第138話
「‥‥‥悪かった」ポツリ言ったあとで、潤は軽く頭を下げた。
「少し自棄になってたとはいえ、つまらないことを言った。許してくれ」
やるせない表情の中にも僅かばかり優しい眼差しが浮かんで見えた。それが私には嬉しかった。それでも完全に怒りが収まったわけではない。
「わかった。許してあげるから残ったご飯全部食べて!もったいないから」
一つ頷いてから潤が箸を取る。そしてガツガツと口に運ぶ。私も潤もほとんどやけ食いに近かった。ごくりと口の中のものを飲み込むと私は俯いたまま呟いた。
「痛かった?」
それからゆっくりと視線を上げる。笑いながら顔を振っている潤が見えた。
ベッドに入ると申し合わせたように二人で身を寄せた。互いにパジャマ姿ではあるものの、切なさを紛らわすには十分だった。
「もし、潤に何もなかったとしたら、お医者さんに行ったことを私にも話した?」
腕枕の中で問いかけると少し間を置いてから、「いや」と潤が言った。
「たぶん‥‥‥黙っていたと思う」
「今日のことだって黙っていても良かったのに‥‥‥」
優しい口調は独り言のようでもあった。潤が一つ息を吐き出す。
「実を言うとそれも考えたんだけどさ。黙ったまま梨絵と暮らしていくのも辛くなるかなって。だって夫婦なんだから」
「離婚なんて口にしたくせに」
幸せとは裏腹に私は潤のわき腹をつねり上げていた。その痛みで潤が身体を捩る。
「悪かったよ。でもさすがに驚いたというか‥‥‥俺の知らない梨絵を見たって気がしたな」
「だって‥‥‥」
「わかってる。目覚ましにはちょうど良かったよ」
話してから大きく一つ息を吐き出す。モヤモヤした気持ちを放出したようにも思えた。
「ねぇ‥‥‥私のこと愛してる?」
「なんだよ今更、そんなこと訊いて」
常夜灯の灯りだけでも潤が苦笑するのがわかった。
「今更だから訊くのよ。それとももう答えられない?」
何か考えて居るのか、言い辛いのか、声を出すまでには僅かな間があった。
「愛してるよ。これからもずっと‥‥‥梨絵だけを」
暗がりの中で口角をあげ潤の身体に回した手に力を込める。
「これからも‥‥‥抱いてくれる?」
「もちろんさ。このところ子供を作るためなんて感じだったけど、これからは梨絵を愛することだけを考えるよ。それでも良いか?」
「良いに決まってるじゃない!ひょっとしたら奇跡が起こるなんてこともあるかもしれないし―――」
明るい声を出し潤の横顔を見つめた。潤もこちらを向く。
「奇跡が?」
「ええ。前にも二人で先輩を見たことがあるでしょ。世の中には説明がつかないことだってたくさんあるんだから」
例えそれが気休めであったとしても私は何かにすがりたい気持ちでいっぱいだった。
「そうだな。奇跡に賭けてみるのも悪くないか」
潤は身体を起こして私に顔を寄せた。もう会話は必要ないという合図でもあった。
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