第97話
「それに梨絵と一緒だったら俺はどこだって文句は言わないから」
「も~っ!上手いこと言って!」
にやけ顔になるのを必死で堪えながら潤の横腹を突く。私だって一応その道のプロだ。せっかく二人で初めて行く泊りの旅行なので、宿の吟味には抜かりはない。とは言え、高すぎず安過ぎず、それでいて料理も風呂も満足のいく旅館選びはけっこう難しい。
あまり長距離だと帰りで疲れてしまうだろうと隣県の『
この日のために潤も私も七月六日の土曜日に有休をとった。
季節柄、朝から気温は高く、私はライトグリーンのワンピースに白のローヒール。潤は白のスラックスに青いポロシャツと二人とも夏の様相だ。途中、アウトレットに立ち寄ってから目についたお店で食事を摂る。
あらかじめ調べておいた観光スポットに着いたのは午後一時半頃だった。然程広くない駐車場にはまだ数台の空きがあって、すんなり車を止めることが出来た。
ただ、そこからお目当ての場所までは近道を選んだせいか、思っていた以上に急勾配で、手を繋いでいても姿勢が乱れるほどだった。何度か足を滑らせ、尻もちこそ着かなかったものの裾が大きく捲れ上がってしまったりもした。潤が慌てて視線を逸らす。
「見えちゃった?」
「いや‥‥‥特には何も」
惚けていてもしっかり見えたという顔なのがわかる。恥ずかしいったらない。それでも悪いのは私だから責めるわけにもいかない。
ある程度行くと急だった道も緩やかになり、数分も歩くと目指す『うすらびの吊り橋』が覆われた木々の中に現れた。何人か渡ってる途中で既にその吊り橋が揺れているのが見て取れる。私が両手を広げたほどにも満たない幅で足元の板に心細さを感じる。
「俺達も行ってみるか」
潤に言われて私も頷く。ここまで来て嫌とも言えない。並んで歩きたいところだが、それほど広くはないので潤のあとに続いて歩き始めた。
「これって落ちたりしないよね?」
地震に似た動きを感じて思わず口走る。濃い緑色の川が下の方に見えている。高さを感じたため私は視線を前に移した。
「たぶん、大丈夫だろ。でももしかしたら人数制限とか‥‥‥」
前後に顔を動かしたあとで潤は声を潜めた。
「どうしたの?」
「いや、もうその人数超えてるんじゃないかって」
慌てて私は後ろを振り返る。するとそこには誰も居なかった。潤にからかわれたと背中を叩こうとしたらまた橋が揺れたため、すぐに薄汚れた欄干に手を戻す。潤はそんな私を見て笑い声をあげる。仕方なく私は口を尖らせ気持ちだけを伝えた。
吊り橋の中央まで行った時、潤がカメラを構えた。持参したコンパクトカメラである。横と縦それぞれ一枚写してから俺も撮ってくれとばかりに私に手渡す。私も恐る恐る手を放してシャッターを切った。
「あんなに揺れるとは思わなかった」
渡り終えた途端、安堵と一緒に思いを吐き出す。掌は思ったほど汚れていなかった。大勢の人が触れるから意外と奇麗なようだ。
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