第53話
《そろそろ、三分になっちゃうんじゃない?》
八神さんの何気ない一言に私は慌てて十円を投入した。これでまた少し話せる。そう思って外を見ていると白いサニーが横を通って行くのが見えた。
お父さんだ。しっかりこっちを見ている。咄嗟に向きを変えては見たものの時すでに遅しだ。
寒くなって来たからと体裁の良い言い訳を最後に私は家へと戻った。既に話が伝わっていたのだろう。お母さんがすぐに顔を見せた。
「も~っ、家に電話があるのになんで外なんかで―――」
明確な答えを返せず、出たのは「ちょっと」という我ながら冴えない言葉だけだった。けれどもきっとお母さんは何か察しているはず。
可愛らしく頭を傾げてから、「ちょっと‥‥ね」と怪しげな笑みを浮かべた。
その一週間後の日曜の朝もお母さんは同じ視線で私を見ていた。
「梨絵ちゃんがスカート穿くのを見るなんていつ以来かしら」
「そう?職場に行けば私だっていつもスカートよ」
「でも家にいる時とか通勤はズボンでしょ?」
まるでどういう風の吹き回しだと言わんばかりだ。友達の結婚式ですらズボンで出席していたくらいだから、当然と言えば当然。おまけに仕事に行くよりもメイクには気合が入っている。これで何も気づかないようなら鈍感にも程がある。
「ちょっと、出掛けて来るから」
近場に買い物でも行くかのような調子で、私は滲み出て来そうな高ぶりを必死に抑え込む。
「そう。わかった。ちょっと‥‥ね」
お母さんの口ぶりからして、それがどこまで出来ていたのかと車に乗り込むときに思った。
ブルーバードの助手席で揺られていたのは、それから三十分後のことだった。いつぞやのスーパーで待ち合わせをしたのだが、車に乗り込む早々、「なんだか、違う人が現れたのかって驚いちゃったよ」と八神さんはスカートと私の顔に視線を動かす。
「いつもズボンばっかりだったからたまには良いかなって‥‥。でも会社に居る時はスカート穿いてるんですよ」
学生の時以来だと言ってしまうと、今の心境を読まれてしまいそうな気がして、詳しいことは伏せておいた。
「そうか~。でも今日はズボンの方が良かった気もするな。行こうと思ってた場所はけっこう風が強いところだから」
ハンドルを優しく操りながら八神さんは考え込むように口を開く。それを聞いた途端、スカートに添える手に力が入る。せっかくの初デートだから女性らしいところも見せておこうと張り切ったのに。私は少しばかり肩を落としてどんな下着だったのか考えていた。
初スカートどころか同じ日に初下着のお披露目なんていくらなんでも洒落にならない。あれこれ巡らせていた時、
「なぁんて言うのは冗談だけどさ」
事も無げに言ってから八神さんは楽しそうな笑顔を見せる。
安心したのと同時に、緊張でも解すかの心遣いにも思えて私の表情もパッと明るくなった。それでつい八神さんの肩を叩いてしまった。
「ごめん、ごめん。特に悪気があって言ったんじゃ―――」
「ええ。でももしそうだったらどうしようって」
他愛も無い冗談がスカートに触れた手の力を緩めてくれる。私は徐々に運転している横顔や前方に映る景色に気分が高まっていくのを感じた。
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