第22話 8月13日 友人の告白2

「――昨日、彼女が死んだ」


 檜山がぽつりと呟いた。


 淡々とした声音の呟きには、悲しいとか悔しいとかそういうものが一切含まれていない、ガラスのように堅くて透明な言葉だった。


 加賀高生の社交場でもある、喫茶店タラモア・デューの店内は、夏休みの午前中ということもあってほとんど人気がない。


 檜山の前にはコーヒーがおかれている。

 冷めるにまかせ、口をつけてもいない。

 頬杖をついたまま、窓の外ヘあてどもなく視線をさまよわせている。


 聞き慣れた有線放送のかかる店内で、冷めたコーヒーをすすっているのは檜山と僕と黛の三人だけだった。あとはカウンター奥の伯父さんが誰もいないかのように黙然とカップを磨いているだけだ。


 僕は何も言わない。

 もう一人、黛さよいも何も言わない。

 僕らは黙って聞いている。


「彼女が死んでからずっと泣いていたけれど」


 コーヒーの湯気がゆるく天井に上っていく。

 お冷やの氷がからりと音をたてる。


 ――ある夏の夜、母さんが死んだ。


 ――ある夏の夜、昔好きだった人が死んだ。


 誰かが死んでも、それに涙を流しても、

 昨日と変わることなく

 この星は聞こえない音で回り続け、

 僕にそれを止める術はない。


 いたずらに流れる時の中で、

 悲しんでも、苦しんでも、嘆いても、

 喜んでも、怒っても、楽しんでも、

 それでも僕と僕らはこの世界で生きていく。


 だから僕は、

 彼女と彼女のしたことと、

 僕のしたことを決して忘れないように、

 心に書き留めて生きていく。

 昼と夜がくるくる回り続ける

 この世界で。


 コーヒーの湯気がゆるく天井に上っていった。

 お冷やの氷がからりと音をたてた。


「ずっと泣いていたけれど、それでも――それでも、彼女と知り合えてよかった」






s21そばえ――完了


――――――――――――――――――――――


シナリオ/ 月山楽

シナリオ補佐/ Nekko



朝比奈水緒[あさひな・みお]

 宗哉の元恋人であり、初めての人。現役の女子大生。宗哉の通っていた高塚中学では美人で運動と勉強のできる先輩として有名だった。

 宗哉と付き合い始めた当初、両親の離婚問題などがあって精神的に不安定だったが、外見的にそのような様子は微塵も見せなかった強さも併せ持つ。

 中学卒業後、槻那見町から元屋敷町へと引っ越しており、それからは一人暮らしを続けている。



梨田蓬[なしだ・よもぎ]

 美空の先達でもある古狼。幼い頃に預けられた美空の面倒をずっと見てきた人でもある。



金本修[かねもと・おさむ]

 宗哉の中学時代の友人。

 三崎高校へ進学したが自殺してしまう。

 自殺の直接の原因は、水緒の能力によるものだと思われる。



滝沢和男[たきざわ・かずお]

 宗哉の中学時代の友人。



檜山雄一[ひやま・ゆういち]

 加賀瀬高校二年生。

 一年生の頃は宗哉とよく遊んだ仲だった。



天川祭[てんかわさい]

 加賀瀬高校の文化祭は一般にも公開され、かなりの人出がある。屋台やお化け屋敷、演劇発表という定番の出し物から、カラオケコンテストやミスコンテストといったものまでと幅広い。宗哉たちのクラスの研究発表という出し物は珍しい部類に入る。

 課外活動の一環として、入場者からの投票によって発表物の優劣が競われる。派手な出し物は生徒や一般参加者からの人気は高いが、学校関係者の投票のほうがポイントは高いために発表物系が上位にランクインすることが往々にしてあるので侮れない。



プール[ぷーる]

 このあたりでは数少ない娯楽施設の一つ。プールには小さいながらも遊園地も併設されている。元屋敷駅が最寄り駅で、徒歩約10分。

 流れるプールやウォータースライダーなど、一通りの種類は揃っている模様。



プールのチケット[ぷーるのちけっと]

 前売りは大人500円。



高塚中[たかつかちゅう]

 宗哉が通っていた中学校のこと。ちなみに、つぐみも同じ学校に通っていた。



三崎高校[みさきこうこう]

 このあたりでは有名な私立の進学校。毎年かなりの数の生徒を国立大学へ進学させている。

 朝比奈水緒が通っていた高校でもある。



海神別荘[かいじんべっそう]

 著者は泉鏡花。

 森厳藍碧の海底の公子は陸の若い美女を妻に迎えることになった。美女は自分が幸せに暮らしていることを父親に伝えたい願って陸に向かうが、彼女の姿はもはや人間の目には恐ろしい大蛇としか映らなくなっていた。この姿になったのは公子の魔法であろうと詰め寄ると、公子は怒り美女を錨に縛り付ける。美女は死を覚悟し、公子の手によって殺されたいと望む。美女の願いを聞き入れ、公子は剣を構える。このとき初めて両者は目と目を見交わす。公子の真の姿を見て、美女は故郷への未練も、何もかもを忘れ、死に臨むと莞爾と微笑む。

 公子は美女の縛めを解き、血を交わし、終生をちかう。



ドッグズ&キャッツ[どっぐずあんどきゃっつ]

 世界征服をたくらむ犬たちを、正義の猫たちが阻止するドタバタコメディのミュージカル。

 本物の犬や猫をふんだんに使った話題性たっぷりのこのミュージカル一番の見所は、陰謀を阻止した猫たちが犬たちの包囲から脱出するために大砲で空中をカッ飛ぶシーン。リアリティを追求した演出家が本物の猫を飛ばすことにしたため、動物愛護団体から抗議が来ているとかいないとか。



人魚姫[にんぎょひめ]

 原作は童話作家であるハンス・クリスチャン・アンデルセン。

 人魚姫は転覆した船に乗っていた王子様を助けるが、王子が目覚める前に海に帰ってしまう。だが、人魚姫は王子に会いたくて仕方なかったため、魔女に頼み込んで美しい声と引き替えに人間の姿にしてもらう。それには、王子と結婚できなければ泡となって消えてしまうという条件も付いていた。

 歩くたびに走る痛みを堪えながら人魚姫は王子のいる城までたどり着く。話すことのできない人魚姫は王子にかわいがってもらうが、素性の知れない者と結婚してくれるはずもなかった。王子は自分を助けたのが人魚姫だと知らず、他の国の姫と結婚してしまう。

 人魚姫の姉たちは「このナイフで王子を殺せば助かる」というが、人魚姫はそうしなかった。最後に人魚姫は泡となり空気の精につれていかれる。



ケモノ[けもの]

 夜属が己の中に飼う獣性のこと。またはその獣性に負け、真の闇に堕ちた状態をいう。戦いを常とする種族(鬼、人狼、武具の九十九など)が囚われることが多い。



天耳通[てんじつう]

 宗哉の能力。本来は人狼族全てが持っている「因果律への知覚能力」である。今日ではほとんどの人狼はこの能力を喪失、あるいは限定的な使い方しかできなくなっている。一種の先祖がえり。

 事象(生物及び非生物、広義には現象)の因果を〈音〉として認識できる。当初は雑多な音だが徐々に認識できるようになり、経験と訓練によって特定の音がどのような因果律を現すかを区別できるようになる。



鬼子[おにご]

 夜属は血によって覚醒すると考えられているが、稀にその血筋とは関係のないところから夜属に目覚めるものが出ることがある。これを鬼子と呼ぶ。

 鬼子は新しい血を一族にもたらすので喜ばれる一方、夜属としての自覚が欠けることが多いために、不用意に一般社会に接触し、数多の一族を危険にさらす可能性もある。それゆえ、目覚めたばかりの鬼子の元には見極めをする者が必ず訪れる。その者が「問題なし」と断を下してはじめて、夜属として受け入れられることになる。



〈銀〉[しろがね]

 人狼族において、銀狼種であり、なおかつ狩りに優れた者にだけ与えられる名。今代は七世として美空が継いでいる。

 初代は月読命に従っていた狗神であるとされる。

 銀狼種は数が少ない上、狗神族全体の覚醒者が激減しているため、名を継ぐものが出たのは久しぶりのことだった。

 美空は右腕しか変身することができないが、それでもなお〈銀〉の名を継いだのは相当の実力があったため。今の狗神族においても一二を争う使い手とされる。それはすなわち、夜属でも屈指の使い手であるということでもある。



犬塚家[いぬづかけ]

 長老の一人。狗神筋に連なる。

『人狼挿話』に登場した山科やましな家とも親交がある。



忌の仔[いみのこ]

 忌の仔を生み出すことのできる能力を持つ忌が、力を分け与えて産み落とした落とし仔。ただし、仔を産む能力を持つ忌は非常に稀である。

 対象はほとんどなんでもよい。獣、植物、生きているもの、死んでいるものなど、さまざまなものが対象となるが、忌の仔と化した時点で原型が何であったかはほとんどわからなくなることが多い。元の形状をとどめる場合もあれば、似ても似つかぬ形状に成り果てることもある。

 また、忌は高度な擬態と同時に確たる自我を持つが、忌の仔は擬態において忌に及ばず、また自我があった場合でも失われることが多い。知性体の場合はしばらくの期間は自我を保てるようだが、それもいずれ消える運命にある。

 忌も夜属と同じく、窓を開いたモノであるが、忌の仔はその窓を開きそこねたモノと考えればよいのかもしれない。

 アンヘルでは「コボルト」と呼称されている。



朝比奈水緒(忌)

『孤独なる雫』。

 彼女の叶えられた望みは『特別なモノになること』。彼女は大切な人である宗哉に自分を忘れてもらいたくないがために、特別なモノになることを願い、そして叶えられた。

 作中ではほとんど触れられていないが、彼女の忌としての能力は『負の誘惑』である。他人を殺してみたい、ここで死んだら楽になるかも、などという負のちょっとした衝動を、行動に移してしまうほどに増幅する能力である。

 たまたま女の子と歩いていた宗哉を目撃してしまい、それをきっかけに忌として覚醒を果たすことになる。

 覚醒した時期は比較的早く、水緒の覚醒以後、槻那見町周辺では理由なき自殺や殺傷事件が頻発していた。

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