第95話

「ダメだったのは‥‥‥私よ。いつも近くに居ながら何にも察してやれなかったんだもの。ややこしいことになってるなとは思ったんだけど―――」


 雪子さんはそこまで言って顔を数回振る。


 話の様子からして先輩が自殺した後だということは掴めた。ただし、どれくらい後なのかは不明の為、「由佳理さんももちろんでしょうけど、残された倅さんにしても不憫でならないっていうか―――」と私は言葉を慎重に選んだ。


「徹さんっていうんですけどね。確か由佳理ちゃんの三つ上だったかしら。私くらいの年齢ならともかく、あの若さで立て続けに母親と妹を失くしてるわけですから、ショックなんて生易しいもんじゃないでしょうね。だから徹さんにはいつかお嫁さんでももらって由佳理ちゃんの分まで幸せになってもらいたいって」


 誰にいうのでもなく雪子さんはカウンターを見つめながら話した。


「ホント、私もそう思います」


 話を合わせるというより、いつぞや見た幸せそうな家族の姿が浮かんで、少しばかり穏やかな気持ちになった。


「それにしても悪さをした連中が捕まって良かったよ。そうでなきゃ由佳理ちゃんも浮かばれなかっただろうな」


 時間的には逮捕後ってことらしい、と煙を吐き出す下柳さんに尋ねた。


「あの人達ってどのくらいの罪になるんでしょうかね?」


 下柳さんはしばし考え込むようにして声を出した。


「集団ってことになるから単独よりも重いなんて聞いたことがあるけど、いずれにしても死刑ってことはないから、何年食らうかわからないが、刑期を終えればのうのうとまたこっちに戻って来るだろ」


「なんだか理不尽よね」


 雪子さんの言葉に私も頷いた。


「それだって由佳理ちゃんがあんなことになったから、奴らも浮かび上がったけど、けっこう泣き寝入りみたいなのが多いって話だからな」


 下柳さんは顔をユラユラと振る。


「女性としては言い辛いですもんね」私は弱々しく呟いた。


「奴らもそれを狙ってたんだろうけど、由佳理ちゃんはそれを許さなかった。もっともその代価はとてつもなく大きかった。というよりも大き過ぎたな。まったく馬鹿野郎な連中だ」


 苛立ちを紛らわすかに下柳さんは煙草を灰皿で強くもみ消す。そして、残ったコーヒーをグイと一気に飲み干した。


「まだ仕事があるからこれで行ってみるよ」


 雪子さんに手を挙げてから私に軽く会釈をする。私も控えめに返した。支払いを済ませ店外へと出て行く後姿がどこか寂し気に映った。



 毎日、日本だけでも多くの人が亡くなっている。自殺者も年間にすれば数万人いると聞く。先輩の死はそのうちのほんの一人に過ぎないのかもしれないが、その一人の死が周囲にもたらしたものは一人では済まされないほど大きかったと言わざるを得ない。


「なんだか湿っぽい話になっちゃってコーヒーの味も落ちちゃったかしら?」


「いえ」と答えてから私は壁に掛けられたエッフェル塔の絵に視線を向ける。先輩もこの絵を何度も見ているだろうと。それから目立たぬ場所に貼られたポスターを眺める。



「どこでも良いから貼ってくれって、観光協会の人に頼まれちゃったのよね」


 私の視線に気付いたのか、雪子さんが照れ臭そうに笑った。


 県内の温泉を紹介したポスターで、ボーッと見ているうちに遠い記憶が映像となって蘇って来る。


 それは独身最後となる一泊での温泉旅行だった。

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