第8話

「いえいえ、いろいろお話してもらったお礼ですから。返って余計なことしたんじゃないかって私の方が謝らなければ―――」


「奥様‥‥‥そんなこと‥‥‥」


 大人同士のやり取りに居場所でも見失ったように二人は食べ終わったアイスの棒を表裏と眺めてから晴美さんにそれを差し出し、タコの滑り台の方へと向かって行く。そんな後姿をしばし眺めてから、私は隣にどうぞと仕草で促した。


 恐縮しながらジーンズにTシャツ姿と支度も若々しい晴美さんが遠慮気味に腰を下ろす。


「それにしても暑いわね」

「ええ‥‥‥」


 私の声にポツリ呟いてから晴美さんは手に持ったアイスの棒を眺めた。小さい子供相手に自分を構っている暇がないのか、後ろに束ねた髪もどちらかと言えば雑な感じで、化粧っ気も無い。


「でも、子供たちは元気。若いって羨ましいわ。あ‥‥‥ごめんなさい。奥さんはまだ若かったわよね」


 恥ずかしそうに晴美さんは数回ゆっくりと顔を振ってから、「奥様のお宅もこの辺なんですか?」と尋ねて来た。見慣れない顔なので確認がてら訊いたのかもしれない。


「私はこの辺じゃないのよ。ちょっと近くまで来たので散歩というのか―――。そうそう、奥様なんて呼ばれるとなんだかくすぐったいわね」


 そこまで言って私は八神やがみと名乗った。


 すると晴美さんも、「私は倉持くらもちと言います」と言って頭を下げた。聞き慣れない苗字に戸惑いつつも、川島かわしまと名乗らないことからまだ離婚する前なのだと判った。



「よろしくね」と一つ微笑んで、子供たちの名前もついでとばかりに尋ねてみた。


「上の子がとおるで下の娘が由佳理ゆかりと言います」

「そう、由佳理ちゃん。可愛らしい名前ね」


 私が言うと晴美さんは娘の方角を見て優しく微笑んだ。既に確信していたにせよ改めて名前を聞かされると複雑な気分にもなる。あんな歌を歌っていた人に後々勉強を教わることになるのだから当然だ。



「でもなんだか不思議な気分。倉持さんを見ているとどこかでお会いしたような気がしてならないの」


 さり気ない口調で横を向くと、晴美さんは微苦笑を浮かべた。


「たまに言われるんです‥‥きっと有り触れた顔なんでしょうね」


 私の場合は兎も角として先輩が五歳なのだから晴美さんはまだ私と出会ってはいない。気さくに声を掛けたつもりだったのにと私は咄嗟に話題を変えた。


「そういえば、お父さんはパチンコに行ってるって―――」

「あら?やだ。あの子たちそんなことを‥‥‥」


 その短いワードと離婚とが妙に繋がるような気がして、やんわりと口に出してみたが、どうやら図星だったらしく、途端に晴美さんは気まずい顔になった。


「なんだか、つまらないこと言っちゃったかしら。気を悪くしたらごめんなさいね」

「いえ‥‥‥つまらないだなんて‥‥‥」


 一言漏らした後で、晴美さんは何かじっと考えこんでいた。その横顔からも思案している様子がうかがえた。


「初対面の人にこんなこと‥‥‥。いえ、なんだか八神さんには聞いて欲しいような――」

と晴美さんは心の内を私に漏らした。



「離婚?」


「ええ。なんか家の恥を曝すようで恥ずかしいんですが、ギャンブル癖も悪くて他に女も居るようなんです。それでついさっきも大喧嘩して」


「そう」吐息のように答えてから、先輩の過去を垣間見たような気がして天気とは対照的に心がどんよりとした。


「でも‥‥‥いざ別れるとなると、ちょっと生活面が心配になるというか」


「それで踏ん切りがつかないのね」


 私の問いかけに晴美さんはコクッと頷く。


「確かに独り身で子供を育てていくのは大変よ。でも、倉持さんなら大丈夫なような気がする」


「えっ!?」という顔で晴美さんはこちらを向いた。

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