第102話
「おはよう」と声を掛けたのは私だった。潤が眠そうに瞼を擦りながら、「早いね」と応える。私は窓際に置かれた椅子にもたれて外を眺めていた。視線の先に広がる山々は靄に包まれている。気温も心も清々しい朝だった。
モゾモゾと布団から這い出た潤が乱れた浴衣を直しながら窓際までやって来る。そして同じように景色に目を向けて、「今何時?」と訊いた。
「六時ちょっと過ぎたくらい」
一度頷いてから窓を少し開けて潤が煙草に火を点ける。ひんやりした空気と煙草の香りが部屋中に広がる。
「そういえば、家族風呂ってのがあったけど行ってみないか?」
私も昨夜それは確認していた。四十分だけ貸し切りで使えるのだとか。ただし、予約は出来ないので空いているのかは行ってみないとわからない。
「一緒に入るの?」
「家族風呂だからな」
言ってから潤が口角を上げる。特に返事はしなかった。立ち上がって干していたタオルを手にしたことで察したようだ。私達はペタペタとスリッパの音を響かせて一階にある家族風呂へと向かった。
男湯と女湯は入れ替え制になっていて、昨夜私が入ったところに殿方という暖簾が掛けられていた。それを横目に奥へと進んだところに家族風呂という案内板が見えた。
扉には『空』という札が提げられている。それを『使用中』に裏返して中へと入る。脱衣所は畳一畳程度の広さで早々に潤が浴衣と下着を脱ぐと引き締まったお尻が目に映り私は慌てて視線を逸らす。
家族風呂は浴槽と洗い場を含めて四畳半程度の広さだった。仄かな照明も灯ってはいるが、小さな窓から差し込む陽射しで浴槽全体が明るい。お風呂は他と同様白い濁り湯になっていて、私が裸になった時には、既に掛け湯を済ませて潤は湯船に浸かっていた。
開いた引き戸から顔だけ出して中を覗き込むと潤と目が合った。
「あっち向いてて」
苦笑を浮かべて潤が壁の方を向いた隙に、洗い場で一通り汗を流して指先で湯船の温度を手早く確かめる。気のせいか昨夜のお風呂よりも熱く感じる。ただ、ここでまごまごしていたら潤がこちらを向きそうだったので、熱いのを我慢して白いお湯に身を隠した。だが、それもつかの間、「熱い!」と思わず声を漏らして立ち上がると、潤の目線が胸の辺りに向いていて、慌てて押さえて身体を捩る。
「見てたでしょ?」
「いや、俺は洗い場のシャンプーを見てただけだから」
含み笑いをする潤の顔にバシャッ!とお湯を掛けた。
熱いと思っていたお湯に慣れ始めた頃、「ちょっと熱いな」額に汗を滲ませていた潤が立ち上がって湯船の端に腰掛けた。何気に視線を向けたつもりだった。しかし、ちょうど目の高さでタオルも無かったため、潤のものを両目で捉えてしまった。慌てて身体を横に向けるとお湯が音を立てて揺れた。
「どうした?」
「ううん、別に‥‥何でもない」
冷静を装ってみたところで心は動揺していた。お父さんのは小さいときに一緒にお風呂に入って何度も見たことはある。とは言え、それは遥か昔の話。大人になってから男性のものを見たのはこれが初めてだった。不意にお湯の温度が上がったようにも思える。
もちろんそれは気のせいだろうけど。
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