第115話

「なんだか、お花のような香りがしますね。スミレって言うのか―――」


「奥さんの方が鼻は確かかもしれないな」


 潤を見てニヤッと笑い内堀さんがグラスを傾ける。潤も私も倣った。ワンテンポ遅れて静江さんが口元に運ぶ。


「うん、香りに対して果実味ってのがけっこう来る感じがする」


 潤の感想に内堀さんも満足そうに頷き、「それにしても、今日は驚いたな」とワイングラスをテーブルに置いた。



「もしかして‥‥最後の挨拶の時か?」


 照れくさそうに潤が訊いた。


「ああ。まさか二人にも見えてるとは思わなかったよ」


 私と潤が同時に動きを止め内堀さんを見た。


「ずっと空席だったところに居た女性を見たんだろ?昔で言う聖子カットっぽいヘアースタイルで二人に向かって手を振っていた―――」


 驚きのあまり声がすぐに出せなかった。



「この人、けっこう霊感が強いんですよ」


 固まったままの私達に静江さんが声を掛ける。


「と言っても年中見えるわけじゃない。気が張っている時とか、テンションが高い時なんかだと見えたりするんだよな」


 穏やかな表情でワインを口に運んだあと、内堀さんは何か思案してからポツリと呟いた。


「その女性っていうのが前に話してた人なんだろう?自殺したとかっていう」


 内堀さんの問いかけにほとんど同時に潤と私が顎を引く。納得したのだろう。内堀さんも「お祝いに来て‥‥‥くれたんだろうな」と言って頷いた。


「きっと、そうだと思います」


 ワインを一口飲んでから私は微笑を浮かべて呟く。吐き出した声に花の香りが混じった。


「仕事で気が張ってたんだけど、さすがにもらい泣きしたな‥‥‥あの時は」


 誰もいない方を向く内堀さんを見て静江さんがクスッと笑いを溢す。


「もし見られるのなら私も見たかったな~。育成会なんかすっぽかして来ればよかった」


 こんな話を耳にすれば誰しも同じことを思うのではないか。私はグラスに注がれた赤い色を見て感慨にふけっていた。すると徐々にその色が黒く変わっていった。





「ただ―――」


 突然、私の耳に雪子さんの声が届く。記憶に浮かんだ光景を消し去って私は顔を上げた。


「三人は捕まって村上聡子さんは結果的に亡くなっちゃったけど、捕まる覚悟は出来ているって徹さんから聞かされた時は正直揺れちゃったと言うのか―――」


「‥‥‥揺れた?」


 やや小首を傾げながら雪子さんの表情を伺う。


「ええ‥‥‥。あ、もちろん猛反対はしましたよ。でも徹さんの気持ちが痛いほどわかるんですよ。だから裏では私も手助けが何か出来ないかって―――」


 バカな考えだったというように雪子さんは喋り終わってから顔を左右に振った。高校生だった私が徹さんに考えを打ち明けられたらどうしていただろうか。雪子さんのように止められただろうか。はっきり言って自信はない。


「大事な人が酷い目にあわされたりしたら行動できないだけで誰でも同じようなこと考えるんじゃないかしら。むしろ大事な人ほど復讐の念が強くなる気がするわ。私は特に身内とかでもないけれど憎しみって感情は抱きましたから―――」


 三十年以上経過すれば子供だった頃とは違い、考えも変わるものだと我ながら思った。

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