s43寄る辺

第1話 8月16日 未来の死

 つぐみの夢を見た。

 何度も繰り返し見た。

 あの時の顔が何度も何度も現れた。


「そうや……?」


 違う、ということができなかった。

 多分、嘘をついても無駄だったろう。

 そう思える。

 昔から僕はつぐみに嘘がつけなかったし、嘘をついたらすぐにばれた。


 何のことはない、結果は決まっていた。

 プロットは書き上げられていた。

 結幕はお定まりだった。


 多分、もうあと一度しかない。

 オオカミの姿になることだ。

 僕はかなり長い間、人狼の姿のままでせていたらしい。


 ぞっとする。

 その間の記憶なんて全くなかった。オオカミとなった僕が何を考え、何を喋ったのかまるで憶えていない。


「もう狼の姿になってはいけないわ」


 僕が一人前の人狼となることを心から望んでいたはずの先輩がそんなことを言っていた。


「はい、でも……」


 人狼でなければ忌や〈伽藍〉と戦えない。僕が戦えなければ先輩はたった独りで戦わなければならない。

 大丈夫なのかと問うと、「大丈夫」と美空先輩は答える。


 この大丈夫っていうのは先輩の口癖みたいだ。何かにつけて口にする。

 知り合って一ヶ月以上も経つというのに、僕は先輩の口から弱気な言葉を聞いたことがない。

 どんなに苦しい状況でも先輩は「大丈夫」だと言う。つまり先輩の大丈夫という言葉ほど大丈夫でないものはないと思う。


「せめて〈伽藍〉とのことが済むまでは――」


「ダメよ」


「ダメって、それだと先輩が……」


「ダメなの、宗哉くん」


 何故なのかを、先輩は言わなかった。


「ダメなのよ……」


「……わかりました。気を付けます。でも――」


 僕はある程度、自分の中のケモノをコントロールできるようになった。

 だからこそ学校にも行けるし、つぐみたちとキャンプにだって行けた。


 だけど、もともとケモノは奔放だ。奔流そのものといっていい。万一手綱を離れることだってあるかもしれない。

 その時にはどうすればいい?


「大丈夫よ。あなたは制御できる。制御できる理由があるのだから」


「理由……って?」


「………………」


「制御できる理由はなんなんですか、先輩」


「それは……」


 珍しいことだった。先輩が、口ごもっている。


「……それは……」


 どのような理由なのか?

 僕がケモノと戦い得る理由とは?


 僕は固唾を呑んで待った。


「みわ、つぐみ……」


「……え?」


 待った挙げ句に思いがけぬ名を聞かされた。


「三輪つぐみ、と、あなたは……」


 思いもかけない言葉だった。

 なぜここでつぐみの名が出るんだろう? それはケモノの制御と何か関係があることなのだろうか。


「……〈伽藍〉はわたしが片づけるわ」


 それきりで、先輩は他には何も告げなかった。


「帰るから」


 以来、先輩は現れていない。


「もう人狼には変化へんげせぬ方がよかろうて」


 梨田さんもそんなことを言っていたけれど、確かにその通りだと思う。


 僕が人狼になれるのは多分あと一度だけだ。

 人狼に変身できるのがあと一回で、もう人狼になれないという意味ではない。次に人狼になったら、もう二度と狭山宗哉には戻れないという意味だ。

 だから、もうあと一度なのだ。


 ひとたび人狼となったら、おそらく最期まで人狼のままだ。狭山宗哉にはもう戻れないだろう。

 この予感は多分、間違っていないと思う。

 額辺のお屋敷の人たちも先輩と同じように多くを語らなかったけど、何となくわかった。


 多分、そういうことだ。

 本当ならこうしてまた部屋に戻って来ることもなかったのだろう。僕自身どうして僕に戻ってこられたのか見当もつかない。

 ただ、僕は夢を見ていた。


 あの時の、照り返す炎に染まったつぐみの顔。

 あの時の、つぐみの、柔らかな――


 つぐみがここに来てくれたような気がしていた。つぐみはつい間近で僕を覗き込んでいたように思った。息づかいまでもが感じられた。

 もう少しで唇と唇が触れ合うのではないかというほどの間近だった。


 来てはいけないという気持ちがあった。

 来てくれて嬉しいという気持ちがあった。

 ない交ぜになって、僕は何事かを叫んだ。

 つぐみの名を呼んだのだと思った。

 その後のことは覚えていない。


 そんな夢を見てほどなく僕は回復した。

 本当につぐみが僕を救ってくれたのかどうか、だから僕にはわからない。


「僕のクラスメイトが来ませんでしたか?」


 先輩に尋ねてみたけど、誰も来なかったと言う。


 それも当然だろうと冷静などこかで思う。

 人間は自分たちが思っているほど異物に対し寛容ではない。

 他人とちょっと異なっているところがあるというだけで蔑視する。常識がないというだけで鼻をつまむ。身近から遠ざけようとする。


 つぐみがそうだとは思いたくはないけれど、もしそうだったとしてもつぐみを責めようという気持ちは僕にはない。


 僕は人狼化した姿をつぐみに見られた。

 つぐみはヒトとも獣ともつかないバケモノの僕を見て、はっきり僕だと認識したはずだ。

 つぐみは僕がバケモノだと知った。バケモノの僕と今まで通りに接することができるはずもない。


 それはとうの昔に済ませていなければならないわかれだった。今まで思い切れなかった僕に意気地いくじがなかったのだ。


 次はもうヒトに戻れないかもしれない。

 その事実にもっと衝撃を受けてもバチは当たらないだろうと思わなくもないけど、生憎と僕には些細なことだ。覚悟なら、すでに済ませた。

 どっちにしろつぐみのもとに戻れない僕にこの世界でいるべき場所はなくなった。


 人狼になってヒトの姿に戻れなくなったら、狭山宗哉は死ぬのかも知れない。

 生命体として命がなくなるわけではない。人間としての存在がなくなるということだ。


 ヒトとしての姿をとることができなくなった僕はこの街で、この世界で生きていくことができなくなる。未来がないということ――つまりそれが死ぬということだ。


 ダムの事件はヘリの墜落事故ということで落ち着いているらしい。テレビも新聞も判で押したように同じ内容のことを垂れ流していた。


 それをさすがの手腕だと褒め称える気持ちにはなれない。なぜなら、あの場で殺されそうになったのはこの僕なのだから。

 あれ以降〈伽藍〉はなりを潜めている。けれど、いつまた僕の前に姿を現すかわからない。

 いや、既に――


 ――貴方たちに人の心があることは知っている。

   ケモノを跳ね退けるほどの強く美しい心が。


 ――でも、ほんの1%でも、貴方たちがケモノに

   呑まれる可能性があるかもしれない。それに

   よって傷つく人がいるかも知れない。


 ――だから、たとえ、人殺しとさげすまれようとも、

   私たちがどれほどけがれ、神の御許みもとより遠ざか

   ろうと――


 あの女性の言っていたことがその通りなら、日本中どころか全人類が僕を敵視する日も遠くないのかもしれない。

 だけど今となってはどうだっていい。

 やることなんて決まっている。


 国家権力だろうが、秘密結社だろうが、世界だろうが、人類だろうが、やるかやられるかになってしまったなら選択肢は二つしかない。


 僕が死ぬか、敵を根絶やしにするかだ。

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