第114話
その時思った。‥‥‥潤も見たんだと。
空いたままになっているはずの紗枝ちゃんの隣の席には人が座っていて、嬉しそうにこちらを見て小さく手を振っていた。亜実ちゃんじゃない。
先輩‥‥‥だった。
「あ‥‥‥え~と。皆様の温かいお心遣いに新郎新婦も感極まったようで―――」
そうとも知らない司会の吉岡さんは戸惑いながらもその場をなんとか凌いでくれる。
「潤!泣いて良いのは新婦だけだぞ!」
落ち着きを取り戻したのか、笑い声が私達を包んだ。
「取り乱してすみませんでした。吉岡さんの言う通りです」
一度洟を啜って振り返った潤が来賓に顔を向ける。そして丁寧に頭を下げてから用意していた言葉を続けた。私も覆っていた手を下ろし固く口を結ぶ。挨拶が終わると同時に割れんばかりの拍手と歓声が店内に鳴り響いた。
私の目は一点だけを見つめている。先輩も嬉しそうに手を叩いてくれていた。それから私達は深々とお辞儀をした。その時、瞳に残っていた涙が落ち、磨き上げられた床に桜の花のような染みを作った。
再び顔を上げた時にはもう先輩の姿は見えなかった。
『エレガンス』の2DKに一度戻ってから再び『VIAGGIO』を訪れたのは約束通り夕方という時間帯だった。潤も私も微量ながらアルコールが入っていたのでタクシーを使った。店内はすべて片付けも終わっていて、テーブルの位置も替えられていた。
「よぉ~!待ってたぞ」
着替えも済ませた内堀さんが中央付近のテーブルから立ち上がって私達を出迎えてくれる。すぐに女性が顔を見せた。
「この度はおめでとうございます」
セミロングの髪に優しい笑みを浮かべて腰を折る。
「本当なら今日手伝いに来させるつもりだったんだけど―――」
「いつもお世話になっております。妻の
申し訳なさそうな静江さんに何でもないと揃って顔を振ってから、同じテーブルに着いた。店内の照明は程よく落とされていて、洒落たバーのような雰囲気を漂わせている。早速とばかりに内堀さんがテーブルの上にあったワインのコルク栓を抜く。ポン!という音が静かな店内に響き渡った。
「このイタリアの『バルバレスコ』は最低二年は熟成させないと出荷出来ない決まりがあるんで、ヨーロッパでワインの当たり年って言われてた去年のものじゃないんだけどさ。それでも女王様って称されてるワインだから」
コルク栓を鼻に近付けてから潤に手渡すと、内堀さんはワイングラスに真っ赤な液体を注ぎ込んだ。ムーディーな照明の中にその色はひときわ鮮やかに見えた。似たような動作をしたあと潤がコルク栓を返す。
「ワインには明るくないけど、気品のある香りって言えばいいのかな」
「口に入れた方が早そうだな」
内堀さんはそう言ってワイングラスを合わせた。心地良い高音が耳に届く。私もグラスを手にした。
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