集音機ごしにすら、ルーターを貫いた。

 あまりにまっすぐで、素直な声だった。

 ただ狭山宗哉を求める声だった。


「なんということだ……」


 コンダクターの唖然とした声がCICに響く。

 戦場で生きるものにはありえない行動だった。


 アヴェロン・ツーを背負ったまま、つぐみが猛然と走り出したのだ。それも、最も危険な戦闘区域に向かって。


「なんということだ……!」


 それは、戦闘司令ではなかった。ただ、コンダクターの感想だった。

 それも無理からぬことだろう。


 つぐみには「非道いことをしないで」というブリジットのたっての希望で縄も手錠もかけていなかったのだが、まずこれが失敗だった。


 餌となる彼女を予想交戦区域中に置いたのは必然で、アヴェロン・ワン――宗哉を必勝の罠へと誘き寄せるためである。

 ここに達する前にアヴェロン・ワンは罠にはまり、アンヘルは目的を達していたはずだった。


 これも外れた。宗哉はつぐみの存在を知らせる以前にこちらへとやってきた。


 だが、そこまでは計算の内だったのだ。

 その直後に、超マイクロウェーブ照射器によって死んだと思っていた美空が姿を現した。今にして思えば、この時点で即時移送に移るべきだったのだ。


 しかし、火力を重視したため、動員できるエージェントのほとんどを火力陣地に回していて、護衛に残っている者は数名だった。この認識も甘かった。


 誤算続きだった。

 複数のタイプ・ウルフとの同時交戦した経験なく戦ったコンダクターたちは、今、大きなツケを払おうとしている。


 ルーターは素早くつぐみの進行方向全面に小銃による威嚇射撃を命じたが、彼女は怯まない。ますます突き進んでいく。

 素人の恐ろしさだ。狙撃されていることに全く恐れを感じていない。

 機関砲の掃射を行えば或いは止まるかも知れなかったが――


「機関砲の命中率では、ラプンツェルが被弾する可能性が……」


 見透かしたようにコンダクターが言う。

 その通りだった。それでは彼女ブリジットとの約束が果たせない。

 ルーターはブリジットに約束したのだ。

「非道いことをしない」と。


 何より、『人間』である彼女つぐみを傷つけることは、〈伽藍〉の存在意義からできない相談だった。

 彼らは『人間』を護るために存在するのだから。


「しかし、このままでは、ラプンツェルが戦闘区域に入ります。ブリジットは機銃により戦闘を行っており被弾する可能性が――」


「現場より、決死隊を募りラプンツェルを追うので許可を求むと――」


「ラプンツェルはアヴェロン・ツーと一緒だぞ! 死にに行くようなもんだ!」


「ではこのまま行くに任せろというのか!」


「シースファイア! ブリジットに射撃中止を!」


「それではブリジットが危険だ! 火器も使用せずにタイプ・ウルフと戦えると――」


 CICスタッフは騒然となっていた。

 それを制止すべき、コンダクターは沈黙したままスクリーンに見入っていた。彼女の思考は猛速で迷走していた。或いは、自失していた。


 無理からぬことだった。

 ルーターも――人類最強の思考装置であるはずのルーターまでも、そうであったのだから――


「ブリジット、活動限界まであと5秒――」


 カウントダウンは始まっていた。

 正確に、冷酷に……。

 すべての想いを等分に乗せて。


「4……3……」


 こんなはずではなかった。

 ブリジットとの最期の訣れが、こんな形になると誰が予想しただろう。


 本心を言うならば、ルーターは自分の手元で彼女を看取りたかったのだ。コンダクターとて彼女を想って作戦を立案したのだ。

 短き刻を生きることしかできない彼女に満足行く「人生」を与えようと――


「せめて……」


 コンダクターの声は命令ではない。もう、誰にも届かない祈りだった。


「せめてアヴェロン・ワン……お前の手で――」


「2……1……」


 ブリジット――

 ブリジット!!


「活動限界――!」

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