第21話

「温かいものがいいかしら?」


「お金‥‥‥持ってないんです」


 一言呟いてから女性は私の顔を見た。涙の跡がまだうっすらと残っている。左目の下には泣き黒子が一つあって、それが私に一層の悲しさを伝えてくれる気がした。


「大丈夫よ!」


 それとなく手を触れると財布の感触があった。中には百円硬貨が二つだけあった。


(もう!しっかりしてるんだから)


 便利なのかそうでないのか分からず心の中で一言ぼやいてから温かい缶コーヒーのボタンを押す。飲み物はすべて百円だった。


 それを女性に差し出すとコクッと頷いてから礼を言って大事そうに両手で缶を包み込んだ。やがてプルタブの音が小さい建物の中に響いた。


「‥‥美味しい」


 一口飲んだ後で女性が吐息のような声を出す。


「コーヒー飲んだのなんて久しぶりです」


 こんな百円のコーヒーと口に出掛かったが、ギュッと口を結び視線を自販機に移した。


「いろいろ‥‥‥ご迷惑をおかけして‥‥‥すみません」

「いいのよ。そんなこと」


 温かい飲み物が喉を緩めたのか、話す声にも幾分かの元気が伺えた。


「これも何かの縁かしら」


 優しく微笑みかけると女性の口元が僅かに緩んだように見えた。


「どうしてあの場所に‥‥」

 女性が疑問そうに私を見た。


 正直、これは先に私が訊きたいことでもあり同時に訊いていいものか迷っていた問だった。


「変わってると思われるかもしれないけど、誰も居ない時間帯に歩くのが好きなのよ。夫には徘徊かなんてからかわれるんだけどね」


 コーヒーを口に運んでから女性は微苦笑を浮かべた。


「家は‥‥‥お近いんですか?」

「近いと言えば近いかしら。少し手前の路地を入ってそれから―――」


 嘘も方便とばかりに私は適当なことを並べ立てた。


「あなたのお家もこの辺り?」

「もう少し‥‥‥十分くらいだと‥‥‥思います」


 大事そうに缶を包み込む指に指輪は無かった。それを確認してから自分の指にある指輪に視線を移す。長年の年季がその光沢から見て取れる。浮かべそうになった苦笑を抑えて再び並ぶ自販機に目を向ける。


 どれも昭和の香りがプンプンする。夢から覚めて、あるいは現代の時間に戻ったらあの電話ボックス同様、ここも姿を消しているかもしれない。


 でも‥‥‥。と私は考えを改める。


 ちょっと前にレトロの旅と称してこんな自販機を目にしたので、意外と残っている可能性もある。もし、そうだとしたらまた足を運んでみるのも悪くない。


「さ、そろそろ行きましょう」

 私の声に女性は左右に首を振った。


「ここからは一人で帰れますから。もうこれ以上ご迷惑をお掛けするわけにもいきませんし」

 その声に今度は私が首を振る。


「ちゃんと送り届けないと安心できないわ。なんて言って正直ちょっと歩き足りないのよね」


 飲み終えた缶をゴミ箱に入れ私達は再び歩き始めた。


 女性の足取りがしっかりし始めた気がしたので、身体を寄せ合う必要もないと二人並ぶ形で歩いた。

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