第154話
やがて視線の先に車が横切るのが見えた。突き当りはどうやらT字路で、車の数からしてここよりは広い通りらしい。いつもの歩調であってもT字路までは一分も掛からなかった。
片側一車線の道をけっこうな勢いで車が通り過ぎていく。その風圧でカット素材の裾がふわりと捲れ上がる。けれどある一点を凝視していた私にはそれすらどうでもいいことに思えた。
直後、期待が九割ほどに急上昇し私の顔は綻んだ。
「―――来た!」
あの時は薄暗かった。それでも私は五差路を目で捉えて確信した。
間違いない。そう思った時点で軽やかに歩き出していた。履物の重さどころか素足で歩いていると思えるほど気分は高揚している。
(また会えるのね‥‥‥お母さん)
まるで初恋の人にでも再会するかのように心臓の鼓動がドクドクと耳に届く。
(仕事は見つかったかしら。ううん、そんなことはどうでもいい。今行くからね)
そんな逸る気持ちに五差路の信号が待ったを掛ける。足踏みしたい気持ちを抑えて私は恨めしそうにその赤い色を見上げた。ただ、何気に視線を移した先にある文字を見て、しばしの足止めも悪くなかったと思った。
(そうだ!)
点滅を始めた歩行者用の信号を慌ただしく渡ると、その勢いのまま視線の先の店を目指した。あの時は茶葉を切らしていると言っていた。だから急須ぐらいはあるはず。
呼吸を整え連なった緑色の暖簾を潜り抜けた途端、心地いい茶の香りが私を出迎えてくれる。思わず大きく息を吸い込んだ。
「いらっしゃいませ」
来店を知って私と同年代くらいの女性がにこやかな顔で現れる。店の雰囲気から長年経営しているのだろうと、ところ狭しと並べられたお茶をあれこれと眺めた。
「どのようなものをお探しでしょうか?」
あくまでお茶を手にするのが目的だったので体裁の良い言葉を並べて見合ったものを選んでもらった。早々に切り上げようとポケットに手を伸ばしかけた時、私の瞳があるものを捉えた。
「どら焼きも置いてあるんですか」
「ええ。市内でも評判の店から取り寄せてまして、美味しいってみなさんおっしゃいますよ」
どうせならお茶うけもあった方が良いと、ふんわりとした手触りのどら焼きも二つ買うことにした。今回もしっかりものの財布からピッタリのお金が現れる。ホントに優れもので有難い。
邪魔にならないほどの紙袋を下げ、いそいそとまた五差路に戻った私はかび臭い匂いに誘われるかに目的の場所を目指した。
何日、あるいは何時間前なのかわからないまでも、足だけはしっかり覚えている。
この先の細い道を曲がって少し歩いたところにアパートがあるはず。ノックして留守だったとしたら、お母さんが帰って来るまで外で待っていればいい。それが夜でも夜中でも構わない。次はいつ会えるかもわからないのだから。云々と私は歩きながら頷いた。
軽快に細い路地へと入っていく。目指す場所が近付いているからか、足を踏み出すたびに気持ちが高ぶっていくのがわかる。右手に提げた紙袋が小気味よく揺れる。
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