第142話

「別にすぐにすぐって話じゃないの。それに嫌だったら断っても全然構わないんだから」


 どうやら二人で話し合ったことなんだろうと思った。難しそうな顔で潤は聞いていた。たぶん私の顔も複雑だったに違いない。ただし、私の場合は生まれ育った家だから特に問題はない。


「確かにお父さんの言う通り無駄と言えば無駄ですよね。いずれは子供でも出来たら家でもなんて考えてはいたんですが‥‥‥」


 潤が口にしたことを考えての提案なのかもしれないとその時思った。


「幸い、梨絵ちゃんの部屋はそのままだし、使ってない部屋が二階に二つあるから、一つは二人の寝室にでもして、あとは潤君の部屋で使ってもらおうかって思ってるんだけどね」


 潤の視線が上へと向く。イメージでも膨らましているのだろうか。


「そうそう、生活費をなんて野暮なことは言わないから安心してくれ。それに休みの日はいつまで寝ていたって構わないから」


「それじゃ、ただの居候じゃない!」私の声に皆の表情が緩む。


「それにいつまでも寝ていられたら私が困るんだから」


 呆れ顔で潤に視線を向けると目が合った。苦笑を浮かべつつ何か思案しているようだ。


「何もマスオさんみたいだなんて気兼ねする必要なんかないよ。家族なんだからな」


「お父さんも先月退職して暇を持て余しているのよ。一緒に飲める人が欲しいんでしょ」


 お父さんの声にお母さんが続く。結局、その日は考えておきますとだけ伝えコーポに戻った。帰りの運転中もほとんど潤も私も無言だった。もっとも私の場合は考えを邪魔しないというだけだ。



 帰宅早々、テーブルに着いた潤は灰皿を引き寄せライターの火を点した。


「煙草もベランダになっちゃうんだろうな」


「自分の部屋なら構わないって。だって潤の部屋になるんだから」


 苦笑を一つ漏らしてから潤はカレンダーに目を向ける。


「そろそろ契約更新だっけ。十年か‥‥‥。長いこと暮らしたんだな。梨絵はどう考えてる?」


「私?私はもともと自分の家だから。というよりも潤に着いていくだけだから」


 首を傾げて笑みを浮かべると潤が鼻で笑った。



「それにしても‥‥‥少し痩せたな」


「お父さんでしょ。お母さんに訊いたらご飯とかは普通に食べてるって言ってたけど。いずれにしても返事はお父さんが医者に行ってからって話しておいた」



 翌週の日曜日は一緒に買い物に行く予定だったが、先週の話を聞いてから潤はボーッとすることが多くなった。理由はもちろん同居の件だ。考える時間も必要だろうと私一人で出掛けることにした。


 朝から気温は例年以上で、TVでは夏日になると報じられていた。暖かいのは良いとしてもまだ四月。先が思いやられると、私は汗を拭いながらビールの詰まった箱を車に積み込んだ。


 コーポに戻ってその重い箱を抱えて二階へと上って行く。買ったのはこれだけではないので一度では運びきれない。こんな時は一階にしておけばとつい思ってしまう。


 しかし、今はそれを口に出来ない。実家に行こうと遠回しで言っているように思われるからだ。

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