第107話

「そう言っていただけると。ホント、何も出来ないんで困ってるんですよ」


「も~っ!お母さん!それ二度目!」


 一同の笑い声が部屋中に響く。潤は運転があるので差しつ差されつする親を横目で見ている程度で、主役の一人であるにも拘らずどことなく手持無沙汰な感じだ。博之さんとお父さんの顔に赤みが増した頃、私は潤を手招きして二階に連れて行った。



「なんだ?見せたいものって?」


「それはただの口実」私はベランダに続くガラス戸を開けて外を指さした。


「一服したいんじゃないかと思って」


 ベランダの端に空き缶が一つ置いてある。こんな状況を見越して用意しておいたのだ。


「手際が良いというのか、よく気が付きますね~」

「何も出来ないんですけどね。も~っ、お母さんたら何度も言ったりして」


 顔を見合わせて私達は笑う。サンダルを履いてベランダに出ると早速とばかりに潤は火を点ける。階下からは笑い声が聞こえてくる。それに釣られたように煙を潤が楽しそうに吐き出す。


「だいぶ盛り上がってるみたいだな」

「ホント。私達が居なくてもいいくらい」


 穏やかな笑みを浮かべて潤が頷く。そして煙草を咥えて広い空に雲のように広がる煙を見つめていた。


「一服して来たのか?」


 和室に戻ると匂いで分かったらしく博之さんが声を掛けた。博之さんも愛煙家。


「ちょっと外の空気を吸って来るか」と指を二本立てて腰を上げた。


「こちらは誰もお吸いになる人はいらっしゃらないんですよね?」


 博之さんの背中に目線を送ってから多恵子さんが訊いた。


「ええ、ま~。若いときは付き合いで少しだけやりましたけどね」


「だからなんでしょうね。お部屋の中も奇麗で羨ましいですわ」


 多恵子さんがそう言ってあちこちに目を向ける。潤はそれを見て口をへの字にした。バツが悪いのだろう。


「人それぞれ楽しみはありますからね」


 お父さんは体裁の良い言葉でその場を繕ったが、あまり煙草は好ましくないというのか否定的だ。いつだったか、潤が帰った後もそれを口にしていた。




―――「八神さんは本当に感じの良い人だけど、煙草を吸うのが唯一気になるというのか。百害あって一利なしって言うか、癌の元だからな。いずれは禁煙とまではいかないまでも節煙させるとかした方が梨絵ちゃんや八神さんの為にも良いんじゃないか」


「お父さんだってお酒って楽しみがあるじゃない」


「あれは百薬の長と言って健康には良いんだぞ」


 お酒好きの屁理屈にも思えたが、あえて反論はしなかった。


 しかし、お母さんは違った。


「それはあくまで飲み過ぎないって話でしょうから、今夜のところはここまでにしておきましょう」


 取り出した缶ビールを再び冷蔵庫に仕舞う。お父さんもそれには余分なことを言ったとばかり苦笑を浮かべていた。


 

 きっと今日のお酒だって百薬にはならないはず。


「すっかりご馳走になってしまいまして―――」


 赤ら顔で立ち上がった博之さんが身体をふらつかせる。阿吽の呼吸で多恵子さんが身体を支える。


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