第19話

 私は歩きながら一点に目を凝らした。間違いない。やっぱり人が歩いている。


 足取りが遅いのか次第に距離が狭まって行く。黒い影は気のせいかフラフラしているようにも見える。散歩というにはどう見ても不自然だ。


 ぼんやりとしたシルエットが徐々に形を成して来ると、靡く髪や体形のラインから女性らしいことが分かった。



 どうしてこんなところを‥‥‥。


 不可解な理由を探そうとするのをどこからともなく聞こえた音が断ち切った。その音量は徐々に大きくなって来る。足を止め私は耳を澄ませた。こちらに向かってきているようだ。上から下りて来るのだろうと遥か先に視線を送る。


 その瞬間、私は胸騒ぎを覚えた。直後、道路が明るく照らされる。音は目と鼻の先だ。


 目を眩ますようなヘッドライトに影がはっきりと浮かび上がった時、「危ない!」と声を張り上げて私は駆けだしていた。ヨタヨタとした女性らしき影が道路の中央へと向かうように見えたからだ。


 気付いたのは私だけじゃなかった。



 ギャアアアーーッ!と山中に届くような音を響かせたあと車はそのまま横滑りして、ガードレールのない場所から半ば飛ぶように落ちて行く。バキバキバキと木をなぎ倒すかの音が私の鼓動を一段と早めた。


 ほんの数秒の出来事だった。そしてすぐさま辺りは元の静寂と闇に包まれる。


 もしや車と一緒に‥‥‥。


 私は目を大きく開けた。すると道路のほぼ中央で座り込んでいる女性を見つけた。手は自分をやっと支えるかに路面に置かれている。


「大丈夫っ?」


 走り寄った私は女性の肩に手を置いて大きい声で尋ねた。しかし、放心したような状態で女性は何も応えない。そこでさらに手に力を入れてもう一度声を出した。


 そこでようやく私の声が届いたのか、ビクッとして女性は私を見上げた。


「わ‥‥‥わたし‥‥‥なんてことを‥‥‥」


 そう言った後で地面に蹲って泣き始めた。正直、私も呆然だった。女性に向かって走っていた時に見た光景はあまりにも衝撃的で、ただの事故ですら正気の沙汰ではないのに、その白い車が何であったのかまでわかったのだから驚くなと言う方が無理だ。


 かつて先輩の家で見た新聞の見出しを思い出す。確かあれは八十年の出来事だ。



―――道路から転落。運転の十九歳の男性死亡―――。


 そこには事故の原因までは記されておらず、スピードの出し過ぎという憶測しか載っていなかった。今村順一という名前は出ていた。


 今村順一。少し前にラーメン屋で見た男性である。


 ハンドル操作のミスか、何かの動物でも反射的に避けたのではないかと先輩は誰かから聞いたと言っていたけれど、まさかこの目で直接見るとは思いもしなかった。


 横滑りしながらただならぬ表情でハンドルを握る今村さんがスローモーションのように映った。すぐにでも助けに向かいたい気持ちに、記事にあった文字がブレーキを掛ける。


 そう、確か投げ出されて車の下敷きになって死亡したと記されていた。何はともあれこのままではいけないと、両脇に手を差し入れ強引に女性を立たせることにした。


 しかし、寝ている子供以上に女性は重く私の力などではびくともしない。

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