第3話 8月9日 嘉上家の土蔵
蝉時雨の中、長い長い嘉上神社の石段を登る。
全てが始まった思い出の場所。
夜属の血筋を今に伝える恐ろしい場所。
僕の――僕たちの運命が隠されている場所。
今日もまた、僕はこの石段を登っている。
巫女装束をまとった美星ちゃんは、社の離れにある古い蔵の前に佇んでいた。
築何十――いや、何百年とも見える古めかしい造りの土蔵だ。
躊躇いを感じる後ろ姿。首の後ろあたりから長く垂れる黒髪が風に揺れている。髪の短い巫女はこうしてカツラ――
小さな背中に思い切って声をかけてみた。
「あ……お兄ちゃん」
ただでさえ大きな瞳がさらに見開かれる。驚きを隠すように口元にやった拳にさえ、彼女の健気さを感じてしまう。
「ごめんごめん、もしかして驚かせちゃった? この前はなんだか元気なかったから、さ。迷惑だったかな?」
「いいえ……心配していただいて、本当に嬉しいです。ただ、びっくりしてしまって……こちらこそすみません」
いや、美星ちゃんが謝ることはこれっぽっちもないんだけど。
「この土蔵は?」
「嘉上神社の書物庫です。子供の頃、この中には本のお化けが出るって姉様とお話しをしたことがあります」
美星ちゃんの瞳が一瞬だけ嬉しそうに輝き、そして沈んだ。取り戻せない過去――思い出は時として毒にもなるものだ。
「しかし、本当に……」
妖怪が出てもおかしくはない雰囲気だった。壁は長年風雨にさらされてあちらこちらにシミが浮き出していて不気味だ。
土蔵の扉には大きな南京錠がかかっている。美星ちゃんがさっきから手に持っているモノ――小さな美星ちゃんの手にはやけに大きく見えるけど――はその鍵と知れた。
「こんなところを、どうして?」
「どうしても、知りたいからです。この嘉上の家のことを――姉様と私の間にある空白の十年のことを」
美星ちゃんは、気丈にそう口にした。
「私が何も知らなすぎるのがいけないのです。私が姉様のことを何一つわかってあげていないのが、いけないことだったのです」
その小さな身体では支えきれないような孤独と不安――それでも、この娘はそれを抱え込もうとしている。
世界の深遠を閉じ込めた扉を開けるかのような決意を瞳にみなぎらせ、美星ちゃんが扉の前に立つ。
冷たく固い音を立てて、南京錠は外された。
外光が差し込んだ書庫の中は、壁一面の書棚に古色蒼然とした
「こりゃ、とても……」
僕は、悪戯を隠した子供のように、勿体ぶった仕草で美星ちゃんの顔を覗き込んだ。
「一人どころか、二人がかりでも何日かかるものやら――先が思いやられるね」
美星ちゃんの瞳に、ぱあっと広がる光――それは、僕がずっと、見たかったものだった。
「それでは、お兄ちゃん」
「僕も手伝うよ。落ち込んでいる時は、何かに熱中するに限るしね」
「そう――そうですよね。ただ何もしないでいるより、ずっと……」
美星ちゃんの笑顔には、何処か無理をしているような痛々しさがある。
僕にはわかる。
きっと怖いのだ――隠された真実を知ってしまうことが。
真実だけが、人を救う訳ではない。
時にそれは人を傷つけることも――場合によっては、殺してしまうことさえもある。
僕にできることは、震えながら真実に向かって泳ぐ美星ちゃんのその隣にいてあげるぐらいしかありはしない。
僕は夜属。
人間を超えた身体能力を持っている。
夜の世界を駆け、不死身に近い肉体を誇る。
敵を引き裂く爪と、鋭利な牙を持つ人狼。
それでも――。
そんなことぐらいしか、僕にはできないのだ。
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