第85話
「もしかして‥‥‥え~と、その姪御さんの名前って、梨絵さんって言うんじゃありませんか?」
「ええ!」
偶然当たったかのように私は驚いて見せる。もちろん素人だから上手く演じられたのかは自信がない。でも結果オーライだったようだ。茜さんはパッと表情を明るくして手を一度叩いた。
「やっぱり~!なんだか見た瞬間、雰囲気が似てるって思ったんですよ~。梨絵さんの叔母さんでしたか」
「梨絵をご存じなんですか?」
空々しいと思ったものの、流れから行くと訊かないわけにはいかない。
「ええ。その一緒に来た相手ってのがあたしなんです」
自分を指さしながら茜さんが笑顔を弾けさせる。
「えっ?じゃ~、お名前って‥‥」
「茜です。旧姓は桑子って言うんですけど」
「あ、そうそう茜さんだったわ。確かカー用品のお店に勤めてるって」
そう言った途端、茜さんは照れくさそうな顔を見せた。
「実は事故を起こしちゃって」
「事故!?」
一応、ここでは目を大きく開けておく。
「ちょうど三年前くらい前ですかね~。職場には退院次第復帰するって伝えていて、あたしもその気満々だったんですけどね。あそこに立ってるのが毎日のように見舞いに来たというか―――」
そこで茜さんは洗い物している男性の方に顔を向ける。距離が近いため男性にも声は届いているらしい。
「ええ。それでようやく僕の良さに気付いてくれたみたいで」
コクッとこちらに向かって笑いながら一つ会釈をした。つまりは旦那さんということなのだろう。するとそれを聞きつけたように脇から別の声が届いた。
「何が良さに気付いただ。茜さんがうちに来てくれたのはな~。俺が来るたんびに頭下げて頼み込んだからじゃね~か」
親父さんの声に茜さんも旦那さんと思われる男性も苦笑を浮かべた。それから茜さんがそっと顔を寄せて来る。
「事故の時、前のガラスで頭を強く打ったらしくて、その時、結婚するならもの凄い二枚目っていう理想が一緒に壊れちゃったみたいで。でも、本当のことを言うと名前なんですよ。お店の暖簾にあったでしょ」
言われてみればと暖簾に記された文字を思い出す。『みどりかわ』とあった。
「あたし、緑が好きなんでどうせなら苗字くらいは緑にしようって。だから今は念願かなって
誰の言い分が正しいのか。それは兎も角として結果的には円満に収まったようだ。
「だけどね~お客さん。私の目には狂いはないと思いましたよ。うちのバカ息子よりも茜さんの方が全然筋が良いからね~」
よく人前で身内は褒めるものじゃないというけれど、お嫁さんを褒める分にはそれほど嫌味にも聞こえないから良い。もっとも言われた倅さんにしてみればいい迷惑だろうけれど。
お客さんが帰っていく。常連さんなのか、話を聞いたからなのか、楽しそうに笑っている。
「あっ!つまらない話ばっかりしてて、すっかり忘れてました」
たぶん注文のことだろう、と私は前回食べたものと同じラーメンをお願いした。
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