第151話
日によっては寝ているだけの時もあった。時折、唸り声を漏らしたりもする。それを見つめるお母さんの視線には希望という文字は見出せなかった。
入院当初と違って一週間が数年にも思えるほど、お父さんの顔や体の変化は顕著だった。朦朧とする時間も増え、声を掛けても反応はない。病気と闘っているのだろうとお父さんの手を握りしめる。そこにあの力強い感触は全くなかった。
「どう?お父さんの具合は?」
普段通り仕事をしているつもりでも時折見せる表情からくみ取られるようだ。佐々木さんが心配そうに声を掛けて来る。ある程度のことは伝えてあるので見え透いた嘘もつけないと私はただかぶりを振るだけだった。
「そう‥‥‥」状況を察する佐々木さんの声も沈む。
「仕事はいつ抜けても良いし、なんだったら休んだって構わないんだからね」
佐々木さんの気遣いにこくりと頷く。心配そうな美咲も私を見て力強く頷いた。頼れる先輩と後輩。有難くて涙が出そうになった。
お父さんも頑張っている。だから私もここで休むわけにはいかないと自分に気合を入れる。とはいえいずれは休まなければならない日が来ることも悟っていた。
お母さんは毎日病院へは顔を出している。そのためお父さんの具合は夕食の席で報告される。内容は似たり寄ったり。起きていて話が出来たというのがこの頃の明るい話題で、それは残された時間を指し示しているようにも思えた。
「一時期からみれば痛みも和らいだみたいだけど、一切それを口に出さないから凄いってお医者様も感心していたわ」
「強い人なんですね。なんだかこっちが元気をもらってるようだ」
落ち込んでる自分が情けないとでもいうように潤が僅かに口元を上げる。
「そう!強い人なのよ。お父さんは」
お母さんが誇らしげに話す。しかし、やや涙声だった。
「話が出来る時もあるから、なるべく顔を見に行ってあげて」
わかったと頷いてから私はカレンダーに目を向けた。
八月の三週目の水曜だった。
仕事の帰りに病院に立ち寄るとお父さんが目を開けていた。虚ろな目だったが、私のことがわかったようだ。弱々しいながらも声が聴きとれた。
「梨絵ちゃんか‥‥‥来てくれたんだな」
久しぶりにでも会ったという顔で私を見つめる。
「調子はどう?」
在り来たりの言葉を掛けると、お父さんが笑ったようにも見えた。
「悪く‥‥‥無いよ」
微かな声を耳にした途端、私は壁の方を振り返って顔を歪ませた。そして、一度洟を啜ってから笑顔でお父さんを見た。
「そう‥‥じゃ良かった。もしかしたら退院する日も近いかもね」
「ああ‥‥‥そうだな。そういえば潤君は‥‥どうした?」
「潤はまだ仕事。お父さんと早く飲みたいって毎晩のように言ってるわ」
お父さんが幸せそうに、「そうか‥‥‥もう少し待つように‥‥言っといてくれ」と目を細める。
いつまででも待ってる。心の中で呟いてから腰を浮かせかけた時、お父さんの口が何か言ってるように見えた。
「なに?」
私はお父さんの声を聞こうと顔を近付けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます