第71話

「いや~、さすが新潟だな。香りも良いが味も抜群だ」


 瓶に貼られたラベルをチラと眺めた後、それを今度は八神さんのグラスに注ぐ。味を確かめるように飲むと云々と八神さんは顎を引いた。その様子を見ているだけでも味が伝わってくるようだ。


 三十センチほどの瓶の中身は瞬く間に減っていく。箸を持つお父さんの手元がそれに合わせて徐々に怪しくなって来る。相当飲んでいるのだと正面のお母さんと目だけで会話した。恐らく八神さんも前回より酔っているんじゃないか。途中、トイレに立った時に少しフラフラしていた。


 お父さんの場合はもっと酷い。今にも倒れそうな足取りだ。気が付けば六を指していた時計の短針が八になっている。


「お父さん。そろそろお休みになった方が良いんじゃありませんか?」


 お母さんに言われて、視点の定まらないような目でお父さんが頷く。



「今日はすっかりご馳走になっちゃいまして―――」


 それが帰りの挨拶だと思ったのだろう。八神さんが言い終えるなりお父さんは待てとばかりに手を挙げた。



「今日は代行で帰らず泊まっていくといい。実はもうそのつもりで二階に布団を敷いてあるんだよ」


 八神さんの目が点になるのが分かった。私だって事前に知らされていなければ同じ目をしていただろう。どうしていいものかと迷っている八神さんに、そうすればと私は目で合図を送る。


「フラフラでお帰りになるのも危ないですから、今日は遠慮なさらずにゆっくりしていってください」お母さんの言葉にお父さんも数回頷く。


「布団が苦手だっていうのならベッドだってあるから―――。なぁ、梨絵ちゃん?」

「も~っ!お父さんたら酔っぱらい過ぎじゃないの!」


 この時ばかりはダイニングに大爆笑が起こった。もっとも私の場合は複雑な笑いだ。


「梨絵ちゃんだって少し酔っぱらってるんじゃないか。顔が少し赤いぞ」

「酔っぱらうも何も、少しこの部屋が暑いだけ」


 口走ってはみたが、顔の火照りは自分が一番よくわかっていた。まだ深い関係にもなっていない八神さんを自分のベッドに寝かせるなんて、考えただけでも恥ずかしくなってしまう。



「お父さん。冗談はそのくらいにして行きましょ。梨絵ちゃんは八神さんをお願いね」


 お母さんはそう言ってからお父さんに寄り添うようにして廊下の先の和室へと向かった。腰を上げた途端、八神さんはフラッとしたため、私も同じようにして階段を一緒に上がっていく。



「すっかり面倒掛けちゃったね」

「ううん。そんなこと―――」


 これほど顔が近いのはあの事故になりそうな夜以来だろうか。でもあの時と今日では気持ちが違う。私は密着した身体に妙な興奮を覚えている。鼓動が早いのは八神さんなのか私なのか。


 階段を上っている途中で下からドスンと音が聞こえ、私と八神さんは顔を見合わせて笑った。


 お母さんがお父さんを布団の上に放り出した音だとわかったからだ。


 ほとんど物が置かれていない六畳の和室に敷かれた布団は、物珍しいと同時に気恥ずかしくなるほどの存在感があった。本来、妹なり弟が出来た場合にこの部屋や奥の洋間を使わせることになっていたらしいが、どちらもずっと未使用に近い状態が続いている。

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