第144話

 お母さんから電話があったのは六月に入ってからだった。


 梅雨らしい年で朝から雨が降り続いている。晩御飯の段取りが一通り済んだ頃、傘を手に潤が帰宅したので早速その内容を話した。


「今日、お母さんから電話があったの。それで家の近くの内科医院に行ったらしいんだけど、なんだか紹介状を書くから総合病院に行くようにって言われて―――」


 潤の表情が今日の天気のようにどんよりと変わっていく。すぐに私は続けた。


「それでお母さんも一緒に着いていったらしいの。そうしたらその場で入院になっちゃったって」


「入院!?」


 目を見開いて潤が驚きの声をあげる。無理もない。私も電話で聞いた時は同じ反応だった。


「でもお母さんが言うには検査のための入院らしいから心配は要らないって」


「そうか」と言って安心という吐息を漏らすと、そのまま潤は着替えに向かった。少ししてベッドルームから声が届いた。


「ただの風邪じゃなかったのか?」


「なんだか違ったみたい。このところ健康診断もしてないからいろいろ診てもらえば良いんじゃないかって、お母さんは呑気そうに話してたけど」


 納得顔を浮かべて潤がお風呂へと向かう。ひとまずは安心したようだ。



 検査結果を聞きに行くのは一週間後だと話していたので私はお母さんからの連絡を待っていた。ベルの音がしたのは帰宅して三十分後くらいだった。すぐにお母さんに結果を尋ねる。すると、か細い声でただの気管支炎だから少しの間入院することになると言って早々に電話が切れた。あまりに素っ気なかったせいか、私はしばらく受話器を持ったまま呆然としていた。



「あら?どうしたの急に―――」


 携帯電話に連絡しようと思ったものの、一人で行くには心細い感じがしたので、潤の帰りを待って一緒に出掛けることにした。私達が来るのは想定外だったらしく、お母さんは戸惑いを隠せないでいる。そのままダイニングに向かって腰を下ろすと私は忙しなく動き回るお母さんに声を掛けた。


「ねえ!ホントのこと言って」


 お母さんの動きと表情がその一言で止まった。


「ほ‥‥‥本当のこと?」


 作り笑いを浮かべて惚けているのが見て取れる。


「お母さんの嘘はすぐにわかるんだから。何年娘をやってると思ってるの!」


 聞こえるか聞こえない程度の息を吐くのがわかった。どうやら観念したらしい。思案顔でゆっくりとダイニングテーブルに着く。一つ吐息を漏らしてからお母さんが声を絞り出す。



「‥‥‥癌だって」


 大きく目を見開いたと同時に心臓がドクンと跳ねたのがわかった。目はお母さんを捉えたままで瞬きするのを忘れている。混乱しそうになる頭を言葉で抑え込んだ。


「癌って‥‥‥。ちょっと咳してただけじゃない。普通に生活だって出来ているし、何かの間違いじゃないの?」


「私もそう思ったから同じことを先生に言ったのよ‥‥‥」


 途切れた言葉からもその後の医師の声が聞こえてくる気がした。総合病院での検査結果だ。間違いなどと言うのはそもそも考えられない。

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