第8話 8月21日 塔乙女[三人称視点]
どれほどの時間が経ったのかわからなかった。
変化がないから時間の移り変わりを認識することはできないし、そもそも外界に対しての興味が失せていた。
ただ身体を丸めている間に嵐が過ぎ去っていってくれればいい。
今は誰にも会いたくはなかった。
「宗哉――」
独り、呟く。
その言葉はつぐみ以外に誰もいない廃墟に寂しく木霊した。
フォスターに言ったことは嘘だった。逢いたくないはずがない。逢いたくて、たまらない。片時だって離れたくない。
それなのにもうダメだ。
一緒になどいれるはずがない。
ひどい裏切りをしてしまったから。
そして、失われてしまった命はどうやってもかえってこないのだから。
加えて、美空がいなくなったことを心のどこかで喜んでしまっている自分を知られたくなかった。
資格がない。
宗哉と一緒に時間を過ごす資格などあろうはずがなかった。
「……やっと口を聞いてくれるのね?」
「――!?」
「ずっと貴方とお話がしたかった」
彼女はつぐみをここまで連れてきた人物であり、つぐみの罪を告発した人物でもあった。
八つ当たり気味に言葉を叩きつける。
「あんた、誰? どうして宗哉につきまとうの? どうして――」
どうして、宗哉を、殺そうとするの?
「……宗哉が、憎いの?」
あいつはいい奴なのに――最後まで言うことはできなかった。
「ひとは憎しみのために命を捨てないわ。その反対のもののために、そうすることはあっても」
「じゃあなんで……」
「貴方のためだから」
「あたしの、ため?」
「そう。ミワ・ツグミさん、貴方のため」
意味が、わからない。
「どうして? なんであたしのためなの?」
宗哉が死ぬのが、どうしてつぐみのためになるのか?
「サヤマ・ソウヤがUCPP――感染源だから。だから私たちは、殺さなければならない」
「感染源?」
「サヤマ・ソウヤは感染源です。接触すれば貴方も、ああなる可能性があるの」
「ああ、って……ああなるってこと?」
「そう。彼らは、完璧な世界に足りない、最後の欠片。世界を完成させるための欠けた1ピース。私たちの間ではこう呼ばれている――『世界究極の奥義』と」
「
「物理でない故に、決して〈伽藍〉には計り知れない。しかし、もしも――もしもヒトの身がこれを解き明かせたなら人類は完璧を手にする。霊学的、神学的課題を、公式化することも不可能ではなくなる。だから彼らは奥義の究極と言われているの」
火のついたようなブリジットの言葉の奔流についていけなかった。
つぐみは理数系がダメだった。
だが、ブリジットが何かを伝えようとしているという、それだけは理解できた。
「彼らは、このことを知らない。いいえ、〈伽藍〉の内でも極一部の許された者にしか閲覧を許可されない秘中の秘。彼らの思っているようにヨルは、世襲されない。あれは血の遺伝ではないの。彼らはヒトには目撃されない。しかし、希にヨルは、ヒトと出会う」
「ヨルに交わったヒトはもうヒトではいられない。ヨルを知ったが最後、ヨルを見てしまう。見えてしまうの。一度見えてしまえば、もう気付かないふりはできなくなってしまう。ヨルに近しくなった者はやがてUCPPの手にかかって死ぬか、ヨルに呑まれてUCPPに成り果てるか、それとも――」
「……それとも?」
つぐみは問いける。
「〈伽藍〉に、なるか」
ブリジットは冷たくそう言った。
「〈伽藍〉も一枚岩ではないの。世界の究極を求めてUCPPを狩る〈伽藍〉も少なからずいる。だけど、私たちはそうではないの」
「あんたたちは……」
つぐみの質問は少なからずブリジットを喜ばせたようだった。
「……あんたたちはどうだっていうの?」
「守るために」
誇らしげに、言った。
「ミワ・ツグミ。貴方たちを守るために」
「……けるな」
そんな、誇らしげなブリジットの言葉に、つぐみの視界はあまりの怒りに白く染まった。これまでに感じたことのない憤りに涙をためていた。
「ふざけるな……っ!」
そして、思いっきり掴みかかる。
捕虜であるはずのつぐみの手足は自由で、手錠や縄もかけていなかったので、運動能力に物を言わせてブリジットに襲いかかる。
恐怖は怒りの前に霧散していた。
「あたしを守るってあんたが! あんたたちがどうして!」
どうして、そこまで腹が立ったのか。
「どうして、嘉上先輩や……宗哉を! 宗哉を殺すのよ……っ!」
口に出てから、つぐみはようやく自分の怒りの理由に気が付いた。
いくら自分を守ってもらったところで、そこに宗哉がいなければ意味がない。
つぐみにとって肝心なのは宗哉の存在であり、その宗哉を抹殺しようとするブリジットたちの存在こそが許せなかったのだ。
