第5話 キャンプへ 道すがら編
「やあ、宗哉。重そうだね」
「お陰様で」
声をかけてきた黛は本当に楽そうだった。
性別で分けるのならば、黛だって立派な男のはずなのに、荷物持ちが僕だけっていうのはどういう訳なのかすごく問いただしたい気分だ。
問いただしたいけど、仮にそうして「そりゃあ僕が美人だからさ」とかいう回答が返ってくるならまだ我慢できる。
けど、万一他の……たとえば美空先輩に、「彼は美人だからよ」なんて言われてしまったが最後、立ち直れそうにない気がしたのでやめにしておいた。
「で、手伝う気にでもなったのか?」
「生憎と僕は頭脳派でね」
そんなつもりは毛頭ないらしい。
「なにを言ってるんだ、親友。どっちかというとお前も肉体派だろう。それもフェロモン系の」
「一応、誉められたと思っておくよ。そんなことより……」
うわ、せっかくの嫌味をさらりと流しやがった。
「僕らが朝合流する前に、誰かに会ってなかったかい?」
黛たちに会う前……というと、あの金髪の女の子のことだろうか。
ひょっとして黛も見ていたのかも知れない。
「どんな人だった?」
いや、思い違いか。見ていたのならこんな質問はしないだろう。
「外国人だったよ。金髪で青い目の。この辺で見たのは初めてだったな」
「ふうん。それで?」
「それでって……」
黛は何とも思わないんだろうか。この辺りでガイジンっていったらかなり珍しいと思うんだけど。
「尼さんの着る服を着てたよ。それに、日本語がやけに上手だったな」
「僧服……修道服のことかい? 槻那見町で見かけたことがないから、他所の町から来たのかな?」
「そうだろうね」
「尼さん、ってことは女の人だったんだな。どんな娘だったんだい?」
ああ、なるほど。そう来たか。
「美人……だったな。美空先輩とはまた違った感じの……年は僕らと同じぐらいかもしれない」
「ふうん。で、なにか話したのかい?」
「話したっていっても……僕を「運命の人」なんて言っていたな。ちょっと変わった感じの……そう、人形みたいな綺麗な娘だったよ」
「人形、か……」
何故そこでため息なんだ、黛。
「信じるのかい、宗哉」
横顔となった黛に、詠嘆が映える。つくづく素材の良さというか、絵になる奴だ。
「何をさ」
「その外国人が言っていたっていう、運命ってやつをさ」
運命か……。
運命なのだろう――なんて思ったことには幾度か遭遇したことがある。運命だと思わなければ諦めも納得も行かないことが、僕の身の上を通り過ぎていった。
「運命なんてのは結果論だろう」
運命的、と表現できるのは全て過去のことだ。確かに過去に起こったことを物語のように思えることはあるけれど、少なくとも未来に運命はない。
ないと思いたい。
殺し、殺されるのが人狼の運命なら、そんな運命なんて信じたくないから。
「なるほどね」
黛は眼鏡の縁を指で撫でる。
「神の作為を払いのけたのは人間の知性だよ。地球があるのも、太陽や月があるのも神様がお造りになったのではなくて、全て偶然そこに在ったってことに現代の科学ではなっている。
故に運命はないという人もいるだろう。
だからこそ運命的という人もいるだろう。
だけど、低気圧が来たら雨が降る、ってことぐらい今の人間は予想できる」
「気象庁の発表は信用しないほうがいいって意見もあるけどね」
「それにはまったく同意するね。でも、これについては気象庁より信用できるだろう。
――生まれてきた人間は、いつかは死ぬ」
「……縁起でもない話だな」
「悪い悪い。話の流れだから勘弁してくれよ。僕が言いたいのは、世の中、決まってることだってあるってことさ」
道は緩い上り坂で、話しているとやや息が弾む。黛も、聞く僕も、息が少し乱れていた。
「でももし死なない人間がいたとして、それは人間といえると思うかい」
「さあ、どうだろう? でも、一応人間じゃないのかな」
「どうしてそう思うんだい?」
「死なない『人間』って言ったじゃないか。だからそれは人間だろう?」
別に黛に反論したつもりはない。
僕は不死に限りなく近い人狼だ。死なないことで人でなくなるなら、僕はもう人でないことになる。
「極端な話、不死だって個性の一つじゃないか」
「へえ」
美しいカーブを描く眉が優美に上げられた。
「確かにそうだな。一本取られたよ」
黛は感心していた。経験に基づく理論はやっぱり説得力を持つらしい。
「まったく、女の子の話から、どうして死ぬの、死なないのなんて話になるんだよ」
「恋は命がけって言うだろう?」
「人それぞれだろ、それは」
「君はどうなんだい、宗哉」
じっと僕を見る、黛。
いつものジョークの続きという雰囲気ではどうもなさそうだ。
「僕は――」
思案しながらといった感じで僕が口ごもっているところへ……。
「禁止!」
「「うわ!」」
つぐみが割り込んできた。ご丁寧に両手をクロスさせてばってんのしぐさまでつけた突っ込みだ。
「つ、つぐみ! 荷物が落ちたらどうするんだよ」
「ホモ禁止法違反! 死刑!」
といいながら僕と黛の間にギリギリとスペースを空けるつぐみ。司法も立法もあったもんじゃない強引さだ。
「で。ね、何の話してたの?」
何のことはない。話の輪に入りたかっただけか。
「いや、宗哉の恋愛観を聞き出そうと思ってね」
「あーっ! やっぱりホモだったんじゃない!」
「いや、その……あ!」
「「えっ!?」」
思わず僕がやった視線の先を追うつぐみと黛。
「ミチシルベか。ずいぶん久しぶりに見るな」
「ミチシルベ?ってなに、宗哉」
「ハンミョウっていう昆虫を別名でミチシルベっていうんだよ」
カミキリムシによく似た甲虫なんだけど、違うのはその甲羅の模様だ。
虹色に濡れた甲羅の輝きは、まさに自然の絵筆だった。初めて間近に見たときの感動を、今でも鮮烈に思い出せる。
「綺麗な虫だけど、咬まれると痛い」
「咬むの!?」
「ああ、一応とはいえ肉食らしいからね。あの顎でやられたら血が出る」
「うわ、血が出るんだ……」
「うん。画用紙とかでもかみ破ってしまうぐらいの力があるんだ。ま、ムカデとかと違ってやたらに人に咬みつかないけどね」
「へええ、そうなんだ。でもそれがどうしてミチシルベなの?」
「簡単さ」
「あ……!」
歩んでいく僕たちの前から、また羽虫が飛んだ。
見ていると、僕らの進む先の道へと先回りするようにまた着地する。その様は確かに、道はこちらに続いているのだと誘っているかのようだった。
「へええ。なるほど」
ひとしきり感心するつぐみ。なかなかいいリアクションだ。捕まえて綺麗な甲羅の模様を見せてやりたくなったけど、あの虫を捕まえるのはなかなか骨が折れるのでやめておこう。
第一こんなに荷物を抱えていて、ハンミョウの飛行速度に追いつける訳がない。
「つぐみは山よりも海派だからね。ああいうのって珍しいでしょう?」
委員長は僕と違って生まれたときからこの町で暮らしている。家族で山遊びにも何度か出かけたことがあるそうで、このあたりの事情は結構詳しい。
つぐみもアウトドア派だけど、さすが水泳部といおうか、委員長の言葉通り海派だった。もっとも、山間部にある槻那見町から海へ行くにはちょっと時間が必要なんだけど。
僕と黛はどっちかといえばインドア派だからこれでバランスが取れている。どこに遊びに行こうと対応できるという訳だ。
「ハンミョウの幼虫はもっと面白いわよ」
「へえ」
「それは僕も見たことがないな」
「道に穴を掘って隠れているから、見たことがないのは当たり前かもね」
「道に巣を作るんだ」
「でね、頭のところの甲羅で、巣に蓋をするの。そうすると道と見分けが付かなくなってしまうでしょう」
「そんなことをしてどうするの?」
「そのまま道に隠れていてね……」
「……?」
「なにも知らずに近づいてきた虫を捕まえて、ぱくっと食べるのよ」
僕とつぐみは揃って息を呑んだ。
黛は黙って話を聞いている。
「道だと思っていたら、そこは鋭い顎を持つ虫の巣で、あっと言う間に巣の中に引き吊り込まれて食べられてしまうの」
うそ寒い話だ。ハンミョウの幼虫がそんなアリ地獄みたいな虫だとは知らなかった。
ある日、ただの道だと思っていたら、突如としてそこは肉食の虫の巣で、何も知らない僕らは食べられてしまう。食べられる寸前まで、僕らはそこが虫の巣だなんて気付くことはない。
こうして歩む道の一寸先が何者かの顎の中かも知れないっていう事実を、今の僕は知ってしまっている。
いつの間にか追いついたのか、足下を発ったミチシルベが、また道の奥へ奥へと僕らを誘う。
誘われたその道のそこかしこには、その仔虫が巣を張って待ちかまえている。
「黛。さっきの外国人の娘だけど」
黛はどうしたといいたげな顔で僕のことを見る。
「人形みたいに綺麗な顔立ちだったのに、何か悲しそうだったよ。それって運命とかのせいなのかな」
黛は、何も言わず、ただ微笑んで――それが黛の答えだった。
僕ら4人は、それでも道を進んでその果てに、今まで通りでいられるのだろうか。今のままでいられるのだろうか。
この先に続くのは運命なのか。
それとも――
――キャンプ場に、ついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます