第161話(完)

[せ‥‥先輩!?]


 仰天したせいか声がやや裏返った。



[先輩って、自分より年上の人に言われたくないわよ。それにしても梨絵ちゃん、すっかりおばさんになっちゃって]


 からかうような瞳は懐かしいというよりも一瞬にしてあの頃に戻ったような気分にさせた。


[しょうがないでしょ。五十年から生きていれば誰だってこうなるんだから。先輩だって]


 おばさんという言葉に反論したつもりでも、最後は途切れてしまった。先輩は理由を察したかに穏やかな笑みを浮かべて首を振った。そこから先は何も言わなくていい。私にはそういう意味に取れた。



[幸せだった?]


 先輩は優しい眼で小首を傾げた。


[そうね‥‥‥いろいろあったけど‥‥‥幸せだった]


[そう!でも最後はついてなかったわね。よりによって記念になる日に事故にあっちゃうんだから]


 それを一番感じているのは私自身かもしれない。接触するかしないかの違いで人生が大きく変わる。潤との出会いもその一つだが、これも運命なのだと私は微苦笑を浮かべた。



[そうそう!事故で思い出したけど、梨絵ちゃんファインプレーだったわよ。あそこに立ってなかったら悪さをした連中が事故を起こさなかったんだから。さすが私の後輩‥‥っていうか、おばさんだけどね]


 またそれかと私は口を尖らせてから優しく睨んだ。


[でも‥‥‥先輩は止められなかった。大声を張り上げたのに―――]


[え!?あれ梨絵ちゃんだったの?もうどこのおばさんかって。とりあえずは聞こえたんだけどね。もう間に合わなかった]



 向こうの世界が長いからだろうか。先輩の顔にくよくよしたところは微塵もない。それどころか私の胸に手を伸ばして、


[やっぱりおばさん。すっかり弾力がなくなっちゃってる]と、にやけ顔を浮かべる。

死んでからも相変わらずだと私はクスッと笑いを漏らした。


[そういえば披露パーティーの時に来てくれたでしょ?]


[もう二人で号泣なんだもん。笑っちゃったわ。あの時は特別な日だからってお許しが出たの。まさか他にも見えてる人がいるなんて思わなかったけど]


 何十年も前に見た先輩の苦笑いが私の心を和ませてくれる。もしかしたら相手は二十歳前なのだから母親のような目線で今は見ているのかもしれない。



 見ている‥‥それどころか会話も出来ている。これまでの経過から自分でも納得していたのだろう。だから特に驚きもしなかった。


[さすがにパーティーの食事は食べられなかったけど、梨絵ちゃんに奢ってもらったアイスの味はちゃんと覚えているから]


 ここを抜け出して最初に行った公園で食べたアイスだ。三人で並んで食べた光景が頭に浮かぶ。


[あの時の先輩、可愛らしかったな]

[え!?じゃ~、今は可愛くないって]


 先輩が腕組みをして私を睨む。怒った顔の先輩も今は魅力的に見えて仕方ない。


[そんなことないわよ。可愛らしいわ。自分の娘みたいに]

[やっぱり、おばさんね]呆れたように先輩が笑う。



 五歳の可愛らしい先輩や一歳にも満たない私。良いことも悪いことも一秒の間にすべて明かされた。



[そういえば、先輩はなんでここに?]


[あ、おばさんなった梨絵ちゃん見て忘れちゃってた。さっき話したアイスのお礼ってこともないんだけどね。今日は梨絵ちゃんを迎えに来たの]


[迎えに‥‥‥そっか]


 夜遊びに行こうと誘われた時のような表情で先輩の瞳を見つめる。



[‥‥‥おかあさんも待ってるから]


 顎を少しだけ動かして先輩は目を細めた。


[お‥‥母さん]


 ポツリ漏らしたあとで唇をギュッと噛んだが、瞳から流れ落ちる熱い滴までは食い止められなかった。


[もう、おばさんの泣く姿は可愛くないんだから]呆れたような先輩の瞳には、この上ない優しさも感じ取れる。それが妙に嬉しくて私は笑いながら涙を拭った。



[行こっ!梨絵ちゃんに話したいことがいっぱいあるから]


 先輩の声に私は口角を上げて頷く。すると、踵を返しかけた先輩が不意に私の背後に視線を送った。



[でも‥‥一番可哀そうなのは潤ちゃんかもね。愛した二人の女性に先立たれたんだから]


 先輩の言う通りかもしれない。軽く顎を引いて私も振り返る。そして優しい眼差しで潤の背中を見つめた。




[潤‥‥‥すみません‥‥そしてありがとう]




 思いの丈を口にした時、項垂れていた潤の頭がスッと上がった。




                                      


                完

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一秒の解明 ちびゴリ @tibigori

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