第3話 第一の事件2[他者視点]
「どうだい、乎子。おいしかったろ、葛切り」
「まーな」
祇園さんこと八坂神社前から続くこの道はずっとお店が連なってなかなか賑わっている。そのせいか人通りが多い。得意そうな三之流と並んで歩きながら、俺は世辞ぬきでうなずいた。
確かに絶品だった。氷水の中に浮かぶコシのある葛切りに、さらりとした黒蜜はしつこくなくて上品な口当たりが最高だった。
あんな美味いのなら、いくらだって食べられそうだったが、さすがに三杯でやめておいた。
「あんたほんとに味わかってたの? 缶コーヒーなんかと一緒くたにして食べてたくせに」
あきれ果てたような口調は、少し先を芙貴と並んで歩いている安土のものだ。
「てめぇ、上島のオリジナルを馬鹿にする気か?」
「なに言ってんのよ。わたしが馬鹿にしてんのはあんたの味覚なんだけど?」
「ダメよン、がっちゃん。かーちゃんの味覚はことコーヒーに関しては人間の規格外なんだからン」
「……おいこら芙貴、それはどーいう意味だ?」
「そのまんまの意味よン☆」
……やっぱりこいつと言い争うのは体力と気力の無駄に過ぎないようだ。
俺が黙り込んだのを敗北宣言とでも取ったのか、二人は互いに話しながら先へと進んでいく。
「ははっ、やっぱり負けたね」
軽く笑う三之流。
他の奴が言ったのなら手が出てるとこだが、どうもこいつのはそういう気にならない。
多分、先天的に嫌味の成分というものが声にあまり含まれてないせいなんだろう。ある意味、得と言えるのかもしれない。
「ところで乎子。あの噂、君は信じてるの?」
「あの噂ってどの噂だよ」
自慢じゃないが、俺の周りには噂がたくさん転がっている。
俺自身噂の元となる話には事欠かないし、安土や芙貴も周囲のいいネタだ。特に芙貴の場合は浮いた噂がわんこそばのお代わりよりたくさん存在する。
そんな状況において、指示代名詞で言われたところでわかるはずもない。
「あれだよ。姿なき通り魔ってやつ。今学校中で噂になってるの、まさか知らないわけないだろ?」
「ああ。それね」
姿なき通り魔。
近頃、槻那見町では失踪事件が相次いでいる。失踪者は共通点がなく、男であったり女であったり、年寄りだったり子供だったり。
今年に入ってちらほら目立ち始めたのが、最近になって急増したらしい。
どこかに拉致されたらしいとか、外界との隔絶を説くとある新興宗教に入信したのだとか、実は通り魔に襲われてどこかに埋められたのだとか、様々な噂が飛び交った。
そんな噂の中で、学校内で一番定着した噂が通り魔説だ。
現場の目撃者が存在しないところから、付いたあだ名が『
はっきりいってそんな物騒な事件は早々に警察にご解決願いたいのだが、失踪者の手がかりはまったくといっていいほどなく、捜査は難航しているとのことだった。
「そりゃあ知ってるけどよ、いきなりなんだ?」
「んー、別にそんなに意味はないけど。ただ、誰も見たことないのに、なんでみんな通り魔だなんて思ってるんだろうってね」
「それもそうだな」
思わず俺は苦笑してしまった。
確かに失踪した奴らは、ただ単に世の中が嫌になってどこかに逃げたのかもしれないわけだ。
「まあ、噂ってのはそんなもんだろ。俺は信じてねえけどな」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
二人して何となく納得して笑う。
そしてふと目を上げると……だいぶ先行していた安土と芙貴が、5人ほどのガラの悪い連中に取り囲まれているのが見えた。
……なんてトラブルに事欠かない奴らだ。
男たちが吹く野卑た口笛の音と、はやし立てるような声、そして安土の不機嫌そうな声が風に乗って俺の耳まで届いた。
周囲に人はいるものの、男どもが睨みつけるとそそくさと目を逸らして歩み去る。
状況は一目瞭然。
「おい、乎子。助けなきゃ」
「んー……まあ、そうだな」
問題は、助けがいるのがどっちか、だが。
