第33話

 飲みに出ることはあっても家で飲むときは大抵一人きり。思いがけない飲み相手の出現でお父さんの機嫌は上昇傾向。普段も明るい方だけど今夜は一段と楽しそうに見える。


 世間話や仕事の話などを交えるうちにビールの空き缶も増えていく。八神さんは出された料理を口にするたび、美味しいと言って目を輝かせた。



「八神さんはご家族と同居なさってるの?」

「いえ、アパートに一人住まいなんですよ」


「あら、じゃ~、自炊とかなさって―――。それとも恋人とかが作りに―――」


 お母さんの問いかけに私の耳がピクッと動く。その直後、脳裏に一人の女性の名が浮かんだ。


 もちろん面識は無いし、有り得ないはずだとすぐに霧が晴れるように消えて行く。


「いえ、そっちの方も独り身なもんで―――。だからほとんど外食ばっかりと言うか」


 そう言ってからグイとビールを飲み干す。



「主任さんもご苦労があるんだな~」


 他人事のように言ってからお父さんは空いたグラスにすぐさまビールを注ぐ。いつも以上にペースが速いのでほろ酔いどころの次元ではなさそうな感じだ。八神さんと言っていたのが主任に代わっていることからもそれが伺える。名刺にあったのを思い出したのだろう。


「いや~。主任なんてのは、ハッタリみたいなものでして。ある程度の年齢になればそういう肩書があった方が良いだろうってことで、うちの会社は主任や係長は大勢いますよ」


「言われてみたら、うちもそうだな」


 顔をぐしゃぐしゃにしてお父さんは声をあげる。とにかく楽しそうでこっちまで笑顔になる。お酒が進むにつれて八神さんは上着を脱ぎ、タイを緩め、Yシャツのボタンを外す。顔色もだいぶ赤くなってる感じだ。


 お父さんはもっと酔っていた。八神さんが帰る頃になって立ち上がろうとしたら、よろけて椅子にドンと腰を落とす始末。


「もぉ~っ!少し飲みすぎなんじゃないですか?」


 お母さんが呆れるのも無理はない。普段は缶ビール二本くらいでほぼほぼ出来上がるお父さんだ。それが今夜に限っては五本くらい飲んでる。おまけに貰い物だとしまっておいた日本酒まで持ち出すのだから限度はとうに超えている。私とお母さんは顔を見合わせ苦笑した。



「俺が飲み過ぎならお母さんは食い過ぎってことになるかな?」


 ぽっちゃりした身体を見ながら、お父さんが機嫌のいい声をあげる。


「食べ過ぎじゃないわよ。今は四ヶ月ってところなの」


 それとなくお腹を撫でてお母さんは怪しい目つきをする。時々飛び出す冗談も今夜だけは気恥ずかしくてならない。


「もう、お母さんったら八神さんが本気にしちゃうじゃない」


 つい口走ってはみたもののみんなの笑いを誘うだけだった。


 見送りは座ったままで良いからと八神さんが気遣ってくれたため、お母さんと私が見送りに出た。お母さんは玄関まで。私は車のところまで行った。既にお父さん御贔屓の代行車が来ている。



「それにしても明るいお父さんだね」


 一つ息を吐き出してから八神さんは家の方を振り返る。歩き方からして少し酔っているようだ。


「明るいのはいいけど飲み過ぎですよ。あんなフラフラになるまで飲んで。なんだか恥ずかしいです」


 気にすることはないと八神さんは手を左右に振る。運転手の人が待っていたので会話は短めだった。また近いうちに話が出来るような気がしたのだろう。



 車を見送った私は夜風を心地よく感じていた。

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