第4話 7月25日 嘉上誠一郎 萌え編
長い階段を上がった先にある鳥居をくぐって、嘉上神社の境内へと足を踏み入れる。
周囲を木々で覆われたこの場所は、どこかひんやりとしていて気持ちがいい。高いところにあるせいか、吹き抜ける風もずっと清清しいように思う。
境内には先輩も美星ちゃんも見当たらなかった。どこか別の場所にいるらしい。裏手に回ってみることにする。
「おや、君は狭山君だったね」
にこやかな笑みを浮かべているのは嘉上誠一郎さん。つまりは、先輩と美星ちゃんのお父さんだ。
「はい。美空先輩に相談したいことがありまして」
おじさんはちょっと困ったような顔をした。
「すまないね。美空は用事があったらしく、あいにく出かけているのだよ。もう間もなく戻ると思うから待っているといい。ああ、そうだ。ちょうどスイカを切ったところだ。食べていきなさい」
僕の制止する声も聞かずに、おじさんは奥へと引っ込んでしまった。
しゃくりとかぶりつく。
口の中いっぱいに甘味が広がった。美味しい。
「私はスイカが好物でね。買い物は美星がいつもしてくれているが、これだけは自分で選ばないと気がすまないのだよ」
縁側に並んで座るおじさんはさも嬉しそうに口から種を庭に飛ばしていた。結構、子供っぽいところもあるんだと、妙なところで感心する。
「でも、こんなに立派なスイカだと、ここまで運ぶのは大変ではありませんか?」
今食べている分だけでもかなりずしりとした重みがある。もしかしたら、一個まるまるだと3キロとかあるのではないだろうか。
「ははは。やはりここまで上がってくるのは若い君でも大変かね?」
ほとんど考えることなくうなずく。何段あるのか数えたことはないけど、かなりの長さであることは確実だ。
「慣れみたいなものだよ。ここで生活している以上はあの階段を必ず上がらなければならない。もう随分になるからね」
おじさんは二つ目のスイカに手を伸ばしていた。
「こう言ってはなんだが、君も若いうちは面倒だとか、大変ということからはあまり逃げないほうがいい。いずれそれらも巡りめぐって自らの肥やしとなるのだからね」
先達の言葉だ。素直にうなずいておく。
「実をいうと、私は若い人と話すのが好きでね。いや、私も歳をとったということかな」
はははと少しだけ乾いた笑い。
そうですね、なんて相槌が打てるはずもなく、微妙に笑顔に見えなくもない表情をしておく。
「なんと言えばいいのかな。こうして若い人と話をしていると、新しい発見がある。それがこの歳になっても見つけることができるのが嬉しくてね」
しゃわしゃわとひっきりなしに蝉の鳴き声が頭上から降ってくる。夏も盛りだった。
「狭山君には何か悩み事などはあるかね?」
「……そう、ですね。突然、夜属になってしまったことが悩みといえば悩みでしょうか」
おじさんは、数少ない美空先輩と僕が夜属であることを知っている人だ。だからこんなふうに話すこともできる。
これが事情を知らない美星ちゃんでは話題に触れることすらできないだろう。
「なるほど。たしかにこれまでの自分とは変わってしまうのだろうな。残念だが私ではその気持ちをわかってあげることはできないが、幸いにも君には美空がいる。些細なことでもあれに聞くといい」
「実際、先輩にはお世話になりっぱなしです」
おじさんは笑っていた。
「そうか。あれは君の役に立ってくれているか。なんだな、悩み事というのは他人に話すだけでも随分と気持ちが軽くなるものだ。私も十年ほど前はいろいろと悩んでいたが、ちょうどそのときに君ぐらいの年代の少年に会ってね。恥ずかしながら、悩み事を語ってしまったよ」
照れ隠しなのか、おじさんはスイカの種をぷっぷと飛ばして見せた。
「おかげで、随分と気持ちを整理することができた。彼は私の願い事などを聞いてね。今思うと不思議な少年だったと思うよ。そうだな、狭山君に似ていたようにも思う」
十年前といえば、美空先輩が夜属に目覚めたぐらいか。たしかに、自分の娘がいきなり人間ではないものになったら混乱もするだろうし、悩みもするだろう。
十年ぶりに戻ってきた娘――先輩のことだ――の変容ぶりにも驚きをあまりみせないのは、そのときの経験が生きているってことなのかもしれない。
「ところで、狭山君。美空と美星はどうだね?」
「どう……とおっしゃいますと」
「ふむ、我が娘ながら、なかなかに美しく育ってくれたと思っているのだがな。死んだアレを思い出して、少々寂しくはあるがね。成長した二人をみせてやりたかったよ」
美空先輩と美星ちゃんのお母さんだったら、きっと美人だったに違いない。ただ、あまりに姉妹の性格が違いすぎて、どんなお母さんだったのかは想像すらできないけど。
「君も知っての通り、美空は長いこと外へ預けていたが、美星はいつもこの家にいたからね。幼い頃に巫女装束を着せるのは私の役目で苦労をしたよ」
少しだけ遠くを見るような眼をしているなんて思った。おじさんは目が細いからほとんどわからないんだけど。
きっと小さい頃の美星ちゃんはお人形のように可愛らしかったに違いない。そんな美星ちゃんの巫女装束の着付けをするおじさんの姿を思い浮かべる。
むずがったりして大変だったのだろうか。いや、美星ちゃんのことだから素直に着替えていたのかもしれない。
お母さんが生きていたら、それはきっとおじさんがやらなくてもよかったんだろうな、と少しだけ寂しい気持ちになった。
「男手ひとつで育てなければならなかったから、美星には随分と苦労をかけてしまったと思うよ。年頃の娘がどういったものを喜ぶのか恥ずかしながらわからなくてね。いろいろと苦労したものだ」
「大変だったんですね」
でも、まっすぐな今の美星ちゃんを思えば、おじさんの育て方は間違っていなかったのだと思う。
「特にほら、女の子はお赤飯を炊かなければいけない日があったりするじゃないか。そういったことを説明したりするのは母親でなければわからないこともあるだろうしな」
それを聞いて、こちらが赤面してしまった。というか、今時、お赤飯なんて炊くんだろうか。
さすがにそこのところを突っ込んで聞くことははばかられる。興味がないといえば嘘になるけど。
「それに服とかもなあ。最近は自分で買うようになったが、幼い頃は私がすべて買ってやったのだよ。あれやこれやと迷ったものだ。ふふふ。今思えば懐かしいものだな」
「苦労、されたのですね」
「なに、自分の娘のことだ。苦労とは思っておらんよ。むしろ楽しかったと言うべきなのかもしれん。あれこれ悩んだ結果、巫女装束しか着せなかったからな」
そういうのが親の気持ちなんだろうか。僕にはまだそのあたりのことはぴんとこない。
もしも自分に子供ができるようになったら、そんなふうに思える日が来るのだろうか。
………………。
…………。
……。
あれ?
「巫女装束しか着せなかった、というのは……」
「ああ。結局、どんな服を買ってやればいいのかわからなかったからね。いつも巫女装束を着せてやったのだよ」
……は?
「だから、買い物へ行くときも巫女装束だったし、学校へも巫女装束でやった。美星も特に文句を言わなかったから、私は正しかったのだなあ」
…………は?
って、ちょっと待ったっ!
そうするとなんですか。美星ちゃんは最近になって自分で服を買うようになるまでは、ずーと巫女装束しか着ていなかったってことなんですか?
それは……どうなんでしょうか。
主に人として。
いや、たしかに美星ちゃんには巫女装束がすごく似合っているし、どうかと問われれば間違いなく賛成はするけれども。
それって、小学生まで毎日巫女装束で学校へ行っていたってことなんですよね?
もしかしてイジメとかに……というか、あれだけ素直な娘をイジメる奴なんていないか。どことなく守ってあげたいと思わせるし。むしろ、好きになった男の子が相手の気を引きたいがためにちょっかいをかけるぐらいだろう。
それはそれでわからないでもないけど……でも、いつも巫女装束というのはどうなんだろう?
そういえば、商店街で買い物をしている美星ちゃんは巫女装束であることが多い。実際に、僕も何度か目にしているからそれは確実だ。
それが幼い頃からのおじさんによる教育の結果だとしたら……感謝をすべきなのだろうか?
「それは、なんというか……」
「ふむ、こういうのをなんと言うべきかな」
ぷぷぷと種を飛ばしているおじさんはなんだかとても楽しそうで。
最後に笑顔でこうのたまった。
「萌え……か」
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