第91話
「きっとそういう運命だったのかも‥‥‥」
「そうだな。誰かの悪戯ってことも考えられるけど」
あえて名前を出さないところに潤の思いやりが感じられた。私としてはどっちでも良かったけど、他の女性の名前を今だけは呼び捨てで聞きたくない。
「きちんと挨拶に行こうと思ってる。近いうちに」
こくりと頷くと私は潤の胸の上に頬を載せる。このまま時を止めてしまいたいと思った。
潤の実家でおとなしく座っていたのは二回目まで。することもなく退屈そうに見えたのか、「梨絵さんもお手伝いお願い出来るかしら」潤のお母さんに声を掛けられ、私はすぐに腰を上げる。
何もできない女と思われても困る。それにも増して、キッチンでお母さんと触れ合うのは女性にとっては大事なこと。感じの良いお母さんには違いないけど、その人柄に接するいい機会だと私は指示を待つ。
家のお掃除も行き届いているし、キッチンも奇麗に片付けられていて、食器棚に並べられた食器類を見るとけっこう几帳面なのが伺える。私の家よりも徹底している感じだ。
聡さんの奥さんである由紀恵さんともお手伝いの合間に声を交わす。頼まれたのは出来た料理の盛り付け。それを由紀恵さんが和室へと運んでいく。
「痛っ!」と背後から声が届いたので何事かと振り返って覗き込むと、聡さんの耳が例によって引っ張り上げられていた。
「聡っ!今、梨絵ちゃんのお尻見てたでしょ!」
「違うって!見てたのは全身だよ。スラッとしてるなぁ~って」
「それって、私への皮肉?」
さらに耳が上に引き上げられ、聡さんも堪らず身体を浮かす。戸惑う私に気付いたお母さんが、「あれで案外仲が良いのよ」と内緒話のように囁く。
可笑しくてつい笑ってしまった。日常的な光景なのか潤は多少笑いを浮かべるだけ。そのうち私も慣れるのだろうか。
私以上に潤は我が家で時を過ごした。もう誰が見ても公認のカップルにしか映らないだろう。
六月に入って最初の大安の日曜日。
約束した九時に家のチャイムが鳴る。潤から大事な話があるということはあらかじめ伝えてあったので、お父さんもお母さんも準備を整えていた。畏まった支度からしてもおおよその見当はついているようだ。
潤はビシッとしたスーツに身を包んでいた。緊張しているのか、普段我が家に来る顔とは違う。思えばこんな表情を見るのは初めてかもしれない。気のせいか、お父さんもお母さんも余所余所しく見えた。
いつぞやの事故の時みたいに、いきなり玄関で土下座でもされたらどうしようと内心ひやひやしていた。誰もが初めての経験だからぎこちなさは隠せない。
「今日は大事なご相談に参りました」
リビングダイニングに通された潤は持参した菓子折りを差し出して目元を引き締める。いよいよその瞬間を迎えるのだと私の鼓動も幾分か速さを増す。
ウンと一つ頷いてからお父さんはお母さんと目を合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます