第7話 7月1日 屋上で食べる

 教室をざわついた雰囲気が支配する。昼食ということで、それぞれが仲間と連れ立ったりしながら教室を後にしていく。


 今日は天気がいいから屋上へ出てお昼を食べることにしよう。

 せっかくの梅雨の晴れ間の一日だ。お日様のもとで食事なんてのも悪くない。


「宗哉」


 声に振り返ると、なにやらパックが放り投げられた。それを慌てて胸のところで受ける。ヨーグルトドリンクだった。


「……コーヒーじゃないのか」


 投げつけた張本人である黛に聞く。


「このほうが健康にいいんだよ」


 しれっとしたものだ。


「もうひとつ言っておく」


「なんだい?」


「食べ物を粗末にしない。投げてよこすなんてもってのほか」


 お百姓さまに申し訳ないというのが、僕の母さんの口癖だった。


「……わかった。以後気をつけることにするよ」


「わかればよろしい」


 連れだって教室を後にした。


 屋上へ出ると、青い空がどこまでも遠く広がっていた。そろそろ梅雨明けも近いということもあって日差しはすでに夏だった。

 通り過ぎていく風は強くて、まともに目を開けられない。顔をそむけてやり過ごすと、そこに見慣れた女生徒が立っていた。

 手すりにもたれながら、新たに現れた僕と黛を無関心そうに見ている。


 江草えぐさ和泉いずみ。クラスメイトだ。


 江草は、加賀高では珍しいタイプの人間だった。金色に染められた髪に微妙に手を加えられた制服。何事にも関心がないといいたげな表情に咥えたタバコ。

 そんなわけで、クラスでも浮いた存在だ。付き合ってみれば悪いヤツではないというのはわかるんだけど、人間、最初は見た目で判断するものだ。


 ちなみに、江草には鍵開けが得意という変わった特技がある。

 本来、生徒には開放されていない屋上に立ち入ることはできないんだけど、江草が学校に来ているときはこうして入ることができた。


 そういうわけで、この屋上は知っている人しか入ることのできない秘密の場所となっている。だからここは、他人に干渉されずにのんびりするにはもってこいの場所だ。

 僕らはこうしてたまに訪れる。

 弁当を食べたり、授業をサボったり……用途は実にさまざまだ。


 そんな場所に、新しい訪問者がいた。


 フェンスのそばでお弁当をつついている女生徒。

 長い髪が屋上を吹き抜ける風にあおられている。どこか人形めいた姿。美しい顔立ち。


 ――美空先輩。


 その姿を見て、僕は固まる。

 視線すら動かせない。

 まるで縫い付けられてしまったかのように身動きが取れなくなった。


 彼女がこちらを向いた。

 何気ない仕草で。

 まるで僕のことなど知らないかのように。


 そして――彼女は目を細めた。

 冷たい視線を覆い隠すかのように。

 表情を悟られないようにするかのように。


「どうした、宗哉」


 ぴくりとも動かない僕に気がついた黛が肩に手を置く。ゼンマイ仕掛けのようなギクシャクした動きで、僕は黛を見た。


「……なんでもないよ」


 僕の表情を見ればなんでもないはずがないことはわかっているだろうに、黛はそうかとだけ言って、さっさといつもの場所に腰を下ろす。


 僕と黛のやりとりを興味なさそうに見ていた江草に聞いてみる。


「どうしてあの人がいるのさ?」


 江草はなんのことだと言いたげな顔をするので、僕は視線だけで少し離れた場所でお弁当を食べている女生徒を示す。


「見つかったから」


 それだけ言うと、黄色いボックスから一本取りだし、マッチで火をつける。


「見つかったって、鍵を開けるところを?」


「うん」


 珍しいこともあるものだ。僕はこれまで一度として江草が実際に鍵を開けているところを見たことがないっていうのに。


「いいの?」


「わたしは気にしない。たぶん、向こうも気にしていないと思う」


 ふぅーと白い煙が口から吐き出された。

 屋上の強い風にあおられて、あっという間に消え去ってしまう。


 この胸の奥がざわざわするような感覚はなんなのだろう。

 知らない人が秘密の場所に入り込んだから?

 それとも、あの夜のことが気にかかるから?

 僕にはわからない。


 空を見上げる。

 夏に近づくに連れて空の青さが徐々に深くなっていく。それと真っ白な雲とのコントラストが目に痛いぐらいだ。

 空が目いっぱいの力で夏が近いということを告げているかのようだった。


 なんとはなしに、煙草を吹かしたままの江草に聞いてみた。


「江草はオカルトとか不思議とかその類って信じるほう?」


「うん。あるものはあるから」


「幽霊とかも信じるのかい?」


 興味があるのか、黛が会話に参加する。


「あるかもしれない。でも、正直なところはわからない」


「わからないっていうのは?」


「見たことがないから」


「なるほど。実際に目にしたら、それはあるというわけだね。実にシンプルでいい」


「その言い方だと肯定的に聞こえないよ、黛」


「そうかな。ところで宗哉は信じるのかい?」


 どうだろう。これまでは特に信じるとかいうことはなかったと思うけど。

 今は……どうなんだろう。


 食事を終えたらしい美空先輩が立ち上がる。


 僕たちの前を通り過ぎていく時、ちらりと僕の方を見た。

 その眼差しに僕はまた言葉を失う。射抜くような鋭い瞳だった。まるで暗い森で狼にでも出くわしたみたいに身がすくむのがわかる。

 美空先輩の長い髪が揺れて、屋上には甘い香りだけが残った。

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