俺たちが歩み寄る間にも安土はしびれを切らしたらしく、芙貴の手を取ると強引に歩き出す。
囲んでいる男たちは二人を逃がすつもりはないようで、下卑た笑いを浮かべながら囲みを崩さない。
「どいて」
距離を詰めたためにはっきりと聞こえる、怒気をはらんだ安土の声。
正面の男がそれを無視した瞬間、安土の顔から表情が一瞬にして消えた。
それを確認した瞬間、俺と三之流はぴたりと歩みを止めた。どちらからともなく口を開く。
「やばいな」
「ああ、やべえ」
「向こうで他人のフリをしたのち、事態収拾後にみんなでずらかることを提案する」
「その作戦を承認する」
俺と三之流がそそくさと道の端に寄ったときにはすでにそれは始まっていた。
前フリも何もなくいきなり吹っ飛ぶ男その一。男がそれまで居た場所には、掌底を繰り出した動作のまま佇む安土。
吹っ飛んだ男が地面に叩きつけられる音を耳にして、男たちはようやく我に返る。
興味本位で遠巻きにしていた野次馬たちの中から悲鳴が上がった。
「て、てめぇ、いきなり何しやがぐ!」
相手が女ということでまだ危機意識が足りないのか、悠長に抗議していた男その二の顎に、安土の正確無比な廻し蹴りが炸裂する。
「こいつ……!」
ここでようやく相手が普通ではないと悟ったか、残り三人の男どもがようやく安土へと向き直る。
だが遅い。
「はっ!」
安土は地面を蹴って右端の男へと襲いかかる。
こうも思い切りよく相手が突っ込んでくるとは思っていなかったのだろう。男その三はそばで見ていていっそ愉快なほど動揺を顔に出した。
次の瞬間、その顔、人中に安土の容赦ない肘鉄が命中。男その三はへなへなとくずおれた。
奴らにとっては不運なことに、安土はそこいらの武道をかじっている奴とはレベルが違う。少々喧嘩慣れしてる程度で勝てる相手じゃないのだ。
奴が額辺家に来てしばらくして、些細なことから俺と喧嘩になり、そして俺はけちょんけちょんにやられた。女にやられたとあってはさすがに
手加減まで加えられるに至ってようやく俺は悟ったのだ。
世の中には絶対に勝てない奴がいる、と。
残り二人になって俺と三之流は行動を開始した。
「そ、そこまでだ。こいつを見捨てる気はねぇんだろ!?」
男その四とその五はとても敵わないと思ったか、事の成り行きを面白そうに見ていた芙貴を乱暴に引き寄せて盾にする。
その途端。
「きゃ―――――、助けて――――――ン☆
痴漢変態強姦魔――――☆
犯される―――――☆
おまわりさ――――――ン☆」
どう聞いても楽しげにしか聞こえないのは俺の先入観のせいなんだろうか。
辺りに響き渡る黄色い声。もちろん注目の的だ。男その五の慌てようは哀れなほどだった。
「だっ、黙れ!」
振り上げた右手は、別の人物によってつかみ止められた。
「さて、と」
男その五の右手をつかんだまま、三之流は場違いに陽気な笑みを浮かべた。
「あんたが最後の一人だけど……どうする?」
「え!?」
顔を引きつらせて隣を見る男その五。そこには、先ほど芙貴が叫んだ隙に、俺によって撃沈された男その四の姿。
俺たち4人に囲まれ、気弱げに周囲を見回す男その五。
「こ、降伏とかいう選択肢は……ない……?」
「んー、そうだね……」
首を傾げた三之流を、安土が遮った。
「ない。殴り飛ばされるか蹴り飛ばされるか、好きな方を選ぶんだね」
完璧に目が据わっている。
「おいおい安土。こんくらいにしとけよ。てめぇだって警察沙汰は嫌だろ?」
「そうよン、がっちゃん。今のうちにとんずらってのが賢いやり方ってものよン☆」
芙貴が言うのもどうかとは思うが、ともあれ俺と芙貴の言葉に安土は渋々ながらうなずいた。
「わかった」
「なら、善は急げだな」
俺たちは呆然とする男と、KOされた男たちをその場に残し、とっととその場を離れることにした。
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