第158話

 木々の葉の音以外に聞こえるのは自分の足音だけで、他に聞こえるものは何もなく、不気味なほどひっそりと静まり返っている。辺りを伺うように緩やかな勾配を一定のリズムで歩いていた時、それまで聞こえなかった音を耳にした。



(‥‥‥車!?)


 立ち止まって耳を澄ます。音は徐々に大きくなって来る。どうやらこちらに向かって来るようだ。


 見ている先の道路に明かりが射す。そのすぐ後だった。目の前のカーブを猛スピードで抜けて来た車が私の身体を照らし出す。ヘッドライトの灯りで視界を失った私は立ち尽くすことしか出来ない。強いて出来たと言えば掌で光を遮ることだけ。



(轢かれる!?)


 声にならない叫びを身体が発した瞬間、ギャ~ッ!と凄まじい音を立て目と鼻の先を一陣の風が吹き抜ける。足がすくんで一歩も動けない私はすり抜ける車を呆然と見てるだけ。


 ただ、そんな中でも急ハンドルでかわしてくれたことだけは分った。が、スピードも出ていたことで、咄嗟の判断が却って裏目に出てしまったようだ。


 よろけるように走った車は、その先に止めてあった車に接触してしまう。


 ガツン!という鈍い音に身体がビクッと反応する。



(私のせいだ‥‥‥)


 怒鳴られるかもしれない。そんな覚悟で歩み掛けた私のことなどお構いなしという風に、車はそのままの勢いで走り去って行く。


「え!?‥‥当て逃げ?」


 呆然となりながらも私にはなすべき術はない。ただ車が黒っぽいワゴン車であったことくらいでナンバーも見ていない。それでも通り過ぎる際に一瞬だけ見えた二つの顔が私の心を大きく揺さぶっていた。急に心臓がドクドク音を立てはじめた。そして、前方の道路を見つめる。


 頭の中で何かが弾けた瞬間、私は全力で走り出していた。



「この道じゃない!」


 気のせいじゃなかった。速度を増したことでそれがより鮮明になる。ここは車で何回か走った。



 年に一度‥‥‥先輩に花を手向けに‥‥‥。


 思い出すのが遅れたのは歳のせいにはしたくない。とは言うもののこの走るスピードには歳を痛感する。あの頃だったらこの倍の速さで走れるんじゃないかって情けなさを覚えた時、片方のサンダルが後方に飛んだ。


 拾いに戻ってる時間なんかない。私はそのまま走り続ける。だが、すぐにバランスの悪さを感じてもう一方も脱ぎ捨てた。ペタペタと夜道に異様な音が響く。アスファルトの路面に足裏の皮がそぎ取られていく気がする。


 様々なことが頭に交錯したせいか痛みは二の次だった。


 

 確かお付き合いが始まる前、潤がこう言っていた。由佳理を襲った連中が逃げる時に物損事故を起こしたのだと。まさにさっき見た光景がそれだ。あの事故をきっかけにして三人が捕まる。


 ということは‥‥‥。


 いる!この先に先輩が!



「すぇ~ん‥‥ぱっ‥‥‥」


 呼吸が荒くまともな声が出せない。懸命に走る私の顔が歪む。足の皮が剥けているのかもしれない。でもここで止まるわけにはいかない。


 運命を変えるチャンスがここにあると思った。

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