「答えろ……っ!」
ブリジットは無抵抗で、つぐみの成すがままだった。
扉が荒々しく開かれると、屈強なエージェントによって無理やり引き剥がされる。
「放せ! はなせぇ!」
泣こうが喚こうがびくともしない。まるで万力のような力でキリキリと締め上げる。
自分が殴られたのだと気がつくまでにしばらくの時間が必要だった。
「やめて! 非道いことしないで……!」
「しかし……」
「邪魔をしないで……二人きりにさせて……」
「イエスサー。アルカンヘル・ブリジット」
無表情のまま、エージェントはつぐみを地面に伏せさせたままこの場を去った。
「あ……」
顔を上げると、そこにはまるで別人になったようなブリジットがいた。
先ほどのエージェントによってつぐみのメガネはどこかにいってしまったために視界は良好ではないが、ブリジットの異常は見て取れた。
もしもメガネをかけたままだったならば、別人だと思ったかもしれない。
髪の色が、老けて褪せたように銀色になって、それとわかるほどやつれていた。
「あのひとを……ソウヤを、恐れないのね。貴方がああなってしまうかも知れないのに、恐くはないのね」
「あンた……それ、大丈夫なの?」
「それはどうして?」
「あんた……それ、やばいよ。病院に行った方がいいって……」
「答えて」
静かすぎる声で、ブリジットは聞いてくる。
「聞かせて欲しいの。それは、何故?」
必死な声に、つぐみは考える。
普段から感情に任せて行動することが多く、考えるのは苦手ではあったが、その真剣さに素直に応じてしまう。
「……宗哉は、あたしの前ではいつだって宗哉だったから……かな?」
事実、宗哉はつぐみの前で人狼になったことが一度としてない。
そのため実感が持てないのだろう。
むしろ、宗哉が死んでしまうというほうがよほどつぐみには気になる。
別れ別れになって、二度と逢えなくなってしまうほうがよほど恐ろしかった。
つぐみが考え込んでいる内に、ブリジットは屈み込んで、何かを拾い上げた。
「わかりました」
「……え?」
「貴方は、サヤマ・ソウヤのことが、好きなのですね」
「あっ、なっ、なんで、なんでなんで?!」
慌てたつぐみの様子をおかしそうにブリジットは見つめていた。まるでそれが宝物のように。
「これを」
差し出されたのはつぐみのメガネで、落ちたときに踏まれたのか、非道い有様になっていた。
「壊れてしまいました……」
「い、いいよ。いいって」
差し出されたメガネを照れくさ紛れにつぐみは押し返す。この状態では使い物にならない。
「……これを? 下さるのですか……?」
「いや、あの……」
レンズが割れてしまっていては、すでにメガネとしての機能を果たさない。つぐみにとっては不要のものだった。
ブリジットが何を勘違いしたのかつぐみにはわからなかったが、その様子はまるでサンタクロースからプレゼントを貰った子供のようだった。
「ありがとう、ございます……」
掌と掌を胸で重ね、じっとメガネを抱いている。
つぐみにはどうしてそこまで喜ぶのか理由がわからなかったが、そうやって感謝してもらえたらなんとなく嬉しく思う。
「……ね、あんた」
「……はい?」
「宗哉のコト、好きでしょ」
「ええええ!?」
慌てた様子のブリジットを見て、つぐみはちょっとだけすっきりした。
もしかしたら、つぐみが考えていたよりもブリジットは悪い人ではないのかもしれない。
だが、立っている位置が異なっている以上、宗哉との戦いは避けられないのだろう。
だから、いくらブリジットがいい人間だとしてもつぐみは好きになれそうになかった。
いくら自分を守ると言われても、そのせいで美空が死に、宗哉の命が危険にさらされているのであれば受け入れることはできない。
自分のせいで宗哉が殺されると言われて、はいそうですかとうなずけるはずがなかった。
「活動限界です、アルカンヘル」
外で控えていたエージェントが姿を見せた。
実際、ブリジットの髪の色は抜け、プラチナになっている。
「どうして……」
いろんなことを聞きたかった。
なぜ宗哉が憎いのか? そんな身体で殺し合わなければいけないほど憎いのか? その身体はどうしたのか? どうしてそんなに、ボロボロなのか? どうしてそんな大切な話を、あたしにしたのか? 残り少ない時間を使って、どうしてなのか?
「……どうして?」
「貴方に、私の話を聞いて貰いたかった、から」
扉は音を立てて絞られ――
「ソウヤが、貴方を好きだから」
つぐみはまた閉ざされた。
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