第65話
「やっぱりその彼にも会って何か訊いた?」
「少し前‥‥だったと思いますけど」
首を少しだけ傾けて記憶を辿る素振りだけ見せておく。
「そう、元気そうにしてた?」
「当時は大変だったみたいですけどね。今はだいぶ元気そうでしたよ」
云々と茜さんはホッとしたように頷いた。
「良い感じに見えたからあのまま結婚するのかって思ってたんだけど、人の運命って分からないもんだよね」
その八神さんとの関係を考えると私も頷くしかない。不思議な巡り合わせとしか言いようがないけど。
「そんな他人の心配どころか、そろそろ嫁に行くこと考えなよって、お姉さんからも言ってやってくれね~かね」
肩に手ぬぐいを引っかけた親父さんが、難しい表情でこちらに歩んでくる。手にしたお盆にはお茶が二つ載っている。茜さんの目がギラッと光った。
「あたしは仕事一筋だから。それと色気より食い気」
テーブルにお茶が差し出されると同時に私は頭を下げる。親父さんと茜さんのやり取りがいわばお茶うけだ。
「そんなこと言ってると、すぐうちのみて~に、婆さんになっちまうから」
やや声を潜めて言った後で親父さんは慌てて後ろを振り返る。着物の女性はもういなかった。
「そうだ。さっき言ってたブルーバードの人なんかどうだい?」
親父さんの一声に私は思わずお茶を吹き出しそうになってしまった。
「ブルの?いやぁ、ああいうのは、あたしの好みじゃないね」
湯飲みで隠すようにして、私はちょっとだけ口を尖らせた。
「だったらさ~。うちのバカ息子なんかどうかな?って言ってもあんな弱っちいのじゃダメか。昔、好きな女に言い寄ったら玉蹴り上げられて退散して来たって話だからな」
笑いながら親父さんが視線を横に移すと、茜さんが私に顔を近付けて来た。
「それって、あたし」
内緒話のように言って自分の顔に指を差す。私の目はまん丸に変わった。
「それが効いたんだか、今じゃまるっきり女っ気もなくてさ。出来たら嫁さんでももらってこの店継いでもらいたいんだけどな~。でないと廃業だよ」
「気に入ってる店だから廃業は困るって。別に結婚なんかしなくたってお店は継げるでしょ?」
茜さんはそう言って壁のメニューに目を向ける。
「それが嫁さんが来たら店を継ぐなんて馬鹿な事言ってっから弱ってんだよ」
呆れたように親父さんは声を吐き出す。まるで心の声だ。
「そのうち良いのが居たら紹介するから」
言い終わると茜さんは千円札を二枚出して親父さんに渡した。私はすぐに財布を出したが目の前でヒラヒラと手を振られた。
「今日はあたしのおごり。その代わりと言っちゃなんだけど、車のメンテとかあったらうちの店に来て。もちろん店長価格でサービスするから」
すっかり暗くなった駐車場に私を届けると茜さんは軽く手を挙げてからもの凄い音を響かせて消えて行った。ホント、カッコいいお姉さんだ。それから取り出したカギの猫を車の中でじっと見つめていた。
きっとあんな人だ。先輩をビシビシ扱いていたんだろう。でもそれも愛情の裏返しと食堂で聞かされた話を思い出す。数年の付き合いですらあの荒れようだ。
だもの‥‥‥私なんか‥‥。
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