第62話
「大将!いつもの!」
長年経営していると感じさせるお店には数人のお客さんが居て、お酒を飲んだり食事をしたりしている。茜さんの声に数人がこちらを向いた。中には顔見知りなのか手を挙げる人も居た。
「なんにする?あたしと同じレディースセットにする?」
年齢を重ねても耳は良いのか、「何がレディースセットだよ。お姉さん気を付けなよ。茜さんが言ってるのはラーメンとかつ丼だからね」
割烹着の親父さんの豪快な笑い声につられて何人かの笑いも混ざる。
「え?私はとてもそんな‥‥じゃ、ラーメンで」
ひっそりと呟いたと思ったのに、カウンターの奥からは、「はいよ」と声が届く。なんだかこんな呼吸が心地良い。
「もうお店が終わる時間だったんじゃ?」
「そ、いつもは七時半まで。だから開けといてって電話しといたの」
ここまでの融通が利くのだから付き合いは相当なものだ。などとぼんやり店内を眺めて数分が経過した頃、テーブルにラーメン二つとかつ丼が一つ運ばれてきた。
「とりあえず食べよ」と茜さんは早々に箸を割り、胡坐を搔いたままかつ丼を掻き込んだ。
私はそれを見て呆気にとられた。凄い迫力。体型はほとんど私と変わらないのにどこに入るのだろう。うっかり箸を取ることすら忘れるところだった。
その食べっぷりに慌てて私もラーメンを啜る。のんびりしていると半分も食べないうちに茜さんは完食してしまうかもしれない。見た目はいかにも食堂の醤油ラーメンって感じだけど、ストレート麺でスープもあっさりしていてとても美味しい。
「そういえば、桑子さんは店長さんだったんですね」
「あぁ、茜で良いよ」
茜さんはモグモグした後、ラーメンのスープを啜ってから手にした箸を左右に振る。
「三年前だったかな。前の店長が異動になってね。それで山本ってのがやるはずだったんだけど、柄じゃないからって断ったらあたしに矢が飛んで来ちゃってさ」
言い終えるなり豪快にラーメンを啜る。見ている場合じゃないと私も続く。途中でお客さんが何人か帰って行った。
「三年かぁ、時間が経つのは早いね。そっか、もう七年になるんだっけ」
何のことかすぐに察した私は、「ええ」と答えた。茜さんの顔はラーメンの丼に隠れている。
ズズズ‥‥。と音が届く。それから再びかつ丼に食いつく。すさまじい食欲だ。
「七年目であたしのところに来たってことは、由佳理が何か発したのかな」
「私も‥‥‥そんな気が」
一人納得するように穏やかな表情を作った。店内からまたお客さんの帰る声が聞こえる。私達以外誰も居なくなった。
「そういえば、まだ名前訊いてなかったね」
「はい。日向と言います。日向梨絵です」
スープを一口飲んでから茜さんは何か考え込む顔になった。
「そうそう、由佳理が妹みたいな後輩が居るって確か話してたような―――」
そんな話もしていたのかと思いながら私はラーメンのスープを啜る。
ホント病みつきになりそうなくらい美味しい。
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