s20閉じた筐の風景【つぐみ】

第5話 7月1日 つぐみへ知らせる

s20閉じた筐の風景【美空】

 第1話 6月30日 出会い

 第2話 6月30日 月夜の異変

 第3話 7月1日 目覚め

 第4話 7月1日 昨夜の残滓




 ちょっと用事があるからと断って、綾乃ちゃんと別れた。

 そういえば、朝練に参加している連中はこのことを知っているのだろうか?


 ……いや、ほとんど知らないだろう。実際のところ、つぐみのように直接部室へ向かうのが当たり前だからだ。

 それでも、朝はまともに脳みそが動いていないといわれる綾乃ちゃんよりは知り得ている情報が多いかも知れない。


 僕は少しでも手がかりが欲しかった。

 でも、本当に欲しいのは事件の真相じゃない。


 事件は僕とは関係がなく、あの夢は単なる夢に過ぎないのだという、確信へ至る手がかりが欲しいだけだ。

 それが、嘘でも構わない。

 僕は、安心したい。

 その気持ちの方が強い。


 とりあえず水泳部に行ってみるか。


 別につぐみの心配をしてる訳じゃない……と、思う。もっとも、放っておくと何をしでかすかわからないという部分は大いにあるし、あいつのことだからあの惨状を知った途端に犯人探しを始めるかも知れない。

 それはそれで別に構わないけれど、下手なことに首を突っ込みでもして、あとで僕がその尻ぬぐいをしなければならないというのだけはゴメンこうむりたい。


 一般に、部外者が水泳部のいるプールへ足を運ぶことは勧められないと言われている。同様の場所として、テニス部とか新体操部があげられる。


 まあ、理由は簡単。女子たちにヘンタイ扱いされるかもしれないからだ。

 かもしれないというのは、他の男子からそういうものだから近づくなと聞いたことがあるからなんだけど。


 僕は何度か水泳部の練習を見ているけど、そんな目に遭ったことがない。

 何故だろう。

 案外、男子と見られてないのかもしれない。




 おお、やってるやってる。


「声ちいさいよ――っ!」


 一年でホープ。二年でエース。後輩の指導に声を飛ばすつぐみは何とも頼もしい。


 そういえば、去年のバレンタインのチョコ獲得率は男子生徒のほとんどをしのいだと噂されている。

 ついでに、一年生女子の「男らしいひと」ランキングで危うく無差別級――ようするに先生、生徒、並びに男子女子の得票率を均等に比較するという意味だ――の王者になりかけたこともあるらしい。

 全く女にしておくには惜しい男だ。

 とにかく。


「おーい! つぐみ――!」


「……宗哉? どしたの?」




「――っていう訳なんだ」


「ふーん。それは危ないわね。みんなに注意しとかないと」


 僕は確実に事実であると認識できるところ――ようするにさっき綾乃ちゃんとの会話あたりのことだ――を話した。


 ガラスが割れているってことは言ったけど、廊下一面ガラスの海ってことまでは言わずにおいた。そんなことまで話したら最後、つぐみのでっかい口であっという間に状況が過剰かつ広範に拡散して、灰色の日々に退屈気味の学徒どもはガラスのぶちまけられている廊下に殺到しかねないからだ。

 言いふらすってことはない奴だけど、嘘のつけない性分でもある。おまけに、隠し事もダメだし。


「ふむ……第一発見者は狭山宗哉。昨日の放課後――つまり部活動が終わってみんなが帰ってからのことね――から、今朝までの間に犯行が行われたことになるわね。うーん、この前の『少年探偵J』って似たような展開じゃなかったかな」


 興味津々らしく、ブツブツとつぶやきながら考え込むつぐみ。

 こんな様子では、誰でも何がどうしたのか問いただしたくなるだろう。つぐみは正直に隠し事せず答える奴だから、こうしてあっという間に噂は広がってしまう。

 悪気がないのも考えものだ。


「言っとくけど、第一発見者は僕じゃないぞ」


「あれ? そうなんだ。宗哉より早く学校へ来た人って誰だろう?」

「それは……」


 それは。

 わかっている。

 僕は知っている。

 その場所にいたのだから。

 そう、あれが夢でないのだとしたら。


 急に黙り込んだ僕につぐみは怪訝顔だ。

 第一発見者は、理屈では僕じゃない。綾乃ちゃんはもう窓が割れていたことを知っていたのだから。おそらくは、事務の夕雅さんあたりだろう。


 でも、あの夢の中の僕は、窓の砕け散る、あの光景を見ていた。

 だから、あの夢が本当なら第一発見者は僕なのかも知れない。


「宗哉? どしたの?」


 気が付けば、つぐみがこっちを覗き込んでいる。


「ん? ああ、なんでもない。それより時間はいいのか?」


 校舎裏の弓道場からぞろぞろ弓道部員たちが出てくる。朝練の時間は一時間程度しかない。そろそろ着替えないと一時間目に遅れてしまうだろう。


「そろそろタイムアップみたい」


 つぐみの場合は水泳部だから濡れた髪を乾かさないといけないし、他の部活よりも着替えに時間がかかる。


「悪いな。試合前だってのに邪魔した」


「いいってば。むしろ感謝してるぐらいだし」


 あっさり答える。大会に備えて、一刻の時間も惜しいはずなんだけど。


 つぐみは時々……ほんの時々なんだけど、すごく真面目で、すごくいい奴になる。

 そんなつぐみを見つけた時、僕は素直に感動することにしている。

 水泳部連中やクラスメイトの証言では大抵の場合いい奴なのに、僕に対してはほんの時々ってのは気に入らないけど。


 それはもしかしたら、僕にだけ本音で付き合ってくれてるっていうことなんだろうか。


 男と女の友情は成立しないっていう人がいる。

 だけどそんなことはないと、こいつのこんなところを見るたびに思う。


「俺たちの友情は愛情より深い」なんて台詞がどこかで読んだマンガであったけれど、そういうのもありなのかもしれない。


 僕だって高校二年生だ。

 彼女らしい人ができたこともあった。

 けど、変わらず付き合い続けられたのは、こいつが恋人じゃなかったからなのかもしれない。


 よく見てみると、背がまた伸びたんじゃないだろうか。

 出会った小学生の頃と比べると、当然だけどつぐみは成長している。もちろん僕だって同じだけの時間を過ごしているのだから、成長はしているはずなんだけど、一向に身長は追いつかない。

 すらりと伸びやかな足首。瑞々しく輝く太股。それから、若鮎みたいに引き締まったお尻があって、ウェストがある。

 そこから先が問題だ。


 ……胸。

 前から思っていたんだけど、かなりのボリュームなんじゃないだろうか。

 僕の記憶が確かなら、つぐみは小学生のころからブラジャーつけてたみたいだし。

 もちろん、そういう噂を耳にしただけで、自分で確認をしたわけじゃない。普通、そんな命知らずなことはできないだろう。


「……うや」


 ひょっとして、つぐみって、スタイルがいい?

 競泳用水着のせいで形とかわかりにくくなってはいるけど、それにしたってデカイだろう、これは。

 水泳やっているせいで肩幅も広いけどそれに比べても胸がでかい。多分、僕の手では収まりきらないに違いない。


 たとえるなら、リンゴより大きくてメロンよりは小さいぐらい……そう、夏みかんとかそのあたり。

 驚いたな。『男子三日会わざれば刮目して見よ』っていうけど。


 顔だって光の当たり具合によっては可愛いく見えなくはないし、性格だってさっぱりしていると言えなくはない。まあ、ちょっと……いや、かなりデカイのが珠に瑕だけど、普通に考えたら、男子にもててもおかしくないだろう。


 いや、これでもてなきゃおかしいんじゃないだろうか? 考えてみたら、こいつの周りには不思議と男っ気はなかったように思う。


「そうや……!」


「……え?」


「そんなに見ちゃ恥ずかしいよ……」


「え? あ……」


 あああ。

 つぐみのヤツ、耳まで真っ赤に染まっている。

 一応とはいえ、女の子――おまけに水に濡れた薄い水着一枚ときた!――にじろじろと無遠慮な視線を注いでしまったのは失敗だった。


 しかし、こいつが一人前に照れるなんて。

 そっか。一応とはいえ、女の子なんだよなあ。

 本当にいろんな意味で成長したんだな。

 などとヘンなところで感動などしてしまった。


「えっと……」


「なに……?」


「その……」


「………?」


「――――」


「――――」


「………………」


「………………」


 な、なんだこれ。

 どうして口がきけないんだ?

 二人の間に流れる空気がぎこちない。

 多分、これまでに一度としてなかった感じだ。

 二人ともいつもの調子で笑い飛ばせばいいのに。

 どうしちゃったんだろう。


「――――」


「――――」


「…………………………」


「…………………………」


 まっ、まずい。このままでは沈黙の海で溺死してしまいそうだ。

 こんなところで溺死するのは勘弁してもらいたいものがある。

 何か話題をふらないと。

 でないと気まずさでしんでしまふ…………。


「いやー、お二人さんはお熱いわねぇ」


「「うわあっ!」」


 一応、助けられた、んだろうか。

 にやにやとどこか下品な笑いを口元に浮かべた弓道着を着た女子生徒が僕らの隣に立っていた。


「あっらー、ご挨拶よねぇ。この暑いのにお二人さんはもっとアツアツで結構なことで。あー、暑くて暑くてたまらないわー」


「こ、琴乃先輩……」


 パタパタと手で胸元をあおいでいるのは、弓道部女子主将、琴乃梓先輩だった。


「で、朝っぱらから夫婦でなにしてんの?」


 琴乃先輩は人好きのする笑顔でそうのたまった。

 でもその言い方は人が悪いと思います。


「誰が夫婦ですか、誰が!」


「そ、そうですよ先輩! 誤解を招く発言はやめて下さい!」


「あっそう。お呼びじゃない。じゃ、あったしっはこっれでーっ♪」


「ああっ! 待って! 行かないで!」


 なんでこんなときにこんな態度でこんなことを言いますか。これは何かの嫌がらせなんですか、まったく。


 ふと気付けば、弓道部の人たちがこっちをじろじろと興味深そうな目で見てるし。

 というか、こんな衆人環視の中で見つめ合ってたのか僕らは。は、恥ずかしすぎる……。


「い、いえだから、そんなんじゃないですって! ただ、学校に来たら廊下の窓ガラスが割られてて、誰のいたずらかなーなんて!」


「そう! それ!」


 横でつぐみが激しく同意している。


「へ? 窓ガラスが?」


 幸いにも琴乃先輩は興味を示してくれたので、これ幸いと僕は事情を説明する。

 考えてみれば、僕はガラスのぶちまけられた廊下に皆が入ると困るから説明してるんじゃないか。


「ほほう。なるほどなるほど……」


 琴乃先輩はくいっ、と首をかしげる。


「そうだったんだ。あたしは部室から直行して来てたから知らなかった。でも、随分と悪いことをするヤツがいたものね。見つけたらとっちめてやらないとダメよね、そーゆーのは」


 なんとも琴乃先輩は勇ましい。


「ふふふ、ここは『J』をもしのぐ推理力をもつと噂されるこのあたしの出番かしらね」


 キラリーンとばかりに琴乃先輩の口元が光ったような気がした。


「いや、それはもう結構です……」


 っていうか、誰もそんな噂はしてないし。


「ま、いいや。そういえば話は変わるんだけど、ウチの部に一人すごいのが入ったのよ」


「すごいの、ですか」


「そ、すごいの。今日から学校に来ているんだけどね、その娘ってば強弓を軽々と引いてね、おまけに百発百中。ああいうのを天才っていうのね。きっと不審者だって一発よ」


 いや、それはどんなものでしょう。主に、人として。


「弓で一発やったら死んじゃいますよ、先輩」


 恐れ知らずのつぐみが、果敢にもツッコミを入れる。さすがだ。


「あ、そういえばそうね」


 ケラケラと笑う琴乃先輩。

 どっちが大物なんだかわからない。

 それにしても、この時期に転校してくるなんて珍しいことだ。

 ちょいちょいと手招きをされる。


「ね、どんな娘か見たくない?」


 獲物を狙う猫の目だった。

 なんていうか、先輩の言うところの奥さんであるつぐみ――断じてそうではないと宣言させてもらうけど――を前に、どういう反応を示すかに興味津々という感じ。

 横を見たらつぐみも興味ありって感じだ。


 しかし生命の危機じゃないのか、これは。

 だって遠距離支援系と近距離格闘系がそろってるし。この組み合わせって鉄壁じゃなかろうか。


「はあ」


 でも甘いですよ、琴乃先輩。

 僕だって、だてに16年間を生きてきた訳ではないんです。


「先輩はどうせ僕が見たくないって言っても、見せる気でしょ?」


 と、得意げに言ったら、


「ふふん、いい読みするじゃない」


 と、言われてしまった。


 ついでに、ひょいと目で示される。

 彼女を見て、僕は言葉を失った。


 女生徒がいた。弓道着を着た女生徒だった。

 獲物を射抜くような目。

 冷酷に、冷淡に、目的を達するためにはすべての犠牲を払っても構わないといいたげな冷たい目をした顔。

 その人の白い顔だけが僕の目に映るもののすべてだった。


 目が細くなる。

 僕を射抜くように。

 冷たい視線が僕を貫いた。


 夢で会った女の人だ。あのときは巫女装束を着ていたけれど、間違いない。

 そして、嘉上神社の階段で会った女の人だ。一緒に空を見上げた、見知らぬ制服を着ていたけど間違いない。


「みぃちゃーん。こっちこっち。ちょっと来て」


 琴乃先輩の手招きに従って、その女生徒が僕の前に立った。

 なぜだろう。とても喉が乾く。ひりひりと喉が乾く。それなのに背中には幾筋もの冷たい汗が伝い落ちていた。


「こちらは狭山宗哉君と三輪つぐみさん。二人とも二年生よ。で、こっちがみぃちゃん。あ、名前は美空だったわね。今日転校してきた三年生」


 琴乃先輩の紹介に、僕は小さくうなずいただけだった。

 美空と紹介された女生徒は、値踏みをするかのように僕のことを見つめている。


「はじめまして」


 まるで氷で作られた鈴を鳴らしたような、冷めた声だった。

 言葉をなくしてしまったかのように、僕は口をきくことができなかった。


 同じ沈黙といっても、つぐみの時のとは違う。

 緊張をしているというわけではない。

 ただ、何かを言わなければならないのにそれが出てこなかった。

 表現できる言葉が、僕の中にはないのかもしれない。自分の中にないかもしれないものを探し続けても見つかるはずがない。


「……うや」


 もどかしさだけが募る。

 それは目の前に立つこの人の視線に心まで射抜かれてしまったからだろうか。


「そうや……」


 動けない。

 ただ頭の裏側で音がする。


 ざあああああああああ――――――――


 音を立てて、頭の中の血が引いていく――。


「そうや……!」


「――――っ」


 その声で我に返った。

 つぐみの声。

 我に返ってみると、彼女はもういない。

 美空先輩は、何処かに行ってしまっていた。


「ほら、狭山君がおどおどしてるから、みぃちゃんがヘソ曲げちゃったぞ。君の責任だからね」


 何が面白いのか、琴乃先輩が笑いながら言った。

 僕はどうすることもできずに。

 その場に立ちつくしていた。

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