第148話
「さすがに上手いというか、手際が良いな」
無駄のない動きに潤も見惚れている。
「考えたらベッドとかは家具屋が運んでくれたんだよな。あれを自分たちでコーポからこの家の二階に運んだら壁があっちこっちボロボロになってたんじゃないか」
もっともかもしれない。私は「そうね」と言って頷いた。
「もし、そんなことになったりしたら、きっとお父さんも言わなければ良かったなんて後悔するかもしれないわね」
お母さんの冗談は楽しくも、そして寂しくも聞こえた。
「そういえば、お母さん。奥の洋間にエアコンなんか入ってなかった気がするんだけど」
思い出したように尋ねると、
「あなた達が来るって決まったから急遽入れたのよ。お父さんも汗を搔くだろうから入れた方が良いって」
そう言うなりニヤリとお母さんが笑みを浮かべる。
「汗掻くって‥‥‥どういう意味があるの?」
「別に意味なんか。陽当たりも良いから寝るのに暑いだろうって話よ。他に何か違う意味でもあるの?」
「べ‥‥別にないわよ」
ただでさえ熱い身体がさらに熱くなった気がして私は忙しい素振りを見せその場から離れた。きっとお父さんでも居たら大笑いされるに違いない。
ひと段落したのは午後の三時頃だった。和室の外にある縁台で佐々木さんの旦那さんと若いスタッフ二人にお母さんが冷たい麦茶を振舞った。私達もそこで一緒に喉を潤した。
「今日は暑い中、ご苦労様でした」
お母さんの声に私と潤も丁寧に頭を下げた。
「いえいえ、みなさんにお手伝いしていただいたので、こちらの方がすっかり楽させてもらっちゃいましたよ。なあ~?」
タオルで額の汗を拭いながら旦那さんは若いスタッフに同意を求めた。旦那さんもスタッフも首回りや脇は汗で色が変わっている。
「夏場の引っ越しはやっぱり大変ですか?」
チラと作業着を眺めてから潤が尋ねた。
「まあ、仕事とはいえ夏場は堪えますね。その分、帰ってからのビールが楽しみでもあるんですが。そうそう、運んだ荷物に何か不具合でもありましたら遠慮なくおっしゃってくださいね」
「いえ、そんな大した荷物なんかありませんから大丈夫ですよ」
旦那さんの話に潤がすぐに手を振った。
二人だけの荷物とはいえ、十年の夫婦の生活だ。少なくてもそれなりの荷物はあるし、潤の場合は精密なオーディオなどもある。万が一を心配してというよりも、仕事上の決まり文句なのだろうと思った。
二トントラックを見送ったあと、ダイニングに腰を下ろしたら私もどっと疲れが出た。お母さんも肩で息をしている。せめてもの救いは潤も私もこの土曜日は有休をとっていることだ。これが日曜日だったら月曜に職場に行って大欠伸をしてしまうかもしれない。
「ステレオは組めたの?」
「ある程度はね。配線はこれからだけど」
二人の会話にお母さんがキラッと目を輝かせる。
「前にコーポにお邪魔した時にも見たけど、あんなので音楽聴いたらさぞかし良い音なんでしょうね」
「言ってもらえればいつでもお聞かせしますよ。お母さんの好きなレコードも用意してくれればおかけしますから」
潤が優しく微笑む。二階に行くだけでこれからはいつでも聴けるのよ、と私も穏やかに声を掛けた。
新しい暮らしが始まる。今はその期待だけを頭に浮かべようと思った。
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