第20話

「ここに居たらまた車が来て危ないから、サッ!早く立って!」


 泣き崩れる女性に大声で言って身体を揺らす。何度も繰り返すとフラフラしながらも女性はなんとか立ち上がった。私は女性を抱きかかえるようにして坂道を下り始めた。もうこれ以上のぼる必要はないと悟ったからだ。足取りはヨタヨタして覚束ない。


 歩きながら女性はチラッと車が飛び出した方向を振り返る。


「あ‥‥‥あの車の方はどうなったんでしょう」


「たぶん大丈夫だと思うわよ。けっこう車って頑丈に出来てるから。だけどケガしてるかもしれないから早く救急車を呼んだ方が良いわね」


 極力私は安心させるよう努めた。女性の身体は小刻みに震えている。でも寄り添う身体は温かくて不思議と心地いい。恐らく気温のせいだろう。


 考えたら今村さんが亡くなったのは十月だったはず。ということはラーメンを食べて一気に三ヶ月も飛んだことになる。おまけに山のこの時間帯。寒くて当たり前だ。


 この先の方に電話ボックスがあったからと、身を寄せながら坂を歩き続けると、やがて場違いなほどの明かりが現れる。私達は心なしペースを上げた。


 女性を外に待たせて私は救急に電話を入れる。山の名前は記憶にあったので、この電話ボックスからしばらく上った辺りだと説明した。名前を訊かれたが言ったところでややこしくなるだけ。私は言いたいことだけ言って受話器を戻し、また女性を抱くように坂を下った。


 割と早くサイレンの音が聞こえた気がした。姿を見られてはいけない気がして、私は女性を連れて茂みの陰に身を隠した。けたたましい音と赤い光が前を通り過ぎていく。ただ、それは私の瞳に希望を与えるものではなかった。


「今、向かって行ったからもう大丈夫よ」


 体裁の良い嘘とわかってもこれ以外の言葉は見つけられない。それでも女性は少し安心したようにも見えた。その数分後、今度はパトカーが凄い勢いで上って行く。私達は茂みの中からそれを見送った。


「どこかへ行く途中だったの?」


 核心の部分には触れないよう穏やかな調子で尋ねてみたが、女性は俯いたまま何も応えなかった。


 それにしても線が細い。スリムとかの次元じゃない。強く抱きしめると折れてしまいそうな体つきだ。電話ボックスの灯りで見たのは乱れた髪と夜に溶けてしまいそうな色合いのブラウス。そして、数年は軽く履きこなしたと思われる紺色のデニムにやつれたかの横顔。歳の頃で三十歳後半から四十を少し超えたあたりだろうか。


 いずれにしろ私よりも若いことには違いない。


 多少の落ち着きを取り戻したらしく、幾分か女性の足取りがしっかりとしてきた。だからと言ってこのまま、さようならという状況でもないことはさっきの光景からも明らかだ。ひとまずは家まで送らなければ。本能が私にそう呼びかけている気がした。


 車も通らない静まり返った舗道に二つの足音を響かせながら、このまま当てもなく永遠に歩き続けるのでは、と思いを巡らせた時、視線の先に煌々とした明かりが見えた。


 自販機が数台並ぶ『ピーパック』と呼ばれるところだ。


 私は、「ちょっと休んでいきましょう」と女性とそこへ入った。簡易的な建物には違いないにしても外よりは暖かく腰掛もある。


 女性をそこに座らせてから私は自販機に目を移した。

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