第4話 8月20日 美空の戦い[三人称視点]

 何が違ったのだろう。

 どこで間違ったのだろう。

 わたしは、間違ったのだろうか。

 わからない。


 美空としては言われたとおりに操作したつもりだったのだが、宗哉は電話に出なかった。


「これは携帯電話というもので、電話線が繋がっていなくても電話ができるんです」


 出会って間もなくのことだった。

 親切のつもりで説明してくれたのだろうが、それは侮りすぎというものだろう。いかに美空といえど携帯電話ぐらい見たことはあった。


「……ダイヤルは何処にあるの?」


「いえ、これは折り畳み式ですからこうやって開けば……」


 見たことくらいあった。

 だが、見ただけでは役に立たないものらしい。

 ……ともかく、彼女にとっては予想通り役に立つ代物ではなかった。


 言われたとおり、数字と緑色のボタン以外には触れていないのだが、一向に通話できない。

 繋がっているのに宗哉がいないのか、それとも純粋に繋がっていないのか、どちらなのか美空にはわからなかった。


 これならば美空にとっては、直接行った方がよほど早い。

 だがそれはできなかった。

 今は、行くべき場所がある。

 だから、宗哉の許には行けない。


 数瞬迷った後、美空は宗哉からもらった携帯電話のストラップを、小枝にかけた。

 一度でも来た場所を忘れてしまうことなどない。美空はそのように修練を積んできたのだ。


 これは後で取りに来ればいい。この先持っていれば、壊してしまう可能性が高い。

 全てが片づいた後に取りに来ればいいだけのことだ。〈伽藍〉の眷属を残らず、平らげた後で。


 獣も通わぬ深山――この土地にはまだ、そんなものが残っている。

〈伽藍〉たちはあの後、姿を眩ました。


 だがこの辺りは夜属たちの土地である。夜属たる美空の目を誤魔化すことはできない。


 美空は〈伽藍〉の兵士を侮ってはいなかった。

 彼らは銃という殺傷能力の高い道具を持っているし、集団で襲ってくる。

 連携は人狼のそれに及ぶことはないとはいえ、その物量の前に膝を屈した夜属は数知れない。


 だが、彼女は一人でやらなければならなかった。

 宗哉を呼ぶ訳にはいかない。

 知れば、宗哉はここに来てしまうだろう。だから知られる訳にもいかない。


 宗哉はもう狼の姿をとることはできないだろうと美空は考えていた。

 オオカミの姿のままでは、人の思考というのは失われていく。


 オオカミと同じ構造の脳で人の思考を長く維持することは、困難である以上にそもそも無理な話なのである。

 あれだけ長い間、ヒトオオカミの姿でいた宗哉には想像を絶する負荷がかかっているはずだった。


 次にその姿になったときにヒトとしての姿に戻れないかもしれないという恐怖が心を縛り付けてしまうほどに。

 その恐怖を甘えと責めることは誰にもできないだろう。


 次に狼の姿をとったとき――下手をすれば、宗哉はケモノへと堕ちてしまう。

 己を持たず、凶暴に、爪を振るい、牙をむく、災厄を撒き散らす祟り神として。

 ひとたびそうなったならば、美空は宗哉を殺すしかなくなるのだ。


 だから美空は自分に言い聞かせる。


 ――わたしは独り。

   わたしはひとりでやる。

   ひとりでも、だいじょうぶ――


 美空は気がついていない。

 なにゆえ、自分が扱うことのできない携帯電話で宗哉に連絡を取ろうとしたのかを。

 だが、それに気づくことができないのを、弱さと責められるべきか――


 木から木へ。枝から枝へ。

 移動するうちに予感はあった。

 不吉を美空は感じていた。


 オオカミの勘は鋭い。鋭くなければ戦場いくさばで生き延びることはできない。

 だから、イヤな感じがする時には速やかに行動を思い止まる。そうして良くない結果になったことは今までにない。

 今までは。


 だが、今回は違った。

 イヤな予感がしようと、行かなくてはならない。

 何故なら――


 わたしは――


 想いは仮面の表面で泡のように弾けて、その奥底へと沈み込む。


 なんだというのか。

 1+1は2と決まっている。

 彼と彼女は親と仔という間柄に過ぎない。


 決まっている。

 決まっているのに、何故答えが出ないのか。

 何故。

 ……答えが出ることはなかった。


「――――!?」


 最初は何が起こったのかわからなかった。

 頭部に攻撃を受けてしまったのかと思った。

 目の中に何かが飛び込んできたのかと思った。

 目の中に星のようなものが飛んだ。

 目から火花が出るというが、そんな感覚だった。


 違う。

 自分を攻撃できる範囲に敵はいない。だからといって狙撃でもない。


 人狼にとって飛来する弾丸は目にも止まらぬ速さなどでありはしない。見てからでもかわすことができる。

 だが、これは攻撃だ。それは、間違いない。


 目が熱い。

 手が、足が、皮膚が、臓物にいたるまで熱い。

 生きながら煮え湯に放り込まれた感覚。いや、臓物が突如発火して身を焦がす感覚。

 何が。

 何が起こっているのか。


 わからない。何かを考えようにも脳は脳漿のうしょうも血液も沸騰して、血管を破って流れ出ている。

 眼球も沸騰して、破裂している。唾液も胃液も骨髄液も沸騰して、細い血管を破って出ている。

 内液の急激な膨張に耐えられず、パンパンと皮膚が爆ぜて破れる。


「ガ、ア――……っ!?」


 人の発せるとは思えない異音を喉が発する。

 充満する緑の匂い。樹々の樹液が沸騰して蒸気を発している。


 ぽとりと落ちた小鳥の破裂した身体からはみ出した煮えたぎる臓腑が白い蒸気を発している。美空の身体も同じように白い蒸気を発していた。


 森が煮えたぎっている。

 美空も含めた何もかもが煮えたぎっている。


「宗哉くん……」


 虚空に、名を呼んだ。


「宗哉くん――!」






s42野晒――終了


――――――――――――――――――――――


シナリオ/ 是森戦十郎

シナリオ補佐/ 卯月桜



紙帯[かみおび]

 紙を使用した魔術で代表的なものは符術と言っても過言ではない。密教や道教で謹製される呪符は、現代も祭事において親しまれている。洋を省みてもシジルに記された秘紋やルーンは魔術師にとり重要な役割を果たした。

 日本発祥とされる神道においても紙を使用した呪符の系譜が連綿と伝えられている。

 熊野三山の牛王符はオーソドックスな霊符と言えるだろう。紙折符などは和紙を秘伝に従い折り込むことにより神秘力を得んとする珍しい用法である。

 言霊的ロジックで言うならば「紙折」は「神居り」であり、折りこむことにより、紙は神の居る所となる道理である。

 美空の使用した紙帯については類例を見ることができず、美空のオリジナル、あるいは人狼に連綿と伝えられていたものであると思われる。

 神の帯により封じ込め、結い止めるというストレートなワークであるが、イメージングは古今東西を問わす魔術霊術の至枢であり、それを知る美空であるからこそ定法を破っていけるのである。

 また、美空が魂鎮めに用いた祝詞は土地のものではなく山陰神道系のものであり、美空が幅広い知識を持つ高域のメイジであることが窺い知れる。



祭文[さいもん]

 祭りのときに節をつけて読んで、神仏につげる文のこと。

 山伏が錫杖しゃくじょうをふり、ほら貝・三味線などにあわせて神仏の霊験や、祭りのいわれなどを語ったもの。



γ線[がんません]

 電磁波の一種で、波長が極めて短い。太陽光線や赤外線も同種の電磁波である。

 太陽に手をかざせば透けて見える経験は誰もが経ているであろう。有名な電磁波のX線の照射は人体などなら完全に透かしてしまう。

 X線もγ線も波長が異なるだけの太陽光線の同類であるが、太陽光線よりも波長が短いX線は物体を透過しようとする力が強い。そのため、太陽光線では透かして見えない骨格までもが透けて見えるのである。

 X線が人体に有害であることを知っている方は多いと思うがγ線も同様で、物体を通過する際には周囲の電子を電離させていってしまう。照射量が少なければ身体に良いが、照射量が多ければ細胞の一部が再生できず癌細胞となったり、甚だしい場合は跡形もなくなってしまう。

 広島や長崎の爆心地では、核爆発の際発生するγ線をまともに浴びた人々の、うっすらと影のような跡を壁や地面に残すのみとなってしまった遺体(?)が発見されたという。



タクティカルトマホーク[たくてぃかるとまほーく]

 ニュースや新聞でお馴染み、最早世界一有名なミサイル。

 衛星誘導とコンピュータプログラミングによりレーダーが無効なほどの超低空を飛行して目標に命中させることが可能。その誤差は10メートル以内であるとも言われる。通常弾頭のほか、核弾頭の搭載も可能だが、その場合は戦術用単弾頭に限られる。

 単弾頭の反意語は多弾頭で、一発のミサイルに多数の核弾頭を搭載している。戦略核といわれるミサイルはほとんど核多弾頭で、単弾頭の核は目標を限定したい場合に使用される。

 ミサイルにはロケット推進とジェット推進があるが、トマホークは巡航中にジェット、目標近くでの加速にロケットを併用している。射程はバージョンによっては1300㎞にも及ぶ。